にゃんぱく~ねこの万博~ 開催中
【にゃんぱく~ねこの万博~】
本日、12月22日19時まで御茶ノ水で開催中!
トークショー満載です!
お待ちしています♪
●12時 『ペットの終活』
●13時 『ネコもSDGsプロジェクト』
●14時 『ペットの終活』
●15時 『ねこは、人生の師匠です』(女優 川上麻衣子さん)
●16時 『いくつになっても、どんなときでもねこといっしょ』
■にゃんぱく
https://nyanpaku.com/
■会場
新御茶ノ水ビルディング
■入場料
800円
#ねこ #にゃんぱく #ねこの万博 #ねこ好きさんと繋がりたい #ねこ好きな人とつながりたい #猫のいる生活 #猫部 #愛猫 #猫すたぐらむ #ねこすた #ねこばか部 #名前のないねこ #くまくら珠美 #ニャドレーヌ
江崎道朗「天皇と憲法と近代日本」
いまでは近代国家のなかの天皇陛下のお姿は「当たり前」ですが、明治人たちは、近代国家と天皇のあり方を真剣に考え抜きました。本日紹介する講義は、江崎道朗先生による、「#中江兆民、#福沢諭吉、そして #戦後日本の天皇論」です。まさに今こそ必見の動画講義。ぜひご覧ください。
https://sankei.10mtv.jp/r/?xJJPBG
大陸間弾道弾と発射指令室を見学
「軍事オタク」の実力を証明
史上初のウクライナ軍事博物館ツアー終了
旧ソ連が開発した #大陸間弾道弾( #ICBM)を視察する「 #ウクライナ軍事博物館視察ツアー」が6月12日~16日にかけて行われた。
現地滞在時間が約60時間という過密日程の中、一般募集で集まった25人の #ミリタリーファン が、日本人がほとんど訪れたことのない軍事博物館を精力的に回った。
第2次世界大戦から冷戦期にかけての多様な兵器を見学し、戦史と軍事技術への理解をさらに深めた。
【大陸間弾道弾】
「これが本物!!」
14日午前11時ごろ、#ウクライナ の首都キエフから南に約300㌔の穀倉地帯の真ん中で、日本人ツアー客らが驚愕の声を上げた。全長34.3・3㍍、直径3㍍、最大射程1万5000㌔、750㌔㌧の核弾頭を発搭載できる大陸間弾道弾「P(R)|36M2」( #SS18、通称「 #SATAN」)を目の当たりにしたからだった。西側最大の脅威と恐れられ、「ソ連の切り札」の異名を持った兵器である。
弾道弾を展示している #戦略ロケット軍博物館 は、#冷戦 時代の発射基地がほぼそのまま(一部改修)残っている施設だ。米ソ両国の合意の上で保存が決まった場所であり、人類が生み出した兵器の恐ろしさを後世に伝えていく使命を負っている。
地上から地下に12層構造で埋め込まれている円筒型の施設(地下約45㍍)への立ち入りも実現した。ツアー客はエレベーターで地下11層にある発射指令室に入り、実際に弾道弾の発射に向けた〝手順〟を見学した。
ビーッ、ビーッ、ビーッ。
けたたましい警告音が鳴り響き、警告灯が激しく点滅する。「人類滅亡のカウントダウン」を実際に体験できる施設は世界にここだけである。
屋内の展示館には米国による広島、長崎への原爆投下に関する写真パネルコーナーもあった。核兵器による甚大な被害、一瞬にして十数万人の命を奪った非人道性を理解できる内容だった。2005年、駐ウクライナ日本大使館や国内の被爆地の関係者らがここを訪れ、寄贈したパネルだという。
【 #独ソ戦】
15日午前、ツアー客はキエフ中心部から約30㌔北にある「1943年の #キエフの戦い」をテーマにした博物館に足を運んだ。ナチス・ドイツに占領されたキエフをソ連側が奪還した戦闘で、巨大なジオラマが目をひく。屋外の敷地には当時の塹壕も保存されていた。
同日午後には、独ソ戦の勝利をたたえる #大祖国戦争記念博物館 を訪問した。独ソ戦でのソ連側の犠牲者は約3000万人ともいわれている。
同博物館では、約7000人の兵士の写真とともに戦死を伝える死亡通知書が数多く飾られていた。参加した30代の男性は「自国を守るために犠牲となった若い兵士を弔う気持ち、顕彰する姿勢を強く感じる」と述べた。
ツアーは産経新聞社が企画した。昨年6月に実施した「 #モスクワ軍事博物館ツアー」に続く、ミリタリーファン向けツアーの第2弾である。
物理学者で高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所の #多田将 准教授、軍事アナリストで東大先端科学技術研究センターの #小泉悠・特任助教の2人が講師として同行。ツアーには20代から60代の男女25人が参加した。デザイナーや著名人をはじめ、大手電機メーカーやゲーム開発企業に勤務する会社員、主婦、公務員など幅広いミリタリーファンが集結した。
現地では博物館ガイドの説明の誤りにすぐに気づくなど、高度な識見を有する「軍事オタク」の実力が証明された。極東からやってきた〝視察団〟の圧倒的な知識量に、帯同したウクライナ人通訳は終始目を丸くしていた。
(山本雄史)