株式会社久栄社 Kyueisha

株式会社久栄社 Kyueisha 水なし印刷やFSC認証紙、カーボンオフセットなどの環境負荷の低減につな? Eco-friendly printing is our strong point. Moreover we have been using Non-VOC Ink which is 100% Soy Based Ink.

私たち久栄社は、企画デザインから、製版、印刷、加工、発送までの印刷のすべてのプロセスをグループ企業での一貫した作業を実現しています。
印刷物においても「環境へのやさしさ」のニーズが高まっている時代の中、“環境対応印刷”に力を入れて取り組んでいます。

「水なし印刷」「Non-VOCインキ、植物油インキ」「FSC認証紙」、これらを組み合わせ、トータルな環境対応印刷で時代を一歩リードする環境対策アドバンテージを印刷物を通して提供しています!

We operate as an all-in-one resource to support a variety of printing. Kyueisha has been recognized us the first Waterless Printing company in Japan, and all our commercial print

ing process has been adopting waterless printing. Waterless printing does not use dampening solutions, which contain alcohol or VOC (Volatile Organic Compounds). Waterless printing eliminates the need for up to 100,000 liter of water and 10,000 liter of alcohol per year consumed by a typical mid-size printer. Using Non-VOC inks helps keep the VOC levels well below the standards of conventional Soy Based Inks. We also are an FSC Certified (Forest Stewardship Council) printer, we participate in a Chain-of-Custody system which insures paper products are manufactured in a responsible manner from responsibly managed forests.

【七十二候だより by 久栄社】 <第4候>土脉潤起(つちのしょう うるおいおこる)2月18日は、二十四節気は2番目の節気、『雨水(うすい)』、天から舞い降りる雪が雨へと変わり、氷が水になり、雪解けも始まる頃。江戸時代に出版された『暦便覧』...
17/02/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第4候>
土脉潤起(つちのしょう うるおいおこる)
2月18日は、二十四節気は2番目の節気、『雨水(うすい)』、天から舞い降りる雪が雨へと変わり、氷が水になり、雪解けも始まる頃。
江戸時代に出版された『暦便覧』には、「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されています。

冬の間は凍てついて、眠りについていたような大地に、漸く寒さもゆるんで、しっとりとした春の雨が降り注ぎます。
2月も半ばになると、冬型の気圧配置が緩むことが多くなり、低気圧の影響を受けて雨が降る機会が増えていきます。

実際のところは、北国では積雪が続く時期でもありますが、寒さが峠を越えて、日に日に暖かさを感じる機会が多くなります。
そうした中で、『雨水』は、昔から農耕の準備を始める時期の目安とされてきました。

七十二候では4候、雨水の初候、『土脉潤起(つちのしょう うるおいおこる)』の始期です。
早春の雨で大地が潤って湿り気を含み、まるで脈を打つように土が緩んでくる頃。

『雨水』の七十二候では、節気自体の主題が全体を貫いているようであり、3つの候が連なって、自然界に春らしさが増していく展開を表しております。
雪から雨へと「気象」や「天候」の移り変わりを受けて、大地と大気が共にうるおい、全ての生命を支える植物が萌え始めて、季節の進展を表します。

即ち、春先の恵みの雨を受けて、この初候の4候にて、大地がしっとりと「潤い」を取り戻し、次候の5候では、大気の方も湿り気を帯びて「霞」が登場し、末候の6候では、湿潤を感じ取った「草木」が芽吹き始めて、早春ならではの風景が周囲に広がっていくのを実感するような展開となっています。

「脉」は「脈」の異体字です。日射しを受けてぬかるんだ道などで、土の匂いもほのかに漂ってきそうな情景です。
この時季には、「土匂ふ」「春の土」「土恋し」などの季語が使われ、大地に春の息吹きを感じ、春到来の喜びを表します。

近現代の俳句の世界では、例えば、明治・大正・昭和を生きて活躍した俳人・小説家の高浜虚子には、「春の土」を詠んだ次の句があります。

 「鉛筆を 落せば立ちぬ 春の土」     高浜虚子

ふとしたことで鉛筆を手から落としてしまったところ、土にすっと刺さって立ったのを発見して、土に潤いが戻ったことに春が到来したのを実感している情景が伝わってきます。

実は、本元である中国の七十二候・宣明暦では、『雨水』の初侯は、『獺祭魚(だっさいぎょ/たつ うおをまうる)』となっており、春に動物の動きが活発になる情景の一つですが、「獺(かわうそ)」が獲らえた獲物の魚を岸に並べる習性を見て、まるで神様や先祖に対して供物を並べて祀るようであると見立てた内容です。

この獺の祭を「獺祭」と呼び、日本酒の銘柄にもなっておりますが、転じて物事を調べるのに際して多くの参考文献を周囲に並べることも「獺祭」といいます。
正岡子規は自らを「獺祭書屋主人」と称したため、子規の命日である9月19日は「獺祭忌」と呼ばれております。

古典俳諧の世界では、江戸時代の三大俳人のひとり、俳聖と呼ばれた松尾芭蕉には、次の句が残されております。

 「獺(かわうそ)の 祭見て来よ 瀬田の奥」     松尾芭蕉

大津の瀬田に行ったら、瀬田川の奥は琵琶湖であり、そこに棲む獺が今頃は獺祭魚という祭をやっているので是非ご覧なさい、という意味であり、ユーモアを交えた言葉を添えて、人を送り出したときに詠んだ句と言われております。

日本絵画の世界では、大正・昭和に活躍した川端龍子が戦後に描いた『獺祭』があり、現在は東京都大田区の龍子記念館が所蔵しております。
袈裟を着た僧正の恰好をした獺が真ん中に描かれ、目の前には獲物の魚がいくつか並べられており、とてもユーモラスな絵であり印象的です。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

「三寒四温」という言葉も、この時期くらいから、より頻繁に使われるようになりますが、ご存知の通り、寒い日が三日ほど続いた後に、暖かい日が四日ほど続くということで、7日間周期で寒暖が繰り返される現象です。

実は、もともと朝鮮半島や中国北東部のことわざで、シベリア高気圧の影響を受ける冬の気候を表す意味で使われておりました。
日本に伝来して、日本の気候は太平洋高気圧の影響も受けるため、冬には現れにくいことから、日本では春先に用いられ、「三寒四温」を幾度か繰り返しながら、だんだんと暖かくなり、季節は春に向かうというような使われ方が定着しました。

さて、雛人形をいつから飾るかについては、地域によって風習も違いますが、一般的には、『立春』から2月中旬にかけて、できれば日射しがあって穏やかなお日柄の佳き日が良いとされております。そして、『雨水』の始まり、この日に雛人形を飾ると良縁に恵まれるとも言われているようです。
背景は諸説あるようですが、命が芽吹く季節を迎え、生命の源である水の神様にあやかるということがあるようです。

「春一番」は、冬から春への移行期に初めて吹く暖かい南よりの強い風で、『立春』から『春分』までとされていますが、ちょうどこの頃から吹くことが多いようです。
その風圧の凄さは、おだやかな情景とは趣が異なりますが、春に向けての象徴的な風物詩の一つです。

一方、北海道においては、『立春』以降に初めて降る、雪がまじらない雨のことを「雨一番」と呼ぶそうです。
2月下旬に北海道南部から始まり、3月には全道が「雨一番」の季節を迎えるようで、こちらも雨水らしい春の訪れを象徴する表現です。

早春に降り注ぐ雨水の恵みを受けて、時に柔らかな日射しの下で、大地の匂いや息づかいに春の気配を感じられる頃合いとなりました。
私たちも、本格的な春の到来に向けて、暖かい季節の新たな活動にも想いを馳せながら、心と体をしっかりと目覚めさせていきましょう。

『雨水』の頃から降って、植物の芽吹きを促す役割を果たす雨のことを「木の芽起こしの雨」と呼ぶそうです。
そして、春の雨は、『啓蟄』『春分』と節気が進む中で、草木や花に養分を与えて育成を助けるので、「養花雨(ようかう)」とか「育花雨(いくかう)」と言われるようになります。
また、これからの季節、『啓蟄』の「桃」や『春分』の「桜」をはじめ、様々な花を催すが如く、開花を促すように降る雨は、「催花雨(さいかう)」と呼ばれるに至ります。

自然界に潤いを感じつつ、人としても、肌や体内の潤いに加えて、心の潤いも保ちながら、潤いに満ちた暮らしや生活にしていきたいものです。

そして、花と雨との関係性も意識しながら、心身にも日々の営みにも、みずみずしさを感じられるような環境づくりを心がけて、公私の両面において、種蒔き・水撒きとなる行動を展開し、大切に思っていることをしっかりと育てて、素敵な花を開かせていきたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第3候>魚上氷(うお こおりをいずる)2月13日は、七十二候では3候、立春の末候、『魚上氷(うお こおりをいずる)』の始期です。春の兆しに凍っていた湖や川の表面が解け出して、割れた氷の間から、魚が飛び跳ね...
12/02/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第3候>
魚上氷(うお こおりをいずる)

2月13日は、七十二候では3候、立春の末候、『魚上氷(うお こおりをいずる)』の始期です。
春の兆しに凍っていた湖や川の表面が解け出して、割れた氷の間から、魚が飛び跳ねる頃。

暦のはじめ、『立春』の節気、一年最初の3候において、東からの暖かい風が吹き始める中、春の訪れを最初に知らせてくれる植物や生き物が出揃いました。
初候では『春告草』の「梅」、次候では『春告鳥』の「鶯」、そして、今回の末候では『春告魚(はるつげうお)』の登場です。

七十二候の主題は、魚たちが冬の眠りから目覚め、水の中で活発に動きはじめ、溶けて薄くなった氷の割れ目から跳ね上がる様子も時には見られる頃合いを表しており、日本各地において春を告げる魚、即ち『春告魚』を連想させるテーマです。『春告魚』というのは、実は必ずしも一種類の魚には限りません。

まず、北日本では、3~5月に産卵のために大挙して北海道の西岸に近づくことで有名だった「ニシン(鰊)」が代表的ですが、漁獲量が昔より減ってしまいました。近年は少しずつ回復傾向にありまして、「元祖 春告魚」とも言われる存在感を持っております。

近時は、関東や東海を中心に、やはり産卵のために浅瀬にやって来て春先が旬とされる「メバル(眼張)」が『春告魚』と呼ばれています。
また関西では、瀬戸内海に春になるとやってくる「サワラ(鰆)」が旬であり、漢字からして魚偏に春でもあり、『春告魚』とされています。

瀬戸内海の魚では、他にも兵庫の「イカナゴ(玉筋魚)」も挙げられているように、各地で多様な魚の名前が列挙されています。
渓流釣りが各地で2月から解禁されることもあり、「ヤマメ(山女魚)」や「アマゴ(雨子)」などの渓流魚を指す場合もあります。

地域の人々の生活に応じて、春を代表する固有の魚があるということであり、いろいろな『春告魚』が人々に春の訪れを知らせてくれております。
海の魚に川魚、日本近海及び日本国内には、本当に様々な魚が生息しており、日本人の生活や季節感とも深く結びついていることを改めて感じます。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
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春先になって薄く張って解け残った氷のことを「薄氷(うすらい)」と呼びます。季語でもあります。
「薄氷」の下、温かくなった水の中で、じっとしていた魚たちが動き出し、ゆらゆらと泳ぐ姿が見え始めます。

俳句の世界からは、今回は「薄氷」と「白魚」の組合せで詠んだ句を、取り上げてみます。
「白魚(しらうお)」は、春の訪れを告げる小魚のことで、近海に棲む魚であり、春先に産卵のために川を上がってきます。
半透明ですが、煮たり蒸したりすると真っ白になるので、白魚というようです。

 「しらうをの 雫や春の 薄氷」      松岡青蘿
 「うすらひに 紛れて初の 白魚は」    大野林火

松岡青蘿(まつおか せいら)は、江戸時代の俳人であり、大野林火(おおのりんか)は昭和の俳人であり、二人の俳人の暮らした時代は全く異なりますが、このようなコントラストも時には面白いかと思います。

日本絵画の世界では、『春告魚』ということではありませんが、様々な魚たちを描いた名画として、近世日本の画家、伊藤若冲の「群魚図」と「諸魚図」を紹介します。
両方とも若冲が制作した『動植綵絵(どうしょくさいえ)』という30幅からなる動植物を描いた彩色画の一部であり、国宝として、宮内庁の三の丸尚蔵館に所蔵されております。

いずれの画も色を豊かに使い、動植物の細部までリアルに表現しており、「群魚図」には海の中を泳ぐ16種類の魚が描かれ、画面中央の大きな蛸には子どもの蛸が脚を絡ませており、「諸魚図」には18種類の魚が登場し、中央には鯛が色鮮やかに描かれ、両方の絵において、全ての魚が左下方向に向いて勢いをもって泳いでいる姿で、概ね真横から描いております。

明治5年の京都博覧会のチラシでは「魚尽くし」と命名されており、さながら魚の一覧図といったイメージであり、他には類を見ない独特な構図で、若冲の精緻な描写の筆力に惹きつけられます。
当時の日本でなじみのある代表的な魚が並んでいるようであり、『春告魚』としては、「ニシン(鰊)」は見当たりませんが、「サワラ(鰆)」は確認できるとのことです。

『立春』が過ぎても、今年も時に寒波が到来して大雪が降ったり冷え込みが厳しくなったりと、まだまだ油断はできない季節ですが、『立春』以降、寒が明けてからの寒さは「余寒」「残寒」「春寒」などというようで、寒さの峠を既に越えて、春への期待が膨らんでいきます。

これから春が本格化する中、各地の『春告魚』を運良くいただく機会があれば、旬ならではの味を充分に楽しみたいものです。

魚には、今が旬の「サケ(鮭)」「サバ(鯖)」「タラ(鱈)」などに多く含まれる、免疫力を高める良質なたんぱく質をはじめ、ビタミンやDHA・EPAなど、多くの栄養素が含まれています。勿論、免疫力アップには、バランスの良い食事に加えて、運動・睡眠も大切な要素です。

個々人として「健康リテラシー」「ヘルスリテラシー」の向上に取り組み、企業としては「健康経営」「ウェルネス経営」の推進も意識しながら、食事・運動・睡眠の三大テーマが両立した総合的に健康な生活を心掛けて、この機会に「健康寿命」もしっかり延ばしていけるように取り組んでいきましょう。

立春を迎えまして、「春告草」の梅(初候)、「春告鳥」の鶯(次候)に続いて、「春告魚」(末候)と春を告げる使者が出揃いました。

いよいよ待ちに待った春近し。
生活に余裕を持って、周りの小さな変化に気を配りながら、間近に迫ってきている春を五感でしっかりと捉えていきたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第2候>黄鴬睍睆(うぐいす なく)2月8日は、七十二候は2候、立春の次候、『黄鴬睍睆(うぐいす なく)』の始期です。鴬(うぐいす)が山里で、馴染みのある美しい声で鳴いて、春の訪れを告げる頃。『立春』の節気...
07/02/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第2候>
黄鴬睍睆(うぐいす なく)
2月8日は、七十二候は2候、立春の次候、『黄鴬睍睆(うぐいす なく)』の始期です。
鴬(うぐいす)が山里で、馴染みのある美しい声で鳴いて、春の訪れを告げる頃。

『立春』の節気は、初候にて「東風」が春の到来を告げて、「梅の花」が咲く頃合いとなり、いよいよこの次候で「鶯」が登場して、最初の「春の音」を聴かせてくれます。
「春の風」を先ず触感・触覚で知って、「梅の花」の美しい姿と香しい匂いを視覚と臭覚で感じて、そして、鶯の第一声を聴覚で受けとめ、未だ寒いながらも春を感じ覚ることが多くなってきます。
そして末候には、「魚」も登場、目や耳に感じる春の鼓動が広がっていきます。

前年の「晩冬」には「雉」や「鶏」が登場して春の予兆を知らせてくれましたが、新しい年、「初春」としては、いわゆる「鳥シリーズ」の最初の鳥として「鶯」の登場であり、これから季節の移ろいの中で他の鳥にバトンを渡すまで、美しい鳴き声を身近に聴かせてくれて、日本のうららかな春を演出してくれるようです。

日本に生息するさえずりが美しい鳥として、鴬・大瑠璃(おおるり)・駒鳥(こまどり)を「日本三鳴鳥」と呼ぶようです。
特に鴬は、「春告鳥(はるつげどり)」をはじめとして多くの別名があり、日本人の季節感と文化に深く浸透している鳥といえます。

鴬は、日本をはじめ、主に東アジアに生息していますが、日本での別名としては、「春鳥(はるどり)」「報春鳥(ほうしゅんどり)」「花見鳥(はなみどり)」
「歌詠鳥(うたよみどり)」「経読鳥(きょうよみどり)」「匂鳥(においどり)」「人来鳥(ひとくどり)」「百千鳥(ももちどり)」など、様々な呼び名があります。

更に大陸からは、コウライウグイスを指した、「黄鳥(コウチョウ)」や「金衣公子(キンイコウシ)」という呼び方も伝来しております。七十二候では「黄鴬」と表現されていますが、実際のところは、コウライウグイスは、鶯とは見た目も鳴き声も異なる別の鳥であり、中国を中心に東アジア・東南アジアに生息する一方、日本には生息していないようです。

毎年、一番初めに聞く鴬の声を「初音(はつね)」といいますが、気象庁は、さえずりを初めて聞いた日を「鴬の初鳴日」と呼んで、生物季節観測の一つとして用いておりました。
生物季節観測には、梅・桜の開花日、楓・銀杏の紅葉した日などの植物季節観測、そして鶯や油蝉の鳴き声を初めて聞いた日、燕や蛍を初めて見た日などの動物季節観測がありました。
日本列島各地で一番多い「初鳴日」は3月であり、実際のところは少し先が鶯の時季ですが、早い所は確かに2月中旬に鳴き始めるのが観測されておりました。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
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現在、国立環境研究所の「気候変動適応情報プラットフォーム(A-PLAT)」のサイトには、「市民調査員と連携した生物季節モニタリング」についての解説ページがあり、生物季節(Phenology)に関する情報の蓄積は、IPCC第4次評価報告書にて、気候変動が環境に与える影響を評価する上で非常に有効であると評価されて以降、世界中で注目を集めている分野であるとのことです。

「生物季節モニタリング」では、植物32種目、動物34種目を観測対象としており、中でも気象庁のこれまでの観測記録が長期的かつ広域的に蓄積されている種目については、優先して観測してほしい重要種目として提案しており、「ウグイスの初鳴日」は優先度として◎が付されております。

令和3年に開始されて以来、令和4年10月現在ではありますが、66種目2000件ほどの報告が寄せられており、重要種目として提示した種目は特に観測が充実しており、気象庁の記録に対する偏りもなく、有用なデータが蓄積されつつあるようです。
令和6年1月時点で、47の都道府県から計504名(前回は422名)の調査員が参加しており、観測ネットワークの拡充に向けて、引き続き調査員を募集しているとのことです。

サイトには、各種目に関する情報も含めた詳細な「調査マニュアル」が添付されており、活動の紹介動画、支援のための寄付サイトなども掲載されております。
これまで関心を高く持って動向を見守ってきておりますが、新たな生物季節の調査が立ち上がっていることに安堵すると共に、今後の活動の拡大・充実・定着を願う次第です。

古来、日本では「梅に鴬」という表現がよく使われますが、春の到来を伝えて花咲く「梅」と春の訪れを告げる「鴬」は、春を象徴するぴったりの組合せとされ、取り合わせが良い二つのもの、美しく調和するもの、仲の良い間柄のたとえとされています。
しかしながら、実際には、鴬は梅の木にはあまりとまることはないそうで、梅の木にとまるのは主にメジロのようです。

メジロは梅の花の蜜を吸いに訪れますが、鴬は藪や笹の多い林下などを好み、主に虫を食べていて花の蜜や木の実は食べず、また、警戒心が強いので、声が聞こえても姿が見えないことの方が多いのです。英名の「Bush Warber」も、藪でさえずる鳥を意味しています。
「梅に鴬」は、春を表す風流な組合せとして、人々の理想のイメージとして定着して広まったわけでありまして、「松に鶴」「竹に虎」と並んで、松竹梅をベースに慶事・吉兆の象徴として、古くから絵柄などにも良く使われてきました。

日本絵画の世界では、実際のところ、様々な画家によって現代に至るまで、本当に数多くの「鴬」が描かれ続けてきております。

琳派では、梅に竹や椿を合わせた、尾形光琳の「竹梅鴬図」、酒井抱一の花鳥図・一月「梅椿に鴬図」があり、円山応挙は桜と鴬の組合せで「桜花図」を描き、明治時代の巨匠では、東の横山大観の「早春」、西の竹内栖鳳の「梅に鴬」があります。

今年も、古典俳諧の世界から、江戸時代の三大俳人の鶯を詠んだ俳句を紹介したいと思います。

 「鶯の 笠落したる 椿かな」         松尾芭蕉
 「鶯の 啼(なく)や小さき 口明けて」    与謝蕪村
 「鴬や 花なき家も 捨ずして」        小林一茶

芭蕉の句は、梅を椿に置き換えて、鶯が椿の花の笠を地面に落とした情景を詠んでいるところが印象的です。
蕪村の句は、平易でわかりやすく、鶯が一所懸命に小さな口をあけて啼いている可憐な姿が浮かびます。
一茶の句は、花も咲いていない粗末な家も訪れて啼いている鶯を迎えて、親しみを感じながら、春を楽しんでいるようです。

三人の俳人には、次のように、鶯を詠んだ別の俳句もございます。
芭蕉の句では今度は柳や藪と鴬とのコントラストを利かせていたりして、それぞれに趣があります。

 「鶯や 柳のうしろ 藪の前」         松尾芭蕉
 「鶯の 声遠き日も 暮にけり」        与謝蕪村
 「鶯や ちよっと来にも 親子連」       小林一茶

鴬のさえずりは、「ホーホケキョ」で始まり、「ホーホケキキョ、ケキョケキョケキョ・・・」などと続きますが、鳴くのは鴬の雄であり、主に繁殖時期に聞かれ、他の鳥に対する縄張り宣言の意味があり、雌への求愛や合図の意味があるようです。
実は、「ホー」は息を吸っている音で、「ホケキョ」の方が息を吐いた時のさえずりであると言われています。

繁殖期には、「谷渡り鳴き」と言って、縄張りに天敵が近づいた時、警戒を発するけたたましい鳴き声も聞かれます。
また、一年を通して雄と雌の間で「チャチャチャ」という「地鳴き」と呼ばれる鳴き方も知られております。
「初音」の頃の鳴き声は、実は鶯はまだ本調子には至っておらず、「ぐぜり鳴き」と言われるように鳴き声を整えている頃合いのようです。

まだまだ寒い時季が続きますが、立春になって、春を想起させる動物や植物が少しずつ周りに見られるようになってきました。
古くは、万葉集や古今集にも詠まれている鴬の鳴き声、日本人にとっては早春の象徴です。

江戸時代には、また、良寛和尚が次のような歌を詠んでおります。

 「鶯の 声を聞きつる あしたより 春の心に なりにけるかも」    良寛

『新しい年が明けても、私の心は春という気がしていなかったけれど、鶯の声を聞いた朝から、春の心になったのであるよ』
良寛さんらしい、とてもわかりやすい歌で、現代でも直ぐに情景が伝わってきて、私たちの実際の体験にも連なっていくようです。

日本列島を「初音前線」が北上してくる中、鶯にまつわる文化にも関心を持って大切にしながら、これからの季節、機会があれば、是非、その鳴き声に静かに耳を傾けて、五感で「春うらら」を感じて、私たちもそろそろ「春の心」を意識した暮らしに切り替えていきましょう。

東風解凍(はるかぜ こおりをとく)2月3日は、二十四節気で最初の節気、『立春』を迎えます。太陰太陽暦(旧暦)では、新しい一年のスタートとなり、暦の上では春の始まりです。『立春』の日程は、国立天文台が定めており、「太陽黄経」が315度になる瞬...
02/02/2025

東風解凍(はるかぜ こおりをとく)

2月3日は、二十四節気で最初の節気、『立春』を迎えます。
太陰太陽暦(旧暦)では、新しい一年のスタートとなり、暦の上では春の始まりです。

『立春』の日程は、国立天文台が定めており、「太陽黄経」が315度になる瞬間が属する日ということで、4日となる年が多いですが、年によって変わります。
4年前の令和3年(2021年)に実に明治30年(1897年)以来124年ぶりに日付が早まって3日になって以来、2057年までは4年に1回は3日になるということで、今年は3日です。

七十二候の方は1候、立春の初候、『東風解凍(はるかぜ こおりをとく)』の始期です。
東から暖かい春の風が吹いて、冬の間に張りつめていた川や湖の氷を解かし始める頃。

『立春』の節気は、先ず、この初候にて、「東風」が春の到来を伝えて「梅」の花の咲く頃合いであることを知らせており、次候は「鶯」、末候では「魚」と、鳥シリーズ・生き物シリーズの一番手が登場して、春を告げる役割を果たしております。

前年の終わりの『小寒』『大寒』においても、人々の春を待つ気持ちを背景にして、春の兆候や気配を感じさせるテーマが取り上げられましたが、『立春』はまさに春の到来であり、寒さはまだまだ続きますが、『立春』を皮切りにして、少しずつ自然や気象に潤いが戻り、動植物の目覚めや芽生えに繋がります。

 「春来れば 路傍(ろぼう)の石も 光あり」     高浜虚子

明治・大正・昭和に活躍した俳人、高浜虚子の俳句からは、『立春』が到来して、春の日の光に照らされて、道のほとりの小石も光っているように感じる、というような情景が浮かび上がり、春の訪れを身近に見つけて、素直に喜んでいる気持ちが表されているようです。

『立春』の初侯の「東風」は、自然現象の中で風という「気象」「天候」に係る事象を取り上げて、新たな年の幕開け、新たな季節の始まりを表します。
因みに、七十二候には、春夏秋冬、4つの季節の風が登場しますが、この『立春』と『立秋』、春と秋の最初の候は風に導かれて、新たな季節が展開します。

「東風」は古来、「こち」と呼ぶのが通例であり、意味としては春風を表す雅語・季語です。

春先に東から吹く柔らかな風ですが、春本番に入ってから穏やかに吹く温暖な風とは異なり、未だ冷たさの残る早春の風です。
「東風」が吹くにしたがって、時に寒気も緩むようになり、朝晩の冷え込みは厳しいものの、日中の日差しに、ほのかな暖かさも感じられるようになってきます。

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 「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」   菅原道真

これは、菅原道真公が、政敵の讒訴によって大宰府に左遷されることになり、京の都を去る際、自宅の梅を見ながら詠んだものです。
「東風が吹いたなら、香りをその風に託して遠く離れた私のもとまで届けておくれ、梅の花よ。主人の私がいなくなっても、春を忘れてはいけないよ」という意味です。

この梅に関しては「飛梅(とびうめ)伝説」がありまして、道真公の庭の梅が、主人を慕って京の都から一晩にして道真公の住む屋敷の庭まで飛んできたと伝えられております。
伝説では、道真公は屋敷内の庭木のうち、日頃から大事にしてきた、梅の木・桜の木・松の木との別れをとりわけ惜しんだとのことです。

道真公を慕う庭木たちの中で、桜の木は、主人が遠い所へ往ってしまうことを知って、悲しみのあまり、葉を落とし、遂には枯れてしまったそうです。
梅の木と松の木は、道真公を想う気持ちが募って、空を飛んで追いかけたのですが、松の木の方は、やはり「飛松伝説」と言われておりますが、途中で力尽きてしまい、摂津国八部郡板宿(現在の神戸市須磨区板宿町)近くの丘に降り立ち、この地に根を下ろしたそうです。

そして、梅の木だけが、見事に一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでいき、その地に降り立って道真公の配所に根づいたと伝えられております。
現在、大宰府天満宮の境内、本殿前の左近に植えられており、御神木として知られる梅の木の名称が「飛梅」であり、境内の梅の中で毎年一番に咲き始めるそうです。

梅の花は、万人に愛されていることから、別名の数も多く、「春告草(はるつげぐさ)」などの古名でも呼ばれます。
また、春の花の中で、梅は桃や桜よりも一早く花を咲かせますので、「春の兄」とも呼ばれております。

古典俳諧の世界からは、江戸時代を代表する三大俳人、芭蕉・蕪村・一茶が「梅」を詠んだ俳句を幾つか紹介させていただきます。
「梅が香」や「梅」を詠んだ俳句は多いですが、春の到来を詠いつつ、まだまだ寒さや日の短さを織り込んだ句も目立ちます。

 「梅が香に 追ひもどさるる 寒さかな」      松尾芭蕉
 「梅が香に のつと日の出る 山路かな」      松尾芭蕉
 「梅が香に 夕暮早き 麓かな」          与謝蕪村
 「梅が香の 立ちのぼりてや 月の暈(かさ)」   与謝蕪村
 「梅が香に 障子開ければ 月夜哉」        小林一茶
 「梅咲や せうじ(障子)に猫の 影法師」     小林一茶

日本絵画の世界でも、「梅」は代表的な画題の一つですが、なかでも尾形光琳の描いた『紅白梅図屏風』などは有名です。
絵の真ん中、画面の大部分を漆黒の川で埋め尽くしており、黄金の両岸が背景となる中、両端に紅白の梅が配置されており、従来の日本画の常識を逸脱した独創的な構図です。

光琳の晩年の傑作であり、国宝に指定されております。現在、静岡県熱海市にあるMOA美術館に所蔵されております。

新年最初の東風を「初東風」と呼びます。
寒い季節が続くものの、北風が時に東風に変わり、梅の花が咲き始める頃合い、春の足音に耳を澄ませ、五感を研ぎ澄ませて微かな春を感じる余裕を持った暮らしを心掛けましょう。

そして「風待草(かぜまちぐさ)」とも呼ばれる梅の花。
梅には花梅と実梅がありますが、いわゆる花梅は、白梅と紅梅を基本にしつつ、薄紅色や枝垂れ・八重などもあり、なかなか品種が豊かであり、香りも品種によって少しずつ異なるようです。
品種としては、「野梅系」「緋梅系」「豊後系」などの系統があるようで、品種としては300種以上に及ぶとのことで、風雅な名称のついた品種などもあります。

一番早く春を知らせてくれる花梅、そのかわいい花の姿や色艶を愛でて、ほのかな甘い香りも少し嗅いでみて、春の訪れを実感できる機会に早くめぐり合いたいものです。
そして、春を先取りして、前向きな気持ちで、先行きに希望や明るさも見い出しながら、年頭の抱負なども踏まえた自分の課題に改めて向き合い、本格的に取り組んでいきたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第72候>鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく)1月30日は、七十二候は72候、大寒の末候、『鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく)』の始期です。鶏が、日脚の伸びに春の気配を感じて、鳥屋に入って卵を産...
29/01/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第72候>
鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく)

1月30日は、七十二候は72候、大寒の末候、『鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく)』の始期です。
鶏が、日脚の伸びに春の気配を感じて、鳥屋に入って卵を産み始める頃。

一年の暦の最後を飾る72番目の候、「晩冬」のクライマックスには、鶏(にわとり)が登場し、直ぐそこにまで近づいて来た春への橋渡しをします。
一日の周期の中で、暗い夜が明けて朝が来るのを知らせる鶏ですが、一年の周期の中では、長い冬の終わりを告げる象徴として重要な役割を果たしております。

これまで、『小寒』と『大寒』では、初候・次候・末候の3候とも、各々共通するテーマを取り扱って呼応しているとして、コントラストを効かせて解説してきました。

『大寒』の節気の三候は、初候は、植物&食物の「款冬(ふき)」、蕗の薹(ふきのとう)が雪の下から顔を出して春の兆しを伝えた後、次候は、自然&水系の「水沢(さわみず)」、沢を流れる水さえも氷となって厚く堅く張りつめ、まさに厳冬・極寒のピークを迎えていることを示し、この末候は、生き物&鳥の「鶏(にわとり)」が登場して、再び微かな春の気配を取り扱う形で、『大寒』全体としての流れやストーリーが完結しています。

末候の主題にフォーカスすると、『小寒』の末候・69候は『雉始雊(きじ はじめてなく)』であり、この72候と共に、日本に生きる身近な鳥が主役となっており、雉から鶏へと、生き物&鳥としての季節の物語を繋いでおり、いずれも冬の風景の中で地に足をつけた姿にて、春の胎動を伝えています。

七十二候のテーマの中で、生き物は24の候に登場しますが、鳥はその中では最も多く、春には、『立春』の「黄鶯(うぐいす)」、『春分』の「雀」、『清明』の「玄鳥(つばめ)」「鴻雁(こうがん)=雁(かり)」、夏は『小暑』の「鷹」、秋では、『白露』の「鶺鴒(せきれい)」「玄鳥」、『寒露』の「鴻雁」、冬は『小寒』の「雉」・『大寒』の「鶏」と合わせて、日本の季節を象徴する8種の鳥たちが10の候に連なります。

「乳」の字は「産む」という意味ですが、「とや(鳥屋)につく」と読ませることで、鶏が産卵のために鶏小屋に入る、すなわち、巣に籠もるという意味を表しています。
『小寒』には、雉の雄が甲高く鳴き始め、雌への求愛の季節を迎えましたが、『大寒』も大詰めを迎え、『立春』を目前にして、雌の鶏が産卵を始める風景に、春の予感が確かに感じ取れるように思います。

鶏は、世界中で飼育されている代表的な家禽であり、養鶏の歴史は古く、紀元前数千年前に遡り、人類が農耕生活を始めて以来の長い歴史と変遷や広がりを持っております。
養鶏の産業化で、今では一年中、卵を食べられますが、もともと自然な状態において、鶏は冬の間は基本的に卵を産まず、産卵期は春から夏にかけてで、日照時間が伸びるに連れて産卵率が上がっていきます。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

鶏の起源については、単元説と多元説があり、一般的には、チャールズ・ダーウィンの祖父、エラズマス・ダーウィンの研究を踏まえ、単元説、すなわち、東南アジアの密林や竹林に生息している「赤色野鶏(セキショクヤケイ)」を祖先とする説が知られておりますが、遺伝子解析により、「赤色野鶏」に加えて、南西インドに棲む「灰色野鶏(ハイイロヤケイ)」も交雑しているとする多元説も有力であり、家畜化の過程とも相まって重要な研究テーマの一つです。

赤色野鶏は、容姿は鶏に似ておりますが、飛ぶ能力も備えた野鳥です。最初に家禽化された目的は、食用ではなく、朝一番に大きな声で鳴く習性を利用することからで、目覚ましや祭祀に用いられ、また、縄張り意識の強い雄の習性を利用して、闘鶏にも用いられました。
その後、間もなく肉や卵が食用とされるようになり、主目的はそちらに移る中で、にわとりの飼育が世界各地へと時間をかけて広がっていったようです。

インダス文明のモヘンジョ・ダロの遺跡からは、にわとりの粘土像・印章と大腿骨が出土しており、鶏の存在を表す最古の証拠と言われております。
鶏は、その後、3方向に分かれて伝播していったようで、西方は西アジアからギリシアへ、北方からは中国に伝わって東方の韓国・日本へ、南方からはマレー半島からインドネシアや南太平洋へと、東西南北の文明へと食文化も含めて伝播が進んでいきました。

日本には、弥生時代に伝来したとされ、「時告げ鳥」として神聖視されていたようです。呼び名は、鳴き声から「かけ」、あるいは、庭にいるので「にわつとり」と呼んでいたようです。
古事記の天岩戸の神話には鶏の記述があり、天の岩戸に隠れてしまった天照大神を「常世の長鳴き鳥を集めて鳴かしめて」引き出そうとした、とのくだりがあります。

毎日毎日、日の出とともに大きな声で鳴くことで、人々に新しい一日の始まりを知らせてくれる鶏ですが、一年という長い周期の中でも、人間には感じ取れない微妙な変化を察知して、いち早く巣籠もりを始め、冬が最終章を迎え、春の気が近づいてきているのを教えてくれます。

古典俳諧の世界では、江戸時代の三大俳人のひとり、小林一茶が「鶏」を春の情景に詠んでいる俳句がありましたので、紹介します。

 「鶏の つゝきとかすや 門の雪」     小林一茶
 「鶏の 坐敷を歩く 日永かな」      小林一茶

日本の絵画の世界では、与謝蕪村と同時代を生きた伊藤若冲が数多くの鶏の絵を描いており、美術史に残る傑作を後世に残しております。

若冲は、家の庭に何十羽もの鶏を飼って写生をしていたことで知られておりますが、リアルで生命力のみなぎる繊細な描写はとてもインパクトがあります。
鶴や鸚鵡(おうむ)から鳳凰まで含めて、鳥の絵は多いのですが、なかでも鶏に関しては、様々な構図にて超絶技巧を発揮した絵を描いており、「鶏の画家」とも言われるほどです。

来たる2月2日は、『立春』の前日の「節分」。「節分」は通例は昨年同様3日となりますが、今年は、4年前に明治30年(1897年)以来124年ぶりに2日となったのに続いて、2日となっております。
「立春」の日は、「太陽黄経」が315度になる瞬間が属する日として国立天文台が定め、年によって変動します。2021年以降2057年までは4年に1回は2日になるようです。

「節分」とは、雑節の一つで、もともとは『立春』『立夏』『立秋』『立冬』という各季節の始まりの日の前日を指していますが、季節の変わり目に生じると考えられている邪気(鬼)を追い払う重要な日として、特に『立春』の前日は、新たな年を迎えることから、古代の中国に由来して、平安時代には「追儺(ついな)」や「鬼遣(おにやらい)」と呼ばれる宮中行事が行われるようになりました。
「節分」は、室町時代には更に重要な日と位置付けられるようになり、江戸時代以降は行事や風習として庶民にも定着していきました。

各地で悪霊祓いの行事が執り行われますが、「豆を炒る」=「魔目を射る」ことで「魔滅(まめ)」に通じる豆撒きを行うなどして、邪気を祓って一年の無病息災を願います。
まだまだ寒い日々が続きますが、暦の上では春の扉の一歩手前、邪気を追い払う習わしと共に、しっかりと心はプロアクティブに切り替えて、新たな季節の始まりを迎えたいものです。

今年も、春の到来を前にして、邪気を祓い退け、周囲の負のエネルギーを払拭し、「守り」一辺倒の暮らしではなく、将来に向けての「攻め」の姿勢や行動も旗幟鮮明にしていきたいところです。
「鬼は外、福は内」、鬼祓いの掛け声をしながら、ご家族や友人と楽しく勢いよく豆まきをして、来たる一年の健康を願い、また、幸運を呼び込んでいきたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第71候>『水沢腹堅(さわみず こおりつめる)1月25日は、七十二候は71候、大寒の次候、『水沢腹堅(さわみず こおりつめる)』の始期です。極寒のピークを迎えて、沢を流れる水さえも氷となり、厚く堅く張りつ...
24/01/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第71候>
『水沢腹堅(さわみず こおりつめる)

1月25日は、七十二候は71候、大寒の次候、『水沢腹堅(さわみず こおりつめる)』の始期です。
極寒のピークを迎えて、沢を流れる水さえも氷となり、厚く堅く張りつめる頃。

『大寒』の節気は、初候は『小寒』の「芹」に対して「蕗の薹」、この次候は『小寒』の「水泉」に対して「水沢」、末候は『小寒』の「雉」に対して「鶏」と連なり、各々が『小寒』と共通するテーマを取り扱う形になっており、初候や末候では動植物が登場して、春の兆しや微かな気配に意識を向かわせてくれます。

一方、次候については、『小寒』の68候は『水泉動(しみず あたたかをふくむ)』であり、目に見えない地中で、時に春の兆候があることを表しているのに対して、今回の71候は、「晩冬」の時季にあって、6つの候の中で唯一、厳冬の風景を表し、自然界の厳しさをストレートに伝えるものとなっています。

『立春』の「氷」以来、春の「霞」、夏の「大雨」、秋の「霧」「露」「霜」「霎(こさめ)」、冬の「凍」「雪」と繋がり、「雷」や「虹」も含め、広い意味で20の候が「水」に関係しています。
その中で「晩冬」では、自然の水系というテーマにおいて、風景のコントラストが絶妙であり、七十二候全体の中で、この候は厳冬の極み、極寒や酷寒を象徴しております。

『小寒』では地中で凍っていた泉の水が少し融けて動き始めましたが、『大寒』の真ん中の候においては、厳冬のピークを告げるように、静謐な氷の世界が出現します。
地中や雪の下では春の兆しが始まっているとはいっても、地上は真冬そのもの、全国的に寒さの極致を迎え、油断ならない正念場の時季が到来したことを人々に伝えているようです。

この時季は、強い寒気が日本列島に流れ込みやすい時期であり、朝晩に氷点下に達する地域も広がって、年間の最低気温を記録することも多くなります。
日本において観測史上で最も低い最低気温はマイナス41℃、北海道旭川にて、1世紀以上前の1902年、日付は正に1月25日に観測されています。

また、一日の最高気温が一年で最も低い水準になるのも今時分であり、観測史上最低位の一日最高気温も、1936年の富士山のマイナス32℃を筆頭に、1月下旬に集中しているようです。
マイナス40℃やマイナス30℃を越えるというのは、普段の生活からは想像を絶する世界ですが、程度の差はあれ、毎年、一年で最も寒さの厳しい時季を迎えていることがわかります。

ご存知の通り、外の温度が氷点下に下がっていく中で、水が凍って氷となり、氷は水が固体状態になってできます。
水の結晶は、水素結合という原子同士の特殊な結合をベースとしておりますが、温度や圧力の領域に応じて、水素結合の配置の仕方や密度が変わってくるようです。

一般的にはあまり知られておりませんが、科学的に分析すると、氷には水素結合の状態に応じて様々な種類が存在し、これまでの研究でわかっているだけでも、氷には宇宙に存在するものも含めて17の種類あるとのことであり、今後、更に新たな多形の氷が発見される可能性もあるそうです。

氷には、様々な呼び方があり、地上にできた氷としては、「霜」や「氷柱(つらら)」が一般的ですが、樹木に付いた場合は「霧氷」や「樹氷」と呼ばれます。
沢の水など河川の水は凍ると「河氷」、湖の水は凍ると「湖氷」、海の水は凍ると「海氷」と呼ばれ、北海道のオホーツク海沿岸でこの時季から観測され始める「流氷」は「海氷」の一種です。

滝の水が凍ると「氷瀑(ひょうばく)」と呼ばれ、引力で勢いよく落下していた水が凍りついて、辺りの情景は動から静へと一転します。
自然が創り出す美しい造形の風景は、「氷瀑まつり」が開かれる北海道の層雲峡をはじめ、東北各県や関東の一部の県などで見られ、全国各地で貴重な名所となっております。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
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古典俳諧の世界からは、69候の「雉」、70候の「蕗の薹」に続いて、江戸時代を代表する三大俳人、芭蕉・蕪村・一茶を取り上げて、極限の寒さや冬の風景を表す俳句を紹介します。

 「から鮭も 空也の痩も 寒の内」    松尾芭蕉
 「寒月や 門なき寺の 天高し」     与謝蕪村
 「見てさへや 惣身にひびく 寒の水」  小林一茶

芭蕉の句のみ解説しますと、「から鮭」は、寒中に作られ、痩せ細ったものの象徴のような風物であり、「空也」は、「空也上人」その人というより、冬の間に48日間の寒中修行で街を行脚する「空也僧」を指しているそうです。
腰に瓢箪をつけ、鉢を叩きながら、念仏や和讃を唱える「空也僧」と「から鮭(干鮭)」を結びつけて、「痩(やせ)」という表現と「か行」で始まる五・七・五で、「寒の内」の乾燥して寒気・冷気の極まった情景を見事に表しています。

真冬の極み、氷点下の世界が到来し、辺りには氷雪の風景も拡がりますが、俳句の世界では、この時季に「春隣(はるとなり)」という季語も使われるように、あと2候で「立春」を迎えます。
目には見えていなくても、すぐ隣まで来ている春を感じながら、寒さに備えつつも、寒さに負けず、しっかりと対峙して、凛とした心を持って、厳冬を乗り越えていきたいものです。

近年は、電力需給ひっ迫と電力料金の値上げの動向に関して簡単なコメントをさせていただいております。

電力需給の方は、4年前に冬場中心にひっ迫する深刻な事態があり、3年前には初めて「電力ひっ迫警報」が発令され、冬には全国最大需要を更新したものの、各エリアとも安定供給を確保して需給ひっ迫は回避されました。
毎年の追加供給力対策が更新され、節電効果もある中、一昨年は夏に記録的暑さの影響が心配されたものの電力需給は改善安定、昨年は夏冬とも予備電力率3%以上を確保、猛暑で最大需要は増加傾向ながら、総じて需給は安定的に推移しております。

電力料金の値上がりの方は、脱炭素で再生可能エネルギー導入が拡大する一方、化石燃料の火力発電の投資が減退、加えて3年前からはロシア・ウクライナ問題の影響や急激な円安進行を受けて天然ガスや石炭などの燃料価格が大幅に高騰、インフレ傾向が進む中、家計の負担が大幅に増加し、企業のエネルギーコストも急激に上昇し、深刻な問題となり、その後も高止まりする中、政府の支援補助策も何度か発令され、負担が部分的には抑制されております。

具体的には、一昨年からは、政府の家庭・企業の負担軽減の為の支援(激変緩和措置)が適用され、燃料調整費が下がり、値上がりの影響は緩和、その後、緩和効果が段階的に低下・消滅した後、昨年夏には期間限定で酷暑乗切り支援が発動され、また今年1月からは負担軽減支援の補助金が適用されております。そうした中、ユーザーサイドでは、冬と夏の季節を通して節電の意識と行動が着実に浸透・定着してきているようです。

今年も、極寒の時季を迎えて、先ずは、健康の維持が最優先ですので、身体を温めるのに大切な暖房を有効に活用することを基本として、無理な対応は避けるべきとは思いますが、一昨年以来、国民の間に浸透してきている節電意識を風化させることなく、例えば、省エネに資する機器を導入する、重ね着をして暖房温度を調整する、不要な照明は消すなど、生活に支障のない範囲での節電を心掛けたいものです。

また、この機会に、日本のエネルギー政策にも改めて一層の関心を持ち、エネルギー安全保障問題への認識も高め、電力の安定供給と電力料金の安定化、電力自由化との両立などの課題に理解を深めつつ、長期的視点から大きな潮流を踏まえて、時流に流されず、地球温暖化対策として脱炭素へのエネルギー転換推進を着実に図るなど、エネルギー政策の全体像と重要テーマへと視野を広げ、適切かつ地道に行動していくことが大切と思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第70候>款冬華(ふきのはなさく・ふきのとうかおをだす)1月20日は、二十四節気は『大寒』、周囲に氷や霜が張って、一年で最も寒さが厳しくなる、最後の節気を迎えましたが、『小寒』に続いて、少しずつではありま...
19/01/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第70候>

款冬華(ふきのはなさく・ふきのとうかおをだす)

1月20日は、二十四節気は『大寒』、周囲に氷や霜が張って、一年で最も寒さが厳しくなる、最後の節気を迎えましたが、『小寒』に続いて、少しずつではありますが、春の兆しを感じられる事象が見られる時季でもあります。

七十二候は70候、大寒の初候、『款冬華(ふきのはなさく・ふきのとうかおをだす)』の始期です。
蕗の薹(ふきのとう)が雪の下から顔を出す頃。

「寒中」の後半である『大寒』の節気は、「寒中」の前半を為す『小寒』の初候「芹」、次候「水泉」、末候「雉」の後を受けて、初候は「蕗」、次候は「水沢」、末候は「鶏」となり、見事なまでに、初候は「植物&食物」、次候は「自然&水系」、末候は「生き物&鳥」とテーマが呼応し、言わば季節の風物の三大テーマが織り成す形で、来たるべき春に向けて、七十二候もクライマックスを迎えます。

『小寒』と『大寒』で共通するテーマを取り扱う中、特に初候は「芹」と「蕗」、いずれも日本古来の菜と言われる植物です。

植物シリーズとしては、立春の「東風」や「鶯」で想起される「梅」など、広く関連する脇役のテーマも含めると、実に32の候を数え上げることができます。
植物は、日本人の生活や文化と密接に結びついており、七十二候の中で最も多く登場し、主流を為すテーマと言えます。

そのうち、「蕗」のように、特定の種が主役となるものとしては、24の候が挙げられます。更にそのうち、食物としては、8の候を挙げることができます。
春こそありませんが、夏の「竹笋(たけのこ)」「麦(の実り)」「梅子(うめのみ)」、秋の「禾(のぎ)」で表される「稲(の実り)」、冬の「橘」「麦(の芽)」「芹」「蕗」です。

「款冬華」は、字の読み方として「ふきのはなさく」が一般的ですが、実際に蕗が花を咲かせるのは2~3月であり、この時季の七十二候の意味合いとしては「ふきのとうかおをだす」ということになります。

山菜の「ふき」は、『小寒』の芹と同じく、数少ない古来からの日本原産の野菜であり、日本の代表的な山菜の一つです。
漢字としては、現代では「蕗」が一番使われておりますが、それ以外にも「款冬」「苳」「菜蕗」という字も当てられています。

蕗の薹は、蕗(ふき)の花芽のことで、雪が降り積もるこの時季、黄色がかった蕾(つぼみ)を出します。
凍てついた地面の下で、春に向けての植物としての支度は着々と進んでいるようです。

呼び名の「ふき」は、冬に黄色に近い花をつけるため、「冬黄(ふゆき)」が短縮されたことに由来するそうで、漢字の方も、幾つか「冬」が入っているところ、真冬に春の訪れを感じさせる象徴の一つと言えそうです。

蕗は、縄文時代には既に食べられていたようで、奈良時代末期の万葉の時代には市場での取扱いも行われ、平安時代には栽培が始まっております。
蕗の薹も蕗の葉柄も、古くから食用に供され、生命力を身体に取り込むことで若返りに効くとされ、薬用にも利用されてきました。

実際のところ、強い抗酸化作用があって、新陳代謝を活発にして細胞を若返らせますし、カリウム・ビタミン群・食物繊維など様々な栄養を含んでいて、アンチエイジングの効能やデトックス効果を有しており、抗アレルギー成分も含むことから、花粉症の症状を緩和する働きもあるようです。

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野生種の蕗は、山の沢や河川の土手など、水が豊富であまり風が吹かないところで、自生しています。

関東北部から東北・北海道にかけては、2mほどに伸びる巨大な蕗の亜種、「秋田蕗」が自生しており、北海道・足寄町の螺湾川(らわんがわ)に沿って自生する「ラワンブキ」の高さは3m以上にも達し、日本で一番大きな蕗として知られています。

現在各地で栽培されているものの多くは「愛知早生(あいちわせ)」という品種であり、尾張蕗とも呼ばれ、市場の6割くらいを占めているようです。
他に、水蕗(みずふき)・京蕗(きょうふき)という品種もあり、また、山野に自生する山蕗(やまぶき)もあれば、栽培されている秋田蕗もあるようです。

俳句では、「蕗」は夏の季語、「蕗の薹」は春の季語であり、必ずしも今の時季ではありませんが、江戸時代の三大俳人、芭蕉・蕪村・一茶が詠んだ句がありましたので、紹介させていただきます。

「蕗の薹」や「蕗の芽」を詠んだ句の方は、冬の風景の中で、蕗の蕾や花芽を見つけて、春の息吹や命の徴を身近に感じた心境が伝わってきます。

 「蕗の芽を 降りかくしけり 春の雪」         松尾芭蕉
 「莟(つぼみ)とは 汝(なれ)も知らずよ 蕗の薹」   与謝蕪村
 「草の戸に 春は来にけり 蕗の薹」          小林一茶

夏の「蕗」については、一茶の「蕗の葉」を詠んだ次の句は、とても親しみやすく分かりやすい俳句で、今は遠い先の夏の情景に少し想いを馳せる感じで鑑賞できます。

 「蕗の葉に 飛んでひっくり 蛙かな」         小林一茶
 「蕗の葉に ぽんと穴あく 暑さかな」         小林一茶

七十二候も終盤を迎えますが、昔の人は、凍てつく冬の中で感性を研ぎ澄ませ、微かな春の気配を一つ一つ感じ取りながら、春に向けて一歩一歩、前向きなマインドセットと身体の活性化を着実に行って、厳しい時季を乗りきっていたように改めて感じる次第です。

芹をはじめとする春の七草(小寒の初候)に続いて、『大寒』の蕗、「春の使者」とも言われる日本古来の山菜を有り難くいただいて、その独特の香りとほろ苦さを味わいながら、今風に言えば、マインドフルネスを意識して呼吸と姿勢を整え、やがて訪れる春に向けて、心身の働きを活発にして、今現在として出来ることに集中していきたいものです。

全体としては、健康的な適切な食事・適度の運動・充分な睡眠を心掛けながら、例えば、夜は早めに切り上げて、自宅でリラックスする時間を増やすなどして、メリハリの効いた生活リズムを意識して、暮らしに緩急をつけながら、春の到来を待ちつつ、今暫くは続く冬の時季をしっかりと充実した毎日にしていきましょう。

「寒中」もちょうど半分が経過し、晩冬の厳しい寒さも今がピークを迎えております。
心して対峙して、将来に向けて前向きな気持ちを持って、試練の時を乗り越えていきたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第64候>雉始雊(きじ はじめてなく)1月15日は、七十二候では69候、小寒の末候、『雉始雊(きじ はじめてなく)』の始期です。雉の雄が甲高く鳴き始め、雌への求愛の季節を迎える頃。『小寒』の節気の七十二候...
14/01/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第64候>
雉始雊(きじ はじめてなく)
1月15日は、七十二候では69候、小寒の末候、『雉始雊(きじ はじめてなく)』の始期です。
雉の雄が甲高く鳴き始め、雌への求愛の季節を迎える頃。

『小寒』の節気の七十二候は、一年で一番寒い「寒中」の前半にありながら、いずれも、微かな春の気配、春への胎動を取り扱っております。
初候は、旬を迎える「芹」の生育、次候は、氷から溶けて動き始める「泉」の水と続きまして、この末候は、日本古来の鳥の繁殖に向けての活動がテーマです。

二十四節気・七十二候も、残り一節気・三候を残すのみですが、鳥シリーズとしては、『立春』の「黄鶯(うぐいす)」から始まり、「雀」「玄鳥(つばめ)」「鴻雁(こうがん)」と春に4種、夏には「鷹」の1種、秋に「鶺鴒(せきれい)」と再びの「玄鳥」「鴻雁」で3種と、日本人に馴染みの深い鳥や渡り鳥が登場してきましたが、今回の「雉」は特に鳴き声で存在感を示し、最後の「鶏」へと繋ぎます。

冬は「晩冬」にのみ2種であり、年間では8種の鳥が10の候において季節の移ろいを告げる構成になっております。
日本には「花鳥風月」という言葉があるように、鳥は生き物の中で日本の美しい自然の風景を代表する風物であることを改めて感じます。

この時季、まだまだ寒さの厳しい山間部に、雄の雉の声がこだまします。
雉の求愛の特徴としては、まず、ケーンケーンという甲高い声で鳴いて、縄張りを宣言しながら、雌へのアピールを行うことです。

そして、高らかに鳴いた後、「母衣打ち(ほろうち)」と呼ばれる動作で、両翼を広げて胴体に打ちつけるように激しく振り、ドドドドドッと羽音を鳴らします。
「母衣(ほろ)」とは、武士が古くから使う由緒ある道具の一つで、鎧の背などに装着して、流れ矢や石を防御した幅広の布状の武具であり、勇ましい羽音が山あいに響きます。

雉の雄は、翼と尾羽は茶褐色ですが、胴体は美しい緑色に覆われ、背には濃い茶色に褐色の班、頭部は青緑で目の周りには赤い肉腫があり、美しく華やかな出立ちで目立ちます。
他方、雌の方は、全体として茶褐色と地味で、鳴き声もチョッチョッと割とかわいい声です。大きさも、雄が長い尾も含めて80cm程度、雌は60cm程度と差があります。

雉の雄は、独特の鳴き声や母衣打ちに加えて、ほかの鳥の雌雄にも見られるように、その美麗な姿でも雌を惹きつけようとします。

雉は、飛ぶことはあまり得意でないようですが、健脚でありまして、「雉」という漢字が「矢」と「隹」(=とりの意味)から出来ているように、地上を矢のような速さで走り抜けることができる鳥であり、一説には時速30キロメートル台も記録したとも言われております。

また、雉の足裏には振動を敏感に察知する感覚細胞というものがあり、人体で知覚出来ないような地震の初期微動を知覚できるため、人間より数秒早く地震を察知することができるとも言われております。
さらに、雄の雉は力が強く、身体に巻き付いた蛇を断ち切ってしまうほどとも言われており、その勇猛果敢さ、闘争能力を買われて『桃太郎』の話にも抜擢されたということのようです。

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雉は、古来から、『万葉集』などの歌にも詠まれ、夫婦愛や家族愛の強い鳥として、つま(妻と夫)を思い、子を思う気持ちを込めた歌が伝えられており、その中には大伴家持の次の歌もあります。

 「春の野に あさる雉の 妻恋に 己があたりを 人に知れつつ」     大伴家持

「雉は、春の野原で餌を探しまわる時でさえ、妻が恋しいと鳴くので、狩りをする人に己の居場所を知られてしまうよ」ということで、自身の姿を重ねつつ、雉の身を案じて憐れに思う心を詠んでおりますが、この歌がもとになって、雉は「妻恋鳥」と呼ばれることもあります。歌の背景にあるように、雉は古くから狩りの対象となり、平安時代の文献では鶏より古い時代から食肉として登場し、鳴き声を導として矢を放たれておりました。

雉は、諺や慣用句にも、いろいろと登場しますが、「雉も鳴かずば撃たれまい」はとてもポピュラーで、誰でも知っている諺の一つです。
また、草むらに隠れたつもりの雉の姿を表した「雉の草隠れ」から、「頭隠して尻隠さず」という諺も由来しております。

夫婦の絆が強い雉ですが、母性愛の強さでも知られ、「焼け野の雉、夜の鶴」という表現があります。
雉が巣のある野が焼かれた際に自分の命にかえても羽で子や卵を救おうとする姿、鶴が寒い夜に自分の羽で子を温める姿から、親が子を想う情の深いことの喩えとして使われます。

雉は、日本の国鳥とされていますが、これは、戦後間もない頃、日本鳥学会の多数決によって決まったようです。古来より歌や俳句にも詠まれ、諺にも引用され、『桃太郎』の話にも登場する、日本固有の鳥であり、本州をはじめ、北海道等を除く広いエリアで見られるなど、国民にとって親しみ深い鳥であることが大きいようです。

古典俳諧の世界からも、江戸時代の三大俳人、芭蕉・蕪村・一茶の詠んだ雉の句を、ご紹介します。
やはり、いずれも雉の鳴き声を聴いて、各々が感じた情景、出会った風景を表した俳句のようです。想像力を豊かにして鑑賞したいものです。

 「父母の しきりに恋ひし 雉子の声」    松尾芭蕉
 「柴刈に 砦を出るや 雉の聲」       与謝蕪村
 「雉子鳴くや 関八州を 一呑に」      小林一茶

現在は、狩猟や開発の影響で身近には見られなくなっており、毎年、愛鳥週間や狩猟期間前などの時期、大量に放鳥も行われてはおりますが、残念ながら、足環のついた放鳥雉が捕獲される事例は少なく、充分な生息環境が整えられていない中、殆どが他の動物に捕食されてしまっているようです。

日本の雉(キジ)は、胴体の緑色などに特徴があり、ユーラシア大陸に広く分布し、北海道にも移入されている、褐色主体のコウライキジとは異なる種です。
将来的には固有種の絶滅も危惧されていることも踏まえ、雉が安心して生育できる環境を地道に整えて、日本の国鳥と人との末永い共存共栄の世界を守っていきたいと思う次第です。

「寒中」の寒さ厳しいこの時季、先ずは、雉の家族愛や夫婦の絆の強さを見習って、家族を慮ると共に周囲の人も含めて思いやりを持って接し、新しい年の抱負を形にして掲げ、雉のたくましさも参考にしながら、力強く前向きな挑戦をスタートできるように心掛けていきましょう。

世の中の方は、いよいよ米国の政権交代も5日後に迫り、各国の政治状況や国際情勢から目が離せない状況になってきました。
一年を通じて先行きの見通しが読みにくい状態が続きそうですが、一つの転換期にさしかかっていることも念頭に置いてアンテナを高く張り、ぜひ、雉の敏感さや情報収集能力にあやかり、冷静かつ適切に今後の情勢を見極めて、しっかりと不透明な時局を乗り越えて、更なる飛躍及び持続的な成長へと繋げていきたいものです。

【七十二候だより by 久栄社】 <第68候>水泉動(しみず あたたかをふくむ)1月10日は、七十二候は68候、小寒の次候、『水泉動(しみず あたたかをふくむ)』の始期です。寒さが厳しさを迎える「寒中」の時季ながら、ときに、地中で凍っていた...
09/01/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第68候>

水泉動(しみず あたたかをふくむ)

1月10日は、七十二候は68候、小寒の次候、『水泉動(しみず あたたかをふくむ)』の始期です。
寒さが厳しさを迎える「寒中」の時季ながら、ときに、地中で凍っていた泉の水が融けて、動き始める頃。

『小寒』の節気は、「寒の入り」となって、初候は「芹」、末候は「雉」、動植物がこの次候を挟む形でテーマとなっており、生物界では、「晩冬」に入り、寒さが一段と厳しくなる中においても、栄養価の高い日本原産の野菜が生育し、日本古来の鳥について繁殖の為の求愛活動が始まる様子が取り上げられております。

本当にまだまだ微かな春の気配ではありますが、この次候においては、自然界そのものの動きとしても、目に見えないところで、時に春の兆候があることを表しています。
『立春』以来、水・氷・水蒸気は、季節が移ろう中で、地中・地上や空中において、液体・固体・気体など、場所と形を変化しながら、また他のテーマと絡みながら、概ね15の候で登場しています。

この候の「水泉」とは、水が湧きいでる「泉」のことであり、厳しい寒さの中、泉の表面では固い氷が張っていますが、『冬至』から徐々に復活していく大量の光を浴びて、大地が時に暖められて、地中深くでは氷がゆるやかに融けて動き始めていくようです。

景色こそ未だ冬一色で、寒さが更に極まっていく時季でもありますが、少しずつ春に向けての胎動が始まっていることを感じさせてくれる景観です。

しかしながら、暦の上では「寒の内」に入ったばかりであり、これから『大寒』へと向かう中、空気はまだまだ冷たく、厳しい寒さの本番はむしろこれからです。

古典俳諧では、江戸時代の三大俳人の一人、小林一茶には、次の俳句があります。
すき間だらけの壁を通って、容赦なく身に迫ってくる寒さを「づんづと」というユニークな表現で表しており、「寒の入り」しての寒さがインパクトを持って伝わってきます。

 「うす壁に づんづと寒が 入りにけり」      小林一茶

寒さの表現という点では、俳聖とも呼ばれる松尾芭蕉には、次のように目の前の風物から荒涼たる寒さや色彩から連想される澄み切った寒さを詠んだ俳句があります。

 「塩鯛の 歯ぐきも寒し 魚の店」         松尾芭蕉
 「葱白く 洗ひたてたる 寒さ哉」         松尾芭蕉

実感として、この時季はやはり寒さが一段と厳しさを増していく頃合いであり、一時的に氷が緩んで溶け出した水も、再び冷やされて固まることもあり、確かな春の足音はなかなか聞えてこないというのが実情です。
約2週間後に訪れる『大寒』の次候、71候は『水沢腹堅(さわみず こおりつめる)』、寒さのピークを迎えて、沢を流れる水さえも氷となり、張りつめる時候となります。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

『大寒』より前、この『小寒』の時季に実際には寒さのピークを迎えている可能性もあるわけで、昔から人々は、極寒の中に泉の胎動を見い出して、遠い春の微かな兆しを感じて、希望としたと思われます。

『小寒』に続く『大寒』も含めて、春の始まりを告げる『立春』を前にした、「晩冬」の6つの候のうち、今回の『水泉動』も含めて5つの候にて、冬の厳しさの中に春の気配を感じられる事象が連なっていきます。
七十二候の「晩冬」から「初春」にかけての候においては、春の訪れを待ち望む人々の想いや、小さな春の徴(しるし)を愛しむ人々の気持ちが、随所に込められているのを感じます。

さて、毎年1月11日は「鏡開き」です。お正月にお供えして年神様の魂が宿ったといわれる鏡餅を、松の内が明けて、年神様をお送りした後に下げていただいて、無病息災を祈ります。
餅を刃物で切るのは避けて、木槌や手で割って砕きますが、縁起の良い「開く」と言換えて表現します。鏡餅を食することは「歯固め」といい、固いものを食べて歯を丈夫にして長寿を祈ります。

『小寒』から4日目(今年は9日)のことを「寒四朗(かんしろう)」と呼び、この日の天候が一年の麦の収穫に影響があるということで、麦の厄日とされており、晴れれば豊作、雨や雪が降れば凶作となっていたようです。
また、『小寒』から9日目(今年は14日)のことを「寒九(かんく)」と呼び、この日の雨は「寒九の雨」と言われて、こちらの方は暖かい春の到来を告げるものとして、豊作の吉兆とされていたようです。

「寒九」の日に山から湧き出でる清水は「寒九の水」と呼ばれ、寒気と乾燥で雑菌などの繁殖が抑えられて水質が良いことから、一年で一番腐りにくくて澄んでいる水とされ、名酒を仕込んだり、薬を飲むのに適していると言われております。
冬場の寒い時期に仕込む酒自体が「寒仕込み」「寒造り」と呼ばれ、低温で余計な雑菌の繁殖を抑え、もろみをゆっくりと時間をかけて発酵させることで、きめ細やかな良質な酒に仕上がると言われ、酒造りの主流になっていきました。

大豆を発酵させて作る味噌や醤油も「寒仕込み」が好ましいとされており、干物も「寒風干し」が一番、魚が傷むことなく身が締まって発酵熟成できます。冬は、美味しいものの仕込みの季節とも言えます。
「寒中」ではありますが、時に春の兆しや気配を感じとり、まだまだ来ない遠い春への長い歩みを一歩一歩楽しみながら、水の大切さに感謝し、寒さからの恩恵があることも前向きにとらえて、元気良く乗りきっていきたいものです。

考えてみますと、自然だけではなく、政治・社会・経済など、個人や企業を取り巻く環境に関しても、いつの時代も、先行きに期待が持てる兆候もあれば、不安や厳しさを感じる兆候もあります。

今年は先ず、米国では大統領選挙の結果を受けて間近に政権交代が迫っており、大きな政策変更が予想される中、社会・経済に与える影響に強い関心が集まっております。
また、G7など先進国を中心に内外の政治状況が流動的であり、全般的に先行き不透明感が漂う中での新年スタートという状況のように感じます。

大切なのは、決して楽観にも悲観にも片寄ることなく、しっかりと先を読み、情勢を冷静に見極めて、明るい将来が開けるように舵取りをして、プロアクティブな姿勢を貫いて取り組んでいくことです。
この時期、厳しい環境も想定しつつ、新たな仕込みに積極的に注力することで、いつかは必ず訪れる春の時季に向けて、自分自身を鍛え磨き上げつつ、じっくりと着実に布石を打っていきたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第67候>芹乃栄(せり すなわちさかう)1月5日は、二十四節気では『小寒』、いわゆる「寒の入り」であり、いよいよ一年で寒さが最も厳しくなる時季を迎えます。『小寒』から『大寒』へと続いて、立春の前日の節分ま...
04/01/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第67候>
芹乃栄(せり すなわちさかう)

1月5日は、二十四節気では『小寒』、いわゆる「寒の入り」であり、いよいよ一年で寒さが最も厳しくなる時季を迎えます。
『小寒』から『大寒』へと続いて、立春の前日の節分までの約一ヶ月間は、「寒中」または「寒の内」と呼ばれ、寒さがピークに達していきます。

寒さが厳しさを迎える折に、相手の方の健康を気遣う旨の季節の便り、いわゆる「寒中見舞い」を出す時期とされています。
暑さの方は、「暑中見舞い」の後、立秋からは「残暑見舞い」となるように、寒さの方も、「寒中見舞い」の後、立春からは「余寒見舞い」となります。

七十二候では67候、小寒の初候、『芹乃栄(せり すなわちさかう)』の始期です。
冬の寒さの中、芹が盛んに育って旬を迎えていく頃。

『小寒』の節気のテーマは、初候は、植物シリーズ&食物シリーズの「芹」、続く次候は、自然シリーズ&水シリーズの「水泉」、そして末候は、生き物シリーズ&鳥シリーズの「雉」と連なっており、言わば三大テーマがバランス良く揃っている数少ない節気の一つとなっております。

年が改まり、「仲冬」は過ぎ去り、「晩冬」に至って、植物界での生育、自然界での動静、生き物界での求愛を通して、いずれも「微かな春の気配」を表しており、三つの候が、次の『大寒』の三つの候ともテーマ毎に呼応し合いながら、待ち遠しい春への足跡が初めて取り扱われるという展開になっております。

芹は、北半球一帯のほか、オーストラリア大陸にも分布しており、アジアでは古くから野菜として食用に供されており、特に中国では紀元前から続く長い栽培の歴史があるようです。
日本列島にも古くから広く自生しており、芹は、日本最古の野菜として、『古事記』『日本書紀』の時代から文献に登場し、人々の暮らしと深く結びついてきました。

現在、日本で栽培されている野菜は100種に及びますが、古来からの日本原産の野菜は、実は、ふき・みつば・わさび・うど・あしたば等、10種あるかないかというくらいに限られており、なかでも芹は、清らかな白い根をもち、別名を「白根草(しろねぐさ)」とも「根白草(ねじろぐさ)」とも呼ばれ、日本古来の野菜の代表格と言えます。

芹は、湿地や川辺、田んぼの畔道などに群生し、秋に芽を出し、この時季に冷たい水辺の中で勢いよく生育し、1月から4月にかけて旬を迎えます。
他の七十二候で良く使われる「始」(育ち始める)ではなく、「栄」(盛んに育つ)としていることに着目して、芹の持つ勢いや強さを感じる次第です。

「せり」という名は、一箇所から競り合って生える様子に由来していると言われております。とても剛健で栽培しやすい野菜の一つであり、寒さにさらされる中で、細胞内のでんぷんを糖に変えることで甘みを増していくようです。葉・茎・根となるべく余すことなく、いただきたいものです。

1月7日は、五節句の一番目、「人日(じんじつ)の節句」で、春の七草を入れた「七草粥」を朝にいただいて、邪気を祓い、無病息災などを願います。
春の七草には、豊富な滋養と高い薬膳効果があり、「七草粥」は正月の祝膳や祝酒で弱った胃腸を休める意味合いも持った風習です。

芹は、春の七草の中でも筆頭として挙げられており、以下の歌が世の中に浸透している通り、最も滋養や薬効が高いとされております。
「芹(せり) 薺(なずな) 御行(ごぎょう) 繁縷(はこべら) 仏の座(ほとけのざ) 菘(すずな) 蘿蔔(すずしろ) これぞ七草」

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
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聖徳太子(厩戸王)の妃の中には、「膳部 菩岐岐美郎女(かしわで の ほききめのいつらめ)」という最も信頼され寵愛された妃がいますが、聖徳太子との出会いは、母親の為に一心に芹を摘んでいた孝行な娘の姿が目に留まったことに始まるという経緯から、別名を「芹摘姫」と呼ばれています。

芹は『万葉集』の頃から詠まれていますが、百人一首にも入っている、第58代天皇、光孝天皇の詠まれた『古今集』の歌が有名です。

 「君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪は降りつつ」     光孝天皇

この「若菜」こそが春の七草であり、七草を摘む古来からの「若菜摘み」の風習ですが、雪の中、春の若返りの力を集めて「君」に捧げようという想いが伝わってきます。

芹は、日本全国の山野に自生している天然のもののほか、昔から栽培されており、露天の畑(露地)で栽培された露地物、温室などで栽培された栽培物があります。
栽培物の芹は、一見すると、やはり日本原産の三つ葉(みつば)に似ていますが、実は葉の数が異なっており、三つ葉が名前の通り3枚なのに対して、芹の葉は5枚です。

寒の入りの時季に伸び出てきた芹は、「寒芹」とも呼ばれるようで、香りが殊のほか高く、歯切れが良いことで知られ、珍重されるようです。
新しい年の仕事始めに本格的に取り組むにあたり、凍てついた大地から芽生えてくる芹をはじめ、春の七草の滋養やエネルギーをいただいて、お正月明けの身体を整えていきましょう。

古典俳諧の世界からは、先ずは、江戸時代の三大俳人の一人、俳聖と呼ばれた松尾芭蕉の「芹」に因んだ俳句をご紹介します。

 「芹焼や 裾輪の田井の 初氷」    松尾芭蕉

「芹焼」とは鴨の肉を芹や蓮根と共に醤油で味付けした料理のようであり、芭蕉がそのおもてなしを受けた際に詠んだ句です。
芹焼の芹を見て、芹を山裾の日陰の田んぼから採って来てくれたことを思い浮かべて感謝しつつ、来る途中、そこを通った際には初氷が張っていた光景を想い出して、冷たさの中での「寒芹」の収穫であったことを示唆しているように感じます。

今年は、もう一人の三大俳人、与謝蕪村の「七草」の祝膳の光景を身近に詠んだ俳句も紹介したいと思います。

 「七くさや 袴の紐の 片むすび」   与謝蕪村

これは、普段は袴などなかなか着用したことのない人物が、改まった席で袴をはいたものの、慣れないことに加えて緊張もあったのか、慌てて片結びにしてしまった情景を詠んだ句と言われております。
周囲の人々は、気がついて失笑しつつも、めでたい席で寛容に見守っている雰囲気であり、新春らしい和やかな、ほほえましい風景が目の前に浮かび、蕪村らしさも感じられる句のようです。

これから寒さが厳しくなっていくことに覚悟しつつ、年賀状の返事を未だ出せていない方に対して、また、今年もなかなか会えない方に対して、改めて「寒中見舞い」を差し上げて、周りに近づく「微かな春の気配」への感度を上げて、これから少しずつ進んでいく遠い春への道のりを意識して、約1ヶ月間の「晩冬」の日々を楽しみながら暮らしていきたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第66候>謹んで新春のお慶びを申し上げます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。七十二候としては、昨日、つまり昨年12月31日が66候、冬至の末候、『雪下出麦(ゆきわたりて むぎのびる)』の始期です。降り積...
31/12/2024

【七十二候だより by 久栄社】 <第66候>

謹んで新春のお慶びを申し上げます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

七十二候としては、昨日、つまり昨年12月31日が66候、冬至の末候、『雪下出麦(ゆきわたりて むぎのびる)』の始期です。
降り積もった雪の下で、麦がひっそりと芽を出し始める頃。

66候は、2019年・2020年・2022年・2023年・2024年のように1月1日が始期となる年もあれば、2018年・2021年や今年のように12月31日が始期となる年もあります。
今年は、新年のご挨拶を優先させていただいて、一日遅れながら、本日ご案内する次第です。宜しくお願い致します。

新年も、二十四節気としては未だ『冬至』の節気にありますが、『冬至』の初候では「乃東(なつかれくさ)」、冬に生じて夏に枯れる「夏枯草」こと、「靫草(うつぼぐさ)」が芽を出します。
『冬至』と『夏至』に二度登場するこの植物は、『冬至』にあっては「陰中陽」、すなわち「陰の中に陽あり」「陰極まれば陽となる」という陰陽太極の摂理を表現していると考えております。

次候は、「麋(さわしか)」、すなわち、ヘラジカやトナカイなどの大型の鹿の大きな角が冬に抜け落ちる様子をテーマにしており、一年に一度、春には新たな角が生え変わるための道程の起点を表しており、ここでも実は、「陰中陽」に通じる時間の流れを感じることが出来ます。

そして、この末候の「麦」については、冷たい雪の下にて静かに芽を出し始める様子が表されておりますが、今から30候分、ちょうど約5ヶ月の時を経た頃、『夏至』の約3週間前、『小満』の末候、24候にて『麦秋至(むぎのとき いたる)』、「麦」が熟して実りの時を迎え、黄金色に輝く穂をつける頃と対極にあり、こちらも「陰中陽」の摂理や物の見方を体現している主題を為しており、実は『冬至』は全体として、春への希望、夏への展望を人々に想い起させてくれる流れで完結しています。

本日は、まず、お正月の由来についてのおさらいからです。

古来から中国では一年の始まりの月を正月と呼んでおり、正月行事は殷の時代に年末年始の神や祖先を祭る行いをしていたことに起源があるようです。
日本にも早くから伝わっていたようで、6世紀にはお盆と同様に主に先祖を祀る行事であったそうですが、次第に年神様を迎えてその年の豊作を祭る祭事としての性格が強まっていきます。

昔から、元旦には「年神様(としがみさま)」という新年の神様が、一年の幸福をもたらすために各家庭に降臨するとされています。
年神様は、「正月様」や「歳徳神(としとくじん)」とも呼ばれ、祖霊神でありつつ、田の神・山の神でもあって子孫繁栄や五穀豊穣とも深く関わっており、人々に幸福や健康を授けてくれるといいます。

このため、たくさんの幸せを授けてもらうために年神様を迎え入れてお祝いすることが、様々なお正月の行事や風習となりました。
大掃除は年神様をお迎えする前のお清めであり、門松は年神様が迷わずにやって来られるための目印であり、しめ縄やしめ飾りは年神様を迎える神聖な場所を示しています。

また、おせちは年神様に供えるための供物料理であり、鏡餅は年神様へのお供えものであり、お雑煮は年神様に供えた餅を下ろしていただく料理です。
お正月には、他にも、お年玉、書き初め、鏡開きなど、年神様に由来する習慣や風習がいろいろとあります。

「あけましておめでとうございます」という新年のご挨拶にも、無事に年を越して年神様をお迎えできたことに対する、感謝と慶びの気持ちが込められております。

また、1月は古来、旧暦では睦月と呼ばれます。有力な説では、「睦び月(むつびつき)」が睦月になったとされています。
お正月に家族や親戚が集まり、仲睦まじく互いに親しみ合う「睦び合い」の宴を行うことに由来するそうです。

麦は、「年越草(としこしぐさ)」という異名がある通り、越年草の仲間であり、秋のうちに蒔いておいた種が、土の中で徐々に成長して、ちょうど今の時分、雪の下で芽吹きます。
麦は寒さにも強く、辺り一面が雪におおわれている中でも、厚い雪の下でじっと耐えて、少しずづ生命力を蓄えながら、春になって暖かくなるのを静かに待ち続けています。

しかも、日本では「麦踏み」と言って、早春にはせっかく芽吹いた芽を踏む風習があります。これは霜柱による土壌の浮きを防いで根張りを良くするためのもので、伸び過ぎを抑えて穂の出方を均す効果もあるようです。何度か麦踏みをすることで、強い麦に育てることができるそうです。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

「一年の計は元旦にあり」
お正月を家族や親戚や友人などと仲睦まじく楽しみながらも、寒い冬、雪の下で耐えて力を蓄えている麦がやがて大きく育つ姿をイメージして、年の初めに早めの計画・プランを立てて、新しい年が実りある年になるように、前向きな目標や構想をしっかりと掲げて、着実に実行していきましょう。

令和7年、西暦2025年の干支は「乙巳(きのと・み)」です。

十干の「乙」は、陰陽五行思想では「木の弟(陰)」と表記し、昨年の「甲」に次いで、十干の2番目であり、植物など生命の成長の始まりにおいて、かがまっている状態を表し、「伸びる」中にあって「軋(きしる・きしむ)」という「陰」の意味合いもあり、「殻をうち破って外に出た芽が、風雨や寒気にさらされて、いまだ自由に伸長しないで屈曲している状態」を意味しております。

一方、十二支の「巳」は、6番目に位置し、「火の陰」に分類され、成長過程における一つの節目であり、「生命が成熟して、成長が安定しつつ、変化・変容する状態」を表し、また、「蛇」は「再生」や「変化」の象徴とされており、「自らの殻を破って変化を遂げる状態」や「冬ごもりをやめて地表に這い出る状態」から転じて、「物事が一つの形を完成させ、更に新しい段階に進む準備が整った状態」や「従来の枠組みを越えて、新しい物事が表にでてくる状態」を示すという解釈がなされているようです。

十干と十二支の組合せとしては、「木」から「火」への流れは「木生火」の「相生(そうしょう)」の関係にあり、昨年の「相剋(そうこく)」の関係とは異なり、令和2年から5年までの4年間と同様に、陰陽五行では「相生」として、互いを強め合い、相互に作用する相性の良い関係にあるようです。

昨年の「甲辰(きのえ・たつ)」は、新たに物事が始まることがはっきりとして、成長に向けて一歩一歩着実に進む中で、変革や革新が実現していく年になりそうであり、前向きに臨むことが大切である一方で、油断大敵という部分もあり、先を読む力が試される年になることも示唆しているとしました。

今年は、外部の厳しい環境に対峙しながら、しっかりと地歩を固めるとともに、一つの転換期にさしかかっていることも念頭に置いて、現状に執着することなく、更なる飛躍に向けて新たな取組みに踏み込み、次のステージに展開するための布石をしっかりと打って、持続的な成長を企図して前に進むべき年と言えそうです。

新年にあたり、今年も、健康には引き続き充分に留意しつつ、お正月に仲睦まじく親しみ合える機会を積極的に持って、充実した時間を大切に送りながら、新たな時代に照準を合わせて、適切なマイドセットをもって、将来への希望と決意を軸に、年頭らしい抱負や計画・プランを掲げ、前向きにチャレンジして成長と成果に繋げる年にしたいものです。

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