株式会社久栄社 Kyueisha

株式会社久栄社 Kyueisha 水なし印刷やFSC認証紙、カーボンオフセットなどの環境負荷の低減につな? Eco-friendly printing is our strong point. Moreover we have been using Non-VOC Ink which is 100% Soy Based Ink.

私たち久栄社は、企画デザインから、製版、印刷、加工、発送までの印刷のすべてのプロセスをグループ企業での一貫した作業を実現しています。
印刷物においても「環境へのやさしさ」のニーズが高まっている時代の中、“環境対応印刷”に力を入れて取り組んでいます。

「水なし印刷」「Non-VOCインキ、植物油インキ」「FSC認証紙」、これらを組み合わせ、トータルな環境対応印刷で時代を一歩リードする環境対策アドバンテージを印刷物を通して提供しています!

We operate as an all-in-one resource to support a variety of printing. Kyueisha has been recognized us the first Waterless Printing company in Japan, and all our commercial print

ing process has been adopting waterless printing. Waterless printing does not use dampening solutions, which contain alcohol or VOC (Volatile Organic Compounds). Waterless printing eliminates the need for up to 100,000 liter of water and 10,000 liter of alcohol per year consumed by a typical mid-size printer. Using Non-VOC inks helps keep the VOC levels well below the standards of conventional Soy Based Inks. We also are an FSC Certified (Forest Stewardship Council) printer, we participate in a Chain-of-Custody system which insures paper products are manufactured in a responsible manner from responsibly managed forests.

【七十二候だより by 久栄社】 <第54候>楓蔦黄(もみじつた きばむ)11月2日は、七十二候では54候、霜降の末候、『楓蔦黄(もみじつた きばむ)』の始期です。野山の楓(かえで)や蔦(つた)の葉が赤や黄に色づいてくる頃。『霜降』の節気は...
01/11/2024

【七十二候だより by 久栄社】 <第54候>
楓蔦黄(もみじつた きばむ)

11月2日は、七十二候では54候、霜降の末候、『楓蔦黄(もみじつた きばむ)』の始期です。
野山の楓(かえで)や蔦(つた)の葉が赤や黄に色づいてくる頃。

『霜降』の節気は、秋として最後の節気であり、初候は『霜始降花(しもはじめてふる)』、次候は『霎時施(こさめときどきふる)』秋が一段と深まり、冷え込みが厳しくなる中、移ろい行く季節の物語は、「霜」から「霎」へと肌寒さを想わせるテーマを経て、いよいよ最終章を迎えました。

「晩秋」として佳境の時季を迎えて、赤や黄の彩りが山々の上の方から麓へと次第に降りてきます。「紅葉狩り」の季節の到来です。
秋の山が紅葉によって色づく様子は、「山粧う(やまよそおう)」とも表現され、春夏秋冬の季語として「山笑う」「山滴る」「山粧う」「山眠る」のセットで使われます。

紅葉(こうよう)は、北海道の大雪山を手始めにして、北から南へ、山から里へとゆっくりと時間をかけて、日本全体を鮮やかに染め上げていきます。
紅葉の見頃の推移は、春の桜前線と対比して「紅葉前線」と呼ばれ、「桜前線」が北上するのとは逆に、日本列島を徐々に南下していきます。

具体的な見頃は、平野部では、北海道や東北は10月、関東・東海・近畿・中国・四国・九州は11月から12月上旬にかけてであり、山間部などは少し早まります。
「紅葉前線」は、南下と同時に、標高の高い山から低い山へと、山頂から麓へと下りてきます。奈良の吉野山で言えば、奥千本・上千本・中千本・下千本と下って、やはり「桜前線」と逆の順番です。

「紅葉」は「もみじ」とも読み、草木の葉の色が揉み出されてくるという意味の動詞「揉み出(もみず)」が名詞に変化していったようでもともと一般的に紅葉する木々や現象を指す言葉ですが、その後、イロハモミジのような特定の楓(かえで)の種類のことも指すようになったようです。

植物の分類学の上では、モミジと呼ばれる種もカエデと呼ばれる種も、同じカエデ科カエデ属の植物という意味では一緒であり、何か厳格な区別があるわけではないようです。
一方、園芸、特に盆栽の世界では、葉の切れ込みが深い種をモミジ(例:ヤマモミジ)、葉の切れ込みが浅い種をカエデ(例:トウカエデ)として、区別していたりします。
因みに「かえで」の名の由来は「かえるて」、葉の形が蛙(かえる)の手に似ていることから、名づけられたと言われています。

楓などの葉が赤色に染まるのが「紅葉」、黄色に変わるのが「黄葉」で、どちらも「こうよう」と呼びますが、さらに茶色に転じれば「褐葉(かつよう)」というように表され楓のように一つの木でも赤・オレンジ・黄など三色のグラデーションが現れる木もあれば、銀杏のように専ら「黄葉」する木もあります。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

鮮やかな紅色に染まるには、晴れた日が多くて葉が充分な日光を浴びること、昼夜の寒暖の差が大きいことが大切なようです。
そういう条件の下で、アントシアニンが充分に生成された木の葉ほど深紅に染まるということで、一つの木で三色のグラデーションが出来たりするわけです。
他方、銀杏・ポプラ・プラタナス等は、アントシアニンが生成されない種類の木である為、黄色一色に染まるということです。

古来、紅葉の美しく鮮やかな情景は、「錦繍(きんしゅう)」の彩とか表現されるように、絢爛豪華な錦の織物柄に例えられます。
錦を彩る絹糸の色合いとしては、茜(あかね)、紅(べに)、朱、曙、橙、黄蘗(きはだ)、刈安(かりやす)、鬱金(うこん)、朽葉(くちば)など微妙な風合いを表した日本の伝統色の繊細さや豊かさの象徴でもあり、光(ひかり)綾なす紅葉の風景を表現するに相応しい華麗さを持っております。

紅葉は、秋の風物詩として、日本の文化と深く結びついており、絵画や工芸品のテーマとして取り上げられているほか、古来、数多くの和歌や俳句に詠み込まれています。

和歌では、古くは『万葉集』の中で、「黄葉(もみぢ)」を詠んだ歌は100首を越えているそうですが『百人一首』では、秋を詠んだ歌が20首ほどある中、「紅葉」「もみぢ葉」や紅葉の情景を詠んだ歌としては菅原道真や三十六歌仙の在原業平・猿丸大夫など、以下の有名な歌が取り上げられております。

 「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」               猿丸大夫  『古今和歌集』等
 「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」           在原業平  『伊勢物語』等
 「このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山(たむけやま) 紅葉の錦 神のまにまに」  菅原道真  『古今和歌集』等
 「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」            藤原忠平  『拾遺和歌集』等
 「山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり」            春道列樹  『古今和歌集』等
 「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり」               能因法師  『後拾遺和歌集』等

平安中期、『古今和歌集』の後に編纂された『後撰和歌集』には、次のような詠み人知らずの歌があります。

 「もみぢ葉を わけつつゆけば 錦きて 家に帰ると 人や見るらん」           詠み人知らず 『後撰和歌集』

意味としては、紅葉の中をかき分けながら進めば、錦の衣を装って家に帰っていくように人には見えるだろうよ、ということで『百人一首』の格調高い歌とは少し趣きが異なり、身近に接している鮮やかな情景に気が高ぶった心象が伝わってくるようです。

俳句に関しては、古典俳諧の世界から、江戸時代の三大俳人の「紅葉」を詠んだ句を紹介します。

 「蔦の葉は 昔めきたる 紅葉かな」      松尾芭蕉
 「山暮れて 紅葉の朱を 奪いけり」      与謝蕪村
 「日の暮れの 背中淋しき 紅葉かな」     小林一茶

芭蕉の句は、蔦の葉がくすみがかった深紅に染まる様を、昔めいた色の紅葉と表現しています。
蕪村の句は、山に日が落ちて暗くなり、紅葉の色が失われていく様を、紅葉から朱を奪うと言う形で表しています。
一茶の句も、日が暮れてしまい、紅葉の色が夜の闇に消えていく様を、背中淋しきと詠んでいて、それぞれ捉え方の趣きが感じられます。

更に、色のコントラストが織り成す風情に着目して、芭蕉の句を一つ追加で紹介したいと思います。

 「色付くや 豆腐に落て 薄紅葉」       松尾芭蕉

色づいたもののまだ薄い紅葉ですが、桶の中の豆腐の上に落ちたところ、豆腐の白さによって紅葉の色が鮮やかに引き立っている一コマを詠んだ表現が印象的な俳句です。

さて、日本の紅葉の美しさや鮮やかさは、世界有数と言われており、寒暖の差など変化に満ちた気候風土のおかげで、その色の豊富さやグラデーションの繊細さでは群を抜いております。

実は地球上の森林の中で、落葉樹林が広く分布している地域は決して多くはなく、紅葉が見られるのは、東アジア・北米・欧州の一部の地域に限られているようです。
国土の7割を占める日本の森林は、豊富な種類の落葉樹におおわれており、特に海外では“maple”と呼ばれている、モミジやカエデの種の豊かさが特に際立っております。

11月の京都では、古刹の庭園など数えきれない程の名所で見頃の時季を迎えるのをはじめとして、全国各地には紅葉の名所が数多く存在しており、毎年多くの人が訪れて賑わいます。

今年の秋もクライマックスを迎えました。
まだまだ日中は暖かい日もありますが、朝晩の冷え込みにより、着実に「紅葉前線」は日本列島を北から南へ、山から平地へと徐々に迫ってきております。

冬の到来を前にして、積極的に「錦秋」と呼ばれる各地の秋景を訪ね歩いてみたり、身近な地元の隠れた名所に立ち寄る機会などを増やしていきたいところです。

最近では、写真や動画も美しいので、日本全国の絶景や味わい深い風景をネットで探して鑑賞するのも、気分転換や目の保養にもなって良いと思いますが自分自身の眼で静かに向き合える時間をつくり、自然と高揚する気持ちを深く大切に感じながら、錦のように色鮮やかで美しい日本の紅葉を心ゆくまでゆっくりと楽しみたいものです。

【印刷物のCO2排出量算定サービス】久栄社では、ご依頼いただいた印刷見積りと同時にその印刷物のCO2排出量を算定するサービスを開始しました。印刷物のライフサイクル全体で排出される温室効果ガスの量をCO2に換算してCO2排出量を算定します。印...
31/10/2024

【印刷物のCO2排出量算定サービス】

久栄社では、ご依頼いただいた印刷見積りと同時にその印刷物のCO2排出量を算定するサービスを開始しました。
印刷物のライフサイクル全体で排出される温室効果ガスの量をCO2に換算してCO2排出量を算定します。
印刷物では「原材料調達段階」としてインキや紙・刷版等、「生産段階」では印刷機等各工程で使用する電力や工場内の空調・照明、「流通段階」では納品時のトラックの排出量を算定の対象としています。

企業様におけるカーボンニュートラルに向けた取組みなどに是非ご活用ください。
ご利用・ご相談は当社営業担当へご依頼いただくか、HPよりお問い合わせください。

注:特殊な印刷・加工をご希望の案件においては、算定できない場合もあります。
注:見積りの際に算定する数値は概算値となります。正式にご発注いただければ、実際の条件に合わせて別途算出し、J-クレジットを使用したカーボンオフセットもご利用いただけます。

https://www.ecocue.net/top/カーボンフットプリント-カーボンオフセット/

【七十二候だより by 久栄社】 <第53候>霎時施(こさめ ときどきふる)10月28日は、七十二候では53候、霜降の次候、『霎時施(こさめ ときどきふる)』の始期です。時雨がぱらぱらと一時的に降ったりやんだりする頃。秋が深まり、更に気温が...
27/10/2024

【七十二候だより by 久栄社】 <第53候>
霎時施(こさめ ときどきふる)

10月28日は、七十二候では53候、霜降の次候、『霎時施(こさめ ときどきふる)』の始期です。
時雨がぱらぱらと一時的に降ったりやんだりする頃。秋が深まり、更に気温が下がり、落ち葉も目につくようになる時季です。

「霎」という漢字は、訓読みでは「こさめ(小雨)」「しば(し)」、音読みでは「ショウ」「ソウ」と読まれ、ここでいう「こさめ」は「時雨(しぐれ)」の意味合いです。
「時雨」は、主に「晩秋」から「初冬」にかけて降る通り雨であり、思いがけず降ってきては直ぐにやんでしまうような雨を指しています。

因みに、「霎々(しょうしょう)」とは通り雨がぱらぱらと降る音、または風が颯々(さつさつ)と吹く音を表します。
また、「しばし」という読みは、「またたく間」「ほんの少しの間」という意味であり、「霎時(しょうじ)」と言えばちょっとの間・短い時間を表します。

『霜降』の節気は、初侯は二十四節気と同じテーマを取り扱い、朝晩の冷え込みが厳しくなる中、初霜の時季が到来したことを知らせています。
この次候は、段々と肌寒さが増してくる中で、時折り降ってくる「霎(こさめ)」、即ち「時雨」を取り上げて、「晩秋」の深まりを表しているようです。

七十二候で、「雨」がテーマとなるのは、8月初旬、暦の上では夏の終わり、『大暑』の末候『大雨時行(たいうときどきふる)以来です。
秋に入って、「初秋」の「霧」、「仲秋」の「露」、「晩秋」の「霜」と、空気中の水蒸気が季節の移ろいの中で変化してきました。この「時雨」が降る中で、末候の彩りの世界を迎えていきます。

時雨は、9月から10月にかけてしとしとと降り続く、いわゆる秋の長雨とは異なり、晴れていたかと思うと、さーっと降ってきて、また間もなく上がってしまうような断続的な雨です。
「男心と秋の空」や「女心と秋の空」と象徴的に言われるように、「秋の空」は、降り始めたと思っていると、いつの間にかやんでおり、晴れ間が見えたと感じていると、また降り始めるというように、移り気で気まぐれな空模様のことを指しています。

また、時雨の降りそうな空模様のことを「時雨心地(しぐれごごち)」といい、ふいに涙の出そうになる気持ちのことを表現するのにもよく使われています。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

「時雨」は「初冬」の季語として使われます。また、10月の和風の月名は普通には「神無月」ですが、別名としては「時雨月」も使われています。

今回も古典俳諧の世界から、江戸時代の三大俳人の「時雨」を詠んだ俳句を幾つか選んで紹介します。
各人各様に、冒頭の句は、猿、馬、鷺と鶴など、時雨の中に佇む動物の一瞬の風景を見事に詠んでおり、各々の情景が眼前に広がってきます。

松尾芭蕉の忌日は、旧暦十月十二日であり、時雨の時節にこの世を去り、また、芭蕉が時雨を好んで様々な句を遺していることから、「時雨忌」と呼ばれています。
芭蕉の弟子たちに加えて、蕪村や一茶の句にも、「古人」や「芭蕉翁」に想いを馳せて偲んで詠んだ句を見つけることができました。

 「初時雨 猿も小蓑(こみの)を 欲しげなり」   松尾芭蕉
 「旅人と 我が名呼ばれむ 初時雨」        松尾芭蕉
 「人々を しぐれよ宿は 寒くとも」        松尾芭蕉

 「鷺ぬれて 鶴に日のさす しぐれ哉」       与謝蕪村
 「化けさうな 傘かす寺の しぐれかな」      与謝蕪村
 「しぐるるや 我も古人の 夜に似たる」      与謝蕪村

 「夕時雨 馬も古郷を 向いて嘶(な)く」     小林一茶
 「座敷から 湯に飛び入るや 初時雨」       小林一茶
 「はせを(芭蕉)翁の 像と二人や はつ時雨」   小林一茶

時雨は、実際には雨ではないものの、しきりに降ってくるもの、定めもなく不意に現れては消えるものを表す表現としても使われます。
夏の終わりに蝉が命を限りに鳴きたてる様を表した「蝉時雨」は俳句でも馴染みがあって有名ですが、秋に木の葉が盛んに舞い落ちてくる様には『木の葉時雨(このはしぐれ)』という美しい表現が似合います。

さて、「初時雨」は、先程の俳句にも子季語として登場しましたが、その年の秋に初めて降る時雨であり、人々と野山の動植物の両方に冬支度を思い起こさせる合図であると言われております。
秋も深まるこの頃は、ひと雨ごとに空気が冷えて気温が下がり、日ごとに肌寒さが増していき、だんだんと冬へと近づいてまいります。

「一雨一度(ひとあめいちど)」と言う表現が使われるように、雨が降る度ごとに気温が1度ずつ下がっていくと言われている時季でもあります。
雨が上がった後は高気圧に覆われて秋晴れとなり、大陸から冷たい空気が流れこむため、雨の後は少しずつ気温が下がりということのようです。

そして、「晩秋」のこの時季、時雨が降る度ごとに、紅葉はだんだんと色濃く染められていき、彩りが深まっていきます。
「八入(やしお)の雨」という呼び方もあり、これは、染物を染色する際、染料を一度だけ浸すことを「一入(ひとしお)」といい、何度も浸して濃く染めあげることを「八入(やしお)」というところから来ています。

古来から和歌の世界でも、「時雨」と「紅葉」の関係性を意識した歌が多く詠まれてきましたが、『万葉集』の「巻八」には、大伴池主の歌があります。

 「神無月 時雨に逢へる 黄葉(もみじば)の 吹かば散りなむ 風のまにまに」    大伴池主

意味としては、「神無月(十月)の時雨に出会って色づいたもみじの葉は、風が吹いたら吹かれるがままに、散りゆくことでしょう」という感じです。
天平十年(西暦738年)、橘奈良麻呂(左大臣諸兄の子)の邸宅にて宴が行われ、日頃から親しくしていた人々が11名集まって黄葉を詠ったものの一つです。

時雨の度に美しく色づいていく紅葉、一番鮮やかな秋の粧いのシーズンはすぐ近くまで来ていますが、季節が確実に冬へと向かって進んで行くのも静かに感じとり、備えていきたいと思う次第です。
そして11月に入って最初の七十二候、5日後の54候は、いよいよ秋の移ろいの物語を伝えてきた18の候の最後を飾って、『楓蔦黄(もみじつたきばむ)』、深まる秋の最終章が到来します。

日本列島の「紅葉前線」は、既に北は北海道から始まり、徐々に南下していくと共に、本州も高山地帯の山頂付近から始まっており、標高を段々と下げて平野部へと降りてきます。
今年も、予め計画を立てて遠出をして、紅葉の名所を巡って歴史や文化に触れるのも良し、お馴染みの近場に赴いて、自分だけのとっておきの毎年の風景を楽しむのも良しかと思う次第です。

段々と朝晩の冷え込みが厳しくなってきて、昼夜の寒暖の差も大きいなど、紅葉が美しい色に変わる条件が整いつつあります。
体調の維持・管理には気を配りながら、是非、早めに紅葉情報をチェックしながら、今年ならではの素敵な紅葉狩りの計画を立ててみることをおすすめします。

そして、深まる秋の風情を充分に満喫しながら、そろそろ冬支度にも少しずつ気を配っていけるように、この先の予定も確認しつつ、11月・12月と今年も残り2ヶ月、公私ともに実り多い一年となるように、しっかりと心がけていきたいものです。

【七十二候だより by 久栄社】 <第52候>霜始降花(しもはじめてふる)10月23日は、二十四節気では『霜降(そうこう)』、秋の節気も『寒露』に続いて最後となり、“水の化身”も「露」から「霜」へと移ろいます。朝晩の冷え込みが厳しくなって、...
22/10/2024

【七十二候だより by 久栄社】 <第52候>
霜始降花(しもはじめてふる)

10月23日は、二十四節気では『霜降(そうこう)』、秋の節気も『寒露』に続いて最後となり、“水の化身”も「露」から「霜」へと移ろいます。
朝晩の冷え込みが厳しくなって、初霜の知らせが聞かれるようになり、秋も最終章、クライマックスを迎えます。

七十二候では52候、霜降の初候、『霜始降花(しもはじめてふる)』の始期です。
秋が一段と深まって、山里などで草木や地面に霜が初めて降りる頃。

江戸時代に出版された『暦便覧』には、「露が陰気に結ばれて霜となりて降りるゆえなり」と記されています。
昔の人は、冷えた早朝に外に出て、霜であたり一面が真っ白になっている光景を目の当たりにして、霜は雨や雪と同じように空から降ってくると考え、「霜が降る」と表現しました。

『霜降』の節気は、9月上旬の『白露』の初候『草露白』に続いて、初侯は二十四節気とテーマが完全に一致しております。
このようにテーマが一致するのは、『啓蟄』の初候『蟄虫啓戸』、『白露』の初侯『草露白』と本候の3つだけです。

『霜降』は、しんしんとした冷え込みの中で、次候は「霎(こさめ」、小雨というより肌寒さを感じる時雨(しぐれ)が降り、一雨ごとに気温が下がります。
末候では、遂に「楓(かえで)」や「蔦(つた)」が色づいて、野山は赤や黄に彩られて、いよいよ紅葉狩りの季節到来で、「晩秋」を締めくくります。

霜は、実際は空から降ってくるわけではなく、地表の表面が放射冷却によって急激に冷える際、空気中の水蒸気が一気に冷えされ、昇華して出来た氷の結晶がものに付着したものです。
気温が3~4℃を下回ると、地表の表面の温度は氷点下まで冷やされるので、空気中の水蒸気が植物の表面などに付着して、霜が出来ます。

昔の人は、二十四節気や七十二候の「晩秋」に「霜」を織り込んで、秋から冬への季節の変わり目を強く意識して警戒していたようです。

霜は、「霜害」と呼ばれるように、農作物に被害をもたらすので、農家にとっては有り難くない存在だからです。
特に秋早くに降りる霜、「早霜」が降りると、農作物に大きな被害を与えることが多いようです。

強い霜が植物に纏わりつくと、葉の表面の組織は壊されて、葉は枯れてしまい、野菜の収穫に大きな影響を与えます。
家庭のガーデニング、草花の栽培においても、油断していると一気に枯れて後悔することにもなり、実は霜は大敵です。

気象庁は、早霜や晩霜によって、農作物被害が発生するおそれのある際、「霜注意報」を発表します。
また、日本気象協会では、未明から明け方にかけて「霜が降りる」可能性を数値で表した指数、「霜指数」を発表しております。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

前回の七十二候は『蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)』でしたが、『小倉百人一首』には、「きりぎりす」と「霜」の両方を詠み込んだ秋の歌があります。
後京極摂政前太政大臣の藤原良経が詠んだ『新古今和歌集』に出てくる次の歌です。

「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む」

現代語に訳しますと、「こおろぎが鳴いている、こんな霜の降る寒い夜、むしろの上に衣の片袖を自分で敷いて、私はひとり寂しく寝るのだろうか」という意味です。

平安時代は女性と男性がともに寝る時はお互いの着物の袖を枕にして敷いたそうで、自分の袖を敷いて寝る独り寝のわびしさが晩秋の寂しさに重なって伝わってきます。
作者はこの歌を詠む直前に妻に先立たれてしまったようで、800年以上の時を越えて情感が鮮やかに蘇る『百人一首』の歌の凄さを感じます。

俳句の世界では、「霜」は「初霜」も含めて冬の季語であり、現代俳句では「霜降」を秋の季語として詠んだ句が幾つかあります。
江戸時代の三大俳人の俳句の中では、次の芭蕉の句は、珍しく秋の「霜」の情景を詠んでおり、「晩秋」の一場面を表しています。

 「秋風や 桐に動きて 蔦の霜」            松尾芭蕉

意味合いとしては、「晩秋の風に吹かれて、既に葉の落ちた桐の木が揺れ動いている。その桐の木には、蔦(つた)の葉が巻きついていて、葉には霜が降りているが、桐の木と一緒に秋風にサワサワと揺れ動きながら、白く煌めいているよ」というところでしょうか。

蕪村や一茶に関しては、秋ではありませんが、「御火焚(おほたき)」という、京都伏見稲荷大社をはじめとした社寺にて、11月中に行われる新穀感謝の祭事や「初霜」を季語にした、「初冬」らしい句をいくつかご紹介します。

 「御火焚や 霜うつくしき 京の町」          与謝蕪村
 「初霜や わずらふ鶴を 遠く見る]          与謝蕪村
 「はつ霜の 草へもちよいと 御酒哉」         小林一茶

今年は、芭蕉の冬の霜の情景を詠んだ句も加えます。「案山子の袖」を借りるという表現が、先程の『百人一首』の和歌に呼応するようです。

「借りて寝む 案山子(かかし)の袖や 夜半の霜」   松尾芭蕉

霜は農作物や草花にとっては厄介者であり、冬の到来や秋の終わりの寂しさを表わすものである一方、朝方の霜が降りた光景には風情も感じられます。
朝早く、うっすらと氷の結晶を纏った草木の表面が、朝日を浴びてきらきらと輝いている風景は本当にきれいで美しいものです。

風もなく、地表付近が氷点下に達した静かな朝、「霜降のある情景」を前にすると、自然と頭も冴えて、背筋も伸びて、気持ちも何となく凛として一日を迎えられます。
クライマックスを迎えつつある秋を充分に味わいながら、今年もあと2ヵ月有余、やり残していることや年内に取り組みたいことを点検し、有意義に時を使いたいと思う次第です。

今年も、昨年に続いて、本格的な秋の行楽シーズンを迎えて、国内の観光客の動きに加えて、海外から日本を訪れる人々も確実に増えて、全国の名所は活気と賑わいに溢れています。

一方で「霜降」は秋の最後の節気、「冬隣(ふゆどなり)」という表現があるように、暦の上では「晩秋」も後半に入り、冬が近づいてきた気配も感じられる頃合いです。
冬を前にして、この一年を早めに振り返り、年頭に掲げた『目標』や『抱負』などの達成・実現に向けて、前向きな気持ちで残り2ヵ月の活動に力を注いで、来年以降の将来への展開に備えていきましょう。

【七十二候だより by 久栄社】 <第51候>蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり)10月18日は、七十二候では51候、寒露の末候、『蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり)』の始期です。秋の夜長に、こおろぎなどの虫の鳴き声が、人家の戸口で聞こえる頃。秋...
17/10/2024

【七十二候だより by 久栄社】 <第51候>
蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり)

10月18日は、七十二候では51候、寒露の末候、『蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり)』の始期です。
秋の夜長に、こおろぎなどの虫の鳴き声が、人家の戸口で聞こえる頃。

秋の二十四節気には、『白露』と『寒露』があります。『白露』の節気は9月で「仲秋」、草花や木に朝露が宿りはじめ、白くきらきら光る情景でしたが、この『寒露』の節気は10月で「晩秋」、冷たい露が草木にしっかりと降りてきて、辺り一面がひんやりとして澄んだ空気に包まれ、秋の深まりを肌身で感じるような情景です。

『寒露』の初候は「雁」が隊列を組んで日本に飛来し、次候に「菊」の花が秋を象徴する花として華やぎのある世界を創り、晩秋としての「動」と「静」のある風景が現れます。
そして、この末候は、戸口に迫る「蟋蟀(きりぎりす)」が主題となり、周囲に広がる『寒露』らしい情景と相まって、次の節気の『霜降』へと続く晩秋ストーリーの場面が進んでいくようです。

「蟋蟀」は難読漢字の一つであり、日本では、音読みで「しっしゅつ」と読まれることもありますが、一般には「きりぎりす」または「こおろぎ」と読まれております。

七十二候では「きりぎりす」と読まれておりますが、だからと言って、必ずしも今の「きりぎりす」を指していたということではないようです。
古代においては、「きりぎりす」は「こおろぎ」の古名であって、今の「こおろぎ」のことを指していたという考え方が有力だからです。

古代では、今の「きりぎりす」は、鳴き声が「ギース・チョン」と機織りの音に似ていることから、「機織り虫(はたおりむし)」と呼ばれていました。
因みに、「きりぎりす」には、「蟋蟀」とは別に「螽斯」という漢字もあり、こちらは「きりぎりす」としか読まないようです。

江戸中期に、国学者の賀茂真淵や朱子学者の新井白石により、古代における「きりぎりす」が江戸時代の「こおろぎ」であるとされ、次第に定着していったようです。
一方、中世以前は、「こおろぎ」は、蝉をも含めてあらゆる鳴く虫を指していたとの指摘もあり、「きりぎりす」や「こおろぎ」は、昔は秋の鳴く虫たちの総称であったと理解した方が良いという考え方も成り立ちます。

実態として、今の「きりぎりす」は、初夏から成虫になり、鳴き始めるのは夏頃であり、晩秋には卵を産んで死を迎えるので、この時季の七十二候に登場するのはやや季節が合いませんし、「きりぎりす」が鳴くのは基本的に昼間であり、日照量が豊富な快晴の頃合いに活発になることも踏まえ、七十二候としては、秋の夜を象徴して鳴く「こおろぎ」とした方がしっくりと来ます。

“野にいた蟋蟀が秋が深まるにつれて人家に近づいて戸口で鳴くようになる”という情景は、実は、中国最古の詩集『詩経』に由来するそうです。
『詩経』の「国風」のうち、暦に従って農民のあるべき暮らしを歌った漢詩「豳風(ひんぷう)」の「七月」の一節に、それに関する描写があります。

夏から冬にかけて、七月には野原にいた蟋蟀(こおろぎ)が、八月には家の軒下、九月には家の戸口あたりに入ってきて、十月には寝台の下にまでやって来るという内容です。
蟋蟀に象徴されているのは、忍び寄って来る厳しい冬であり、晩秋になったこの時季から、冬支度をすることの大切さを説いているとも言われております。

日本でも12世紀後半に編纂された七番目の勅撰和歌集、『千載和歌集』の中に、平安時代、花山法皇(天皇)の詠んだ次の和歌がありますが、これは『詩経』を踏まえた表現です。

 「秋深く なりにけらしな きりぎりす 床のあたりに 声聞こゆなり」  花山院

『秋も随分と深くなってきたなぁ、こおろぎの声が床のあたりから聞こえてくるよ』、冬が少し近くに迫ってきていることを分りやすく歌っています。

「こおろぎ」「きりぎりす」の仲間は、2枚の前翅(ぜんし)をこすり合わせて発音をしており、つまり鳴き声を出しています。
「こおろぎ」は、上側の右前翅の裏(ギザギザのやすり状)で下側の左前翅の表(まさつ器)を擦り合わせますが、「きりぎりす」は2枚の前翅の合わせ方が左右逆で、左前翅が上側だそうです。

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七十二候の「こおろぎ」は、鈴のような音色を響かせるツヅレサセコオロギという見方もあり、この場合は「リィリィリィリィ」と表現されることが多いようです。
ツヅレサセコオロギは「綴れ刺せ蟋蟀」ということで、昔の人には鳴き声が「肩刺せ、裾刺せ、綴れ刺せ」と聞こえたとのことです。
「綴れ」は破れた部分を継ぎはぎした粗末な服で、「刺せ」は縫い物の意味で、「肩や裾や綴れを今のうちに繕っておいて」と聞いて、冬に向かって衣類の手入れをするよう、虫たちが促しているように思ったことに由来します。

そして、これから晩秋が更に深まるにつれて、虫たちも次第に弱まっていき、声もか細くなっていきます。
人々は、古来、時代を越えて、その寂寥感をも数多くの和歌に詠み込んでまいりました。
『新古今和歌集』には、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、武士から出家して僧侶・歌人として生きた、西行法師の以下の歌があります。

「きりぎりす 夜寒に 秋のなるままに 弱るか声の 遠ざかりゆく」  西行

『蟋蟀(こおろぎ)よ、秋が深まり冬を前に、夜の寒さがひとしお感じられるにつれて弱っていくのか、鳴き声がしだいに遠ざかってゆくのだなあ』
虫を通して秋の移ろいを見事に表現しており、この歌も、眼前に情景が浮かんでくるようで、西行法師の実感や想いがそのまま伝わってくるようです。

江戸時代に入り、古典俳諧の世界では、毎回取り上げている三大俳人は、「きりぎりす」や「こおろぎ」を次のような句に詠んでおります。

 「むざんやな 甲の下の きりぎりす」      松尾芭蕉
 「こほろぎや 相如が絃の きるる時」      与謝蕪村
 「つづれさせ させとて虫が 叱るなり」     小林一茶

芭蕉の句は、加賀(現石川県)の小松にて太田神社に詣でて、斎藤別当実盛の遺品である兜を見て詠んだものであり、兜の下で鳴くこおろぎの姿に、源平の戦いで奮戦して討ち死にした実盛の霊を見るように、遠い昔に想いを馳せた気持ちが伝わってきます。

蕪村の句については、「相如が絃」とは、中国の前漢の時代、賦の名人として知られ、武帝に仕えた司馬相如の逸話を引いており、司馬相如が、妻となる美貌の人、卓文君に想いを寄せて弾いた琴の弦のことを指しております。
周囲でこおろぎが急に鳴きやんだ情景を、まるでその「相如が絃」がぷつんと切れたかの如くと表現しているわけですが、虫の音は、鳴き続けている時より、突然に途絶えた時にこそ、人の心に虫が鳴いていたことをふと気づかさせるという、一瞬の感覚を見事に詠んでおります。

一茶の句は、「綴れ刺せ蟋蟀」の名前の由縁を、日常の風景の中で自然に詠んでおり、冬の到来を生活の準備と重ねてわかりやすい句です。

季節はいつの間にか移ろい、晩秋も半ば、秋の虫の姿や音色に、心なしか何か寂しさを感じて人恋しくなる気持ちを投影して重ね合わせたくなるような時節に入ってきました。
暫し虫の音に耳を澄ませて深まりゆく季節をしみじみと感じつつ、そろそろ冬支度のことも頭の片隅に置いて、早めに少しずつ備えを始めていきたいものです。

今の世は、有り難いことに、昔と比べて、住まいも快適に過ごしやすくなっており、衣服も、手入れというより、素材の選択や組合せを工夫すれば、冬でも暖かい暮らしが送れます。
人々が長年、積み上げてきた文明や文化の恩恵に感謝しながら、周囲の資源を大切にして、体を充分に動かし、頭を働かせ、心もリフレッシュして、サスティナブルな生活を心掛けていきましょう。

一方で残念ながら、世界にはこの一年において悲惨な状況に襲われ、命を失った人々、住まいを失い、衣服にも食料にも困っている人々が大勢いるのも事実です。
平和の有り難さと尊さを嚙みしめるとともに、微力であっても困難な状況にある人々に寄り添う気持ちを大切にして、事態が少しでも改善するように心から祈りたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第50候>菊花開(きくのはな ひらく)10月13日は、七十二候では50候、寒露の次候、『菊花開(きくのはな ひらく)』の始期です。菊の花が鮮やかに咲き始めて、秋の深まりを一段と感じる頃。『寒露』の節気は、...
12/10/2024

【七十二候だより by 久栄社】 <第50候>
菊花開(きくのはな ひらく)

10月13日は、七十二候では50候、寒露の次候、『菊花開(きくのはな ひらく)』の始期です。
菊の花が鮮やかに咲き始めて、秋の深まりを一段と感じる頃。

『寒露』の節気は、「晩秋」の前半にあたりまして、冷たい露が草木に降りて、辺りがひんやりとした澄んだ空気に包まれる中、初候は、越冬へと「雁渡る」季節の到来を告げ、次回の末候では、戸口に迫る「蟋蟀(きりぎりす)」が冬の忍び寄る寂寥感を表しております。

一方、この次候では、秋を代表する花として「菊」が登場し、秋の深まりに静けさや寂しさも漂う中において、明るく鮮やかな色合いと存在感のある形や香りで、「晩秋」の風景を豊かな情景に一変させるが如く、気高く咲き誇ります。

七十二候の花シリーズとしては、春は「桃」「桜」「牡丹」と繋がり、夏は「紅花」「菖蒲」「蓮」と連なってきておりますが、秋は、この「菊」が最初で最後、唯一登場する花であり、続く冬でさえ複数の花がテーマとなっていることも踏まえると、この時季、古来、山上憶良が万葉集で詠んだ「秋の七草」も風情があって良いですが、「菊」は別格の秋の花であることに気づく次第です。

それを表した象徴的な言葉として「菊晴れ」が使われており、菊の花が咲くこの時季、秋空が青く晴れわたることを呼ぶようです。
「菊日和」という言い方もあるようです。

菊の花は、正に秋を象徴する花として、日本では、春の「桜」と並んで馴染み深い花であり、生活や文化に深く根差しております。
菊は、高貴・高尚で別格の存在とされ、古くから最も品格・品位のある花として、日本では、晩春の「牡丹」と並んで『百花の王』とも称えられてきました。
また、他の花に先駆けて咲く早春の「梅」は『花の兄』と呼ばれるのに対して、他の花に遅れて晩秋に咲く「菊」は『花の弟』と表現されることもあります。

とはいいながら、実は、日本には野菊と言われる種は多く自生していたものの、私たちが菊と称している菊(キク科キク属)、すなわち、いわゆる栽培菊や家菊は日本自生の花ではなく、中国から伝来してきたものに由来します。

当初は薬用として伝わり、その後、日本文化に深く根づきながら、鑑賞用の花として改良を重ねて珍重されるようになりました。
このように発展してきた日本の菊は「和菊」と呼ばれます。多彩な品種が創られて、食用をはじめ、生活の中にも取り入れられて広まりました。

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平安時代から、旧暦9月9日、今の暦では10月中頃、菊の盛りの頃合いには、宮中では「菊の節句」とも呼ばれる重陽の節句が開かれるようになり、中国の風習に倣い、菊を鑑賞しながら、菊の花を酒に浮かべた菊花酒の盃を交わす華やかな行事を行って、長寿と無病息災を願いました。

その後、五節句の一つとして時代を超えて各地に広がっていき、鎌倉時代初め、後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好んで「菊紋(菊花紋章)」を皇室の家紋にした頃から、菊の栽培や育種が進みまして、江戸時代には庶民の間にも普及して、日本の秋を象徴する花となっていきました。

後深草天皇以降、再び菊の文様が継承されるようになり、「菊紋」、特に「十六葉八重表菊紋」が皇室の紋章として慣例化しました。
明治期には、「十六葉八重表菊紋」は公式に天皇家の家紋と定められ、大正期に「皇室儀制令」にて図形として細かく制定されました。

戦後は、「皇室儀制令」は廃止され、「菊紋」は再び慣例的に、天皇・皇室の紋章として、また日本の国章に準じる紋章として用いられ続けております。
日本の在外公館の玄関には、引き続き「菊紋」の浮彫が飾られ、日本国のパスポートの表紙には「十六葉一重表菊紋」をデザインしたものが使われて誰もが手にしている次第です。

菊の花びらは、清涼で上品な香りを感じさせてくれますが、お店に食用菊も出回る時季となり、存在感ある香りとほろにがさを纏った菊花料理で風情と薬効を味わえます。
観賞用の菊と食用菊は違う種類のようですが、菊は、今でいうエディブルフラワー(食べられる花)として、昔から知られていたわけです。

菊の花びらを浮かべた湯舟に入る「菊湯」や、菊を入れた枕で眠る「菊枕」など、粋な利用方法も知られておりますが、風情だけでなく効果もあり、暮らしの中でいろいろな楽しみ方ができます。

菊は「晩秋」を彩る季節の花、全国各地で10月から11月にかけて「菊まつり」が開かれ、愛好家も多い中、菊の展示会や品評会も盛んに行われ、「菊見」は秋のお花見として風物詩の一つです。
高度な「菊づくり」の栽培技術の成果として、品種や色も多種多様で豊富で、花の大きさによっても「大菊」「中菊」「小菊」などがあり、鑑賞用の仕立て方にも様々な工夫が施されます。

平安時代には、「白菊」が和歌に多く詠まれておりますが、「移菊(うつろひぎく)」と言って、晩秋の頃、盛りを過ぎて花弁の端から紫がかってきてからの風情を愛でる見方があり、『古今和歌集』においては、是貞の親王の家の歌合の歌として、「よみ人しらず」とされる以下の歌が挙げられます。

「色かはる 秋の菊をば ひととせに 再びにほふ 花とこそ見れ」

寒くなるにつれて色合いが変わっていく秋の菊を、一年のうちに二度、美しい色合いで華やぐ花であると見て、思うことよ、ということで、花盛りの花と、しおれかけながら紫や紅に色変わりした花と、両方を賞美しつつも、色彩の移ろいを、人の心変わりに見立てて詠んでいるようです。

古典俳諧の世界からも、江戸時代の三大俳人が「菊」を詠んだ俳句を2句ずつ紹介させていただきます。
三者三様ですが、各人らしい句風を感じ取っていただければ幸いです。

 「菊の香や 奈良には古き 仏達」      松尾芭蕉
 「菊の花 咲くや石屋の 石の間」      松尾芭蕉

 「子狐の 隠れ顔なる 野菊かな」      与謝蕪村
 「手燭して 色失へる 黄菊かな」      与謝蕪村

 「足元に 日の落ちかかる 野菊かな」    小林一茶
 「綿きせて 十程若し 菊の花」       小林一茶

今年も、日常の中で、菊の花を愛でたり、香りを嗅いだり、苦みを味わったり、その霊験や薬効を生活の中に取り入れながら、五感を働かせて思い切り秋を感じ、命も延びるような癒やされた心持ちで、穏やかに充実した時を楽しむことを心掛けたいと思う次第です。

秋も深まる中、段々と寒さが忍び寄ってきており、日に日に寒暖の差が厳しくなってきた感じですので、体調の維持管理には充分に気を配りながら、「菊晴れ」「菊日和」の爽やかな青空の下、澄んだ空気を胸深くまで吸い込んで、是非、晩秋の限られた貴重な日々を、健やかに有意義に送っていきましょう。

【七十二候だより by 久栄社】 <第49候>鴻雁来(こうがん きたる)10月8日は、二十四節気では『寒露(かんろ)』、夜が長くなって、冷たい露が草木に降りる時季。早くも晩秋に入り、朝晩はひんやりと冷え込んで、空気が澄んできます。日中は過ご...
07/10/2024

【七十二候だより by 久栄社】 <第49候>
鴻雁来(こうがん きたる)
10月8日は、二十四節気では『寒露(かんろ)』、夜が長くなって、冷たい露が草木に降りる時季。
早くも晩秋に入り、朝晩はひんやりと冷え込んで、空気が澄んできます。
日中は過ごしやすい秋晴れの日が多くなり、夜には月がきれいに輝きます。

七十二候では49候、寒露の初候、『鴻雁来(こうがん きたる)』の始期です。
雁たちが北方シベリアの大地から日本で冬を過ごすために渡って来る頃。

「鴻雁」とは中国語で雁(がん)のことを指す表現でして、「鴻」は大型の雁などの水鳥の総称とのことです。

「仲秋」では、45候・46候・47候をはじめ、春の候と秋の候の間で、同一テーマを取り扱って、季節のコントラストが効いている旨、解説をしましたが、「晩秋」の最初のこの49候は、4月10日の『清明』の次候(14候)、『鴻雁北(こうがん かえる)』と春秋で一対の関係があり、春を迎えて北方へ帰っていた雁たちが、シベリアや北極圏に迫る地で巣作りと子育ての時期を終えて、今年生まれた若鳥と共に、再び日本に飛来します。

『寒露』の節気では、初候の「雁」の後、次候は「菊」となっていて、秋が深まる中、「花鳥風月」の鳥と花が相次いで登場しますが、雁は、「晩秋」を表象する「鳥」として、人々に季節の移ろいを感じさせる存在のようです。
そして、末候は『蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり)』、目に見えず、音のみを想起させる描写の情景を通して、忍び寄る冬が初めて意識される頃になります。

この候は、また、秋の候の中で、9月中旬の『白露』の末候(45候)、『玄鳥去(つばめ さる)』からは暫く経ってからのタイミングであり、とても対照的な印象を与えています。

玄(つばめ)は、春の到来と共に日本に飛来して、夏にかけて巣作りや子育てに勤しんで、「仲秋」には南方への渡りの旅に出る「夏鳥」であり、雁は、玄と入れ違いに日本にやっって来て冬を過ごす「冬鳥」です。「晩秋」を迎え、「夏鳥」の去った後の寂しさを埋めるがごとく、戻ってくるような感じを受けます。
冬鳥としては他に、白鳥、鶴(つる)、鴨(かも)、鶫(つぐみ)などが挙げられます。

雁は、「がん」とも「かり」とも読まれ、「鴈」という漢字が使われることもあります。
そして、毎年、最初に訪れる雁たちのことを「初雁(はつかり)」、その鳴き声を「初雁が音(初雁金)」といいます。

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今回も日本の文学、古典俳諧の世界から、江戸時代の三大俳人が秋の「雁」を詠んだ俳句を、各3句ずつ挙げて紹介します。

 「病雁の 夜寒に落ちて 旅寝かな」      松尾芭蕉
 「夜著に寝て かりがね寒し 旅の宿」     松尾芭蕉
 「振売の 雁あはれなり 恵美須講」      松尾芭蕉

 「初雁に 羽織の紐を 忘れけり」       与謝蕪村
 「紀の路にも 下りず夜を行く 雁ひとつ」   与謝蕪村
 「北颪(おろし) 雁鳴きつくす 雲井より」  与謝蕪村

 「今日からは 日本の雁ぞ 楽に寝よ」     小林一茶
 「はつ雁よ 汝に旅を おそはらん」      小林一茶
 「鳴くな雁 今日から我も 旅人ぞ」      小林一茶

同じ雁を詠んだ句でも三者三様であり、芭蕉の句は、「病雁(やむかり・びょうがん)」「寒し」「あはれなり」と自らの境遇をも重ねた寂寥感が漂ってくるのに対して、蕪村の句には、瞬間の情景を切り取ったような画家らしい描写が感じられ、一茶の句に至っては、初雁を歓迎する気持ちや同じ旅人としての親近感が明るく伝わってきます。

雁は、古くから、詩歌以外の日本文学にも広く登場して、親しまれてきております。代表的なのは、清少納言の『枕草子』の冒頭の部分です。

「秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。
まいて雁などの連ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず」

雁の姿は、昔から、秋の夕暮れ時の風物詩であり、とても趣があるもの、優美であるものとして、深い共感を得てきたことがわかります。
今では雁はなかなか身近に見られませんが、深まりゆく秋の時空の中で、趣や風情を感じる光景、心惹かれる風景を探してみたいものです。

雁の仲間は隊列を組んでV字型になり、あるいは一直線になり、長距離を飛来してくることで有名です。
雁の隊列は「雁の棹」「雁の列」と呼ばれ、夜間に渡ることが多いことから「月に雁」は書画の題材にされます。

雁の繁殖地は北極圏も近い地域のようで、日本の東北地方までの飛行距離は実に4000キロメートル、V字型の隊列は、そのような長距離を飛来してくる為に必要な知恵と工夫と言われております。
V字編隊で飛ぶことで、翼の動きで生まれた上昇気流が斜め後ろに飛ぶ鳥に伝わり、少ないエネルギーで飛ぶことができます。

先頭以外の雁たちは気流の流れを利用して飛びやすいわけですが、先頭の雁は体力ある者が担うものの消耗度合いが大きいので、雁たちは、先頭を時折交代することで、隊列全体として遥かな長い距離を乗り越えて日本に飛来してくるのです。

私たちも、雁たちの必死に力を振り絞って渡って来る見事な連帯感と支え合う雄姿にも学びながら、人として、改めて社会やチームにおける連帯を確かめ、「心理的安全性」の環境づくりを心掛け、力を合わせて仕事をして、また「絆」を大切にして暮らしていきたいと思う次第です。

人類は、気候変動問題など地球規模の試練に直面していることを適切に認識する必要があり、事態改善に向けた行動を具体的に実践することが課題になっております。
地域社会や各種コミュニティでの取組みと共に、企業を主体とした取組み、国家レベルでの政策の推進、更には世界の人々との連携した対応が引き続き大切です。

残念ながら、この一年間、国際情勢は一層厳しく深刻な状況になっていると言わざるを得ず、食糧やエネルギーなどの経済も含めた安全保障が引き続き大きな課題であります。
悲観でも楽観でもなく、本質的なところを見極められるように心掛け、様々な課題を俯瞰して、総合的に考察しながら、自分たちに出来ることを着実に広げて、改善を図っていきたいものです。

【七十二候だより by 久栄社】 <第48候>水始涸(みず はじめてかるる)10月3日は、七十二候では48候、秋分の末候、『水始涸(みず はじめてかるる)』の始期です。収穫時期を迎えた田んぼの水を落して、稲刈りに備える頃。または、秋分の節気...
02/10/2024

【七十二候だより by 久栄社】 <第48候>
水始涸(みず はじめてかるる)

10月3日は、七十二候では48候、秋分の末候、『水始涸(みず はじめてかるる)』の始期です。
収穫時期を迎えた田んぼの水を落して、稲刈りに備える頃。
または、秋分の節気も深まり、自然の水源も涸れ始める頃とも言われます。

七十二候では、一年を通して、季節の移ろいとともに姿を転変とする「水」がテーマとなっております。
春の季節は、『雨水』の節気の頃から、辺りに潤いが戻ってきて、様々な植物が育ち花を咲かせ、生き物たちの動きも活発になる中、湿潤の夏を迎えるに至ります。

夏のクライマックスの『大暑』の節気には、湿気の多い暑さ、蒸し暑さを表す「溽暑」、夕立の大粒の雨などの「大雨」と続いて、盛夏らしい天候が到来します。
しかし、『立秋』以降は「霧」や「露」が季節が秋へと移り変わっていく様子を表象し、この『秋分』の頃からは、徐々にまた冬の乾いた世界へと向かい始めます。
『秋分』の節気のテーマでは、初候の「雷」は、稲妻の光と音と一緒に、大量の雨を天から降らせていましたが、春に始まって、この秋におさまっていきます。
次候の「虫」も、『雨水』の節気以来、草木が芽生えると共に動きを活発にして、夏を謳歌してきましたが、辺りに潤いがなくなる中、その姿を消し始めます。
そして、この末候に至り、田んぼの水も抜かれ、あるいは水源も細り始めるという、身近な風景を取り上げ、「湿潤」の季節から「乾燥」の季節へと転じ始めていることを表象しています。

「涸」という漢字は、水が干上がる・枯れる・尽きてなくなることを意味しております。
七十二候の解釈としては、稲穂が実りの時を迎えて、畦の水口を切り、田から水を抜いて乾かして、稲穂の刈入れを始める準備をする時季とするのが一般的です。

一方、七十二候が考案された古代中国では、『淮南子』という前漢時代の古典の中に、「水始涸」の由来となった文章がしっかりと残っており、夏の陽気が衰退していく中で、水も涸れ始めるという秋分の頃の情景を表していることから、井戸水などの水源が涸れ始める頃という説もあります。

日本では農事と結びついた解釈が定着しています。この時季、農家は忙しいですが、「収穫の秋」「実りの秋」の象徴とされる景色が広がって、見ている人々の心を豊かにしてくれます。
陽の光に黄金に色づいた稲穂が輝き、また、秋風に頭を垂れた稲穂が揺れなびく美しい光景は、素朴ながら、まさに日本の秋の原風景です。

稲作は、種籾の選別・乾燥から始まり、育苗・田起こし・代かきを経て、田植えとなり、その後は、水の管理や草取りや肥料散布を繰り返し、台風への備えなどを経て、漸く、稲刈りの時期を迎え、刈取り後は天日干し、脱穀と、いろいろと労力と時間がかかります。
米という漢字は、八十八という字の組合せでできており、昔から米作りには八十八の手間がかかると言われております。

今年も、気候変動の影響も色濃く、7月から9月にかけて、基本的には晴天で猛暑など暑い日が例年以上に多かったものの、時に大型の台風や線状降水帯の襲来もあって豪雨・長雨によって日本各地で風水害が起こり、今は漸く朝晩涼しくなったものの、10月も台風が到来し、時に日中は気温が上昇するなど、苦労や心配が尽きない感じですが、秋の稲刈りは、米作りに携わる人々にとっては、漸く一年間の労苦が報われる瞬間です。

田んぼ一面黄金色に実った稲穂が風に揺れるさまは、海の波に喩えられ、「穂波」「稲の波」「稲穂波」などと呼ばれ、季語にもなっております。
秋風が心地よく吹き抜けて稲穂がさわさわとそよぐ情景が広がり、日本列島の全国各地の田んぼは南から順番に収穫の時期を迎えて、おいしい新米が徐々に出回っていきます。

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日本では、「米一粒 汗一粒」「粒々辛苦」や「一粒の米にも万人の労」とも言われるように、お米の一粒一粒は多くの苦労を経てつくられており、お米は農家の人の汗の結晶であるとして、昔からお米を大切にして粗末にしてはならないという教えが代々受け継がれてきました。

今年は、古典俳諧の世界から、江戸時代の三大俳人、芭蕉・蕪村・一茶の「新米」を詠んだ俳句を選んで紹介しましょう。
新米は「晩秋」の季語ですので、正にこれから始まる10月の風景や心情を表した句と言って良いかと思います。

 「世の中は 稲刈るころか 草の庵」    松尾芭蕉
 「新米に まだ草の実の 匂ひかな」    与謝蕪村
 「新米の 膳に居るや 先祖並み」     小林一茶

この数年では、統計分析を踏まえて、アジアの人々や日本人に関し、米食による免疫力向上の効果が見られるとの研究結果が発表され、また、米を主食とした日本型食生活を通じた「感染症に負けない体づくり」について、専門家が科学的根拠(エビデンス)に基づいて解説する動きがありました。

国内の米への需要は、残念ながら、食生活の多様化などによって減少傾向にあり、一時的には外食機会の減少などにより更に減ったという話もありますが、多くの食糧を輸入に頼る日本において、自給率の高い米は食糧安全保障の要という意味合いもあり、気候変動問題による影響も踏まえて、米の生産と食文化を大切にしていく必要があります。

今年は特に、夏ごろから米不足となり、米の価格が値上がりしており、新米の供給に期待が高まりつつも、猛暑の影響など生育状況や価格動向が気になるところです。

毎年ながら、この時季としては、これから日本各地において収穫が順調に進んでいくことを農家の方と共に祈り、天と地と人に対する感謝の気持ちを大切にして、白米だけでなく、玄米・胚芽米・雑穀米も取り入れて、バランスの良い食事で健康を保つことも意識しながら、是非、お米を美味しくいただきたいと改めて思う次第です。

令和6年、2024年も、残すところ約3ヵ月、世の中では、国際情勢については、地政学問題に端を発した紛争が深刻化・長期化するなど、依然として予断を許さず、また、足許では日本の首相が交代し、来月には米国の大統領が代わるなど、政治状況の潮流が気になるところであり、経済・市場・社会における変化や新たな動きからも目が離せません。

年頭の抱負なども改めて振り返りながら、一年の第四コーナーに差し掛かっていることを意識して、タイミングを逃さずラストスパートをかけて、実りのある一年に仕上げていくと共に、アンテナを高く張って、現状の踏襲や従来からの延長線上だけでなく、本質を見極めながら、新たな発想をもって、局面に応じた活動を展開し、しっかりと将来への布石を打っていきたいものです。

【七十二候だより by 久栄社】 <第47候>蟄虫坏戸(むしかくれて とをふさぐ)9月28日は、七十二候では47候、秋分の次候、『蟄虫坏戸(むしかくれて とをふさぐ)』の始期です。秋も深まり、外で活動していた虫たちが、冬支度を始め、土にもぐ...
27/09/2024

【七十二候だより by 久栄社】 <第47候>
蟄虫坏戸(むしかくれて とをふさぐ)

9月28日は、七十二候では47候、秋分の次候、『蟄虫坏戸(むしかくれて とをふさぐ)』の始期です。
秋も深まり、外で活動していた虫たちが、冬支度を始め、土にもぐって姿を隠し、入口の戸をふさぐ頃。

『秋分』の節気は、初候の「雷」も、次候の「虫」も、春の候と呼応して対を為したテーマであり、本格的な秋の到来を強く印象づけています。
春分に始まる「雷」という光と音が織りなす自然現象がおさまり、啓蟄以来、生を謳歌してきた「虫」など小動物が姿を消しはじめ、静けさが少しづつ漂ってくる感じです。
次の末候に至って、『水始涸』、田んぼの水も抜かれ、稲刈りの準備をする頃合いを迎えて、「仲秋」もいよいよ深まりますが、特にこの次候が「動」から「静」への流れを強く表象しています。

『啓蟄』の初候は、今年は3月5日、7候『蟄虫啓戸(すごもりのむし とをひらく)』でありまして、戸を啓いて外に顔を出すかのように、土中で冬眠していた虫たちをはじめ、冬ごもりをしていた生き物が春の日差しの温もりを感じて姿を現わした時分から、実に半年余りの時が過ぎ去りました。

春から夏にかけて活発に活動して、繁殖期を迎えて子孫を増やし、盛夏を謳歌していた生き物も、今や、冬ごもりの支度に入る時期となりました。
これから半年近くは、春の到来まで、生き物たちの世界は、基本的に「動」から「静」へと転じ、静寂に包まれた風景が周囲に訪れるようになります。

改めて申し上げると、七十二候では、春の候と秋の候で、同じテーマを取り扱っている候が数多くあり、2候が一対の関係となって、季節のコントラストを効かせております。
特に、この「仲秋」においては、45候の玄(つばめ、春は13候)、46候の雷(春は12候)、今回47候の虫(春は7候)と、3候続いて季節の移り変わりを表しています。

「仲秋」の3候以外にも、この後、「晩秋」の49候の雁(春は14候)、52候の霜(春は17候)、初冬の58候の虹(春は15候)と続いており、段々と遠くなっていく春を遥かに想いながら、秋の深まりと冬の訪れを実感していくというような流れが自然と出来上がっております。

古来、「虫」という表現は、昆虫たちに限らず、蛇(ヘビ)や蜥蜴(トカゲ)に蛙(カエル)、爬虫類や両生類の小動物を含んでおり、中国での「虫」という漢字の由来はヘビをかたどった象形文字であったことに由来し、漢字が全て虫偏となっていることがわかります。

繁殖期が終わった昆虫たちがいなくなることから、それをエサにしている爬虫類や両生類の小動物たちも冬眠して越冬します。
「蟄」は、隠れる・冬ごもりをするという意味、「坏」は、ふさぐ・閉ざす・埋めるという意味で、「戸」は、片開きの扉を表します。

生き物たちは、寒い季節の到来を自ずと察知して、土の中などで冬眠や冬ごもりをして、これから約半年間、秋と冬が通り過ぎるのをじっと静かに待ち続けます。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
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冬眠の仕方は、時期や場所や形態など、その種によって実に多様です。
隠れる場所としては、土の中のほかに、落ち葉に隠れたり、樹皮に身を潜めたり、各々の事情に応じて様々です。

越冬の際の形態も、虫の場合、成虫の命が潰える種が大多数の中、卵の状態で待機したり、幼虫や蛹の状態で成長したりが一般的ですが、実は成虫で越冬する種も意外と多いことがわかっており、単独であったり集団であったり、種類に応じて越冬戦略には特徴があるようです。

テントウムシは、集団で密集して越冬する種の代表であり、身を寄せ合って熱や湿気が逃げるのをできるだけ防いで、冬の寒さと乾燥をしのぎます。
中でも、北米に生息するサカハナテントウは、数千万匹もの大集団で越冬することが知られているようです。

日本では、ナミテントウは、成虫の寿命が2~3年と長く、大群で枯れ木の中や木の葉の下で越冬している様子が観察されます。
ナナホシテントウは、成虫の寿命は約2ヶ月で短いですが、秋に羽化した成虫は越冬するそうです。
テントウムシは越冬中は冬眠モードですが、日中の暖かい時間など、日向ぼっこをして体温をあげて活動することもあるようです。

更に、虫の世界でも、蝶やトンボの中には、冬の間、渡り鳥のように温暖な場所を求めて南方へと移動するものがいます。
代表的なのが、オオカバマダラという蝶ですが、世代交代もしながら、秋になると北米から3800kmも離れたメキシコの地まで南下して集団で越冬します。

オオカバマダラは、環境のリトマス試験紙といわれるほど、環境に非常に敏感であり、公害や開発の影響などから、生息域が年々少なくなっています。
当社が得意とする環境対応印刷では、環境に優しい「水なし印刷」の象徴として、このオオカバマダラのバタフライマークを大切に使用しております。

さて、人の世界は、衣替えのシーズンです。深まる秋に、健康維持に気を配り、朝晩の寒さに体調を崩さないように充分に留意しながら、装いを改めて暖かいものを身にまとって出かけるなど、今年は今年らしく、毎日の気候を見極めながら、秋のおしゃれを愉しむ余裕ももって暮していくように心掛けましょう。

今年も、暦年では残り3ヵ月となりました。冬場も展望して、一年としての仕上げに想いを馳せつつ、内外の情勢に未確定な部分も多く、先行き不透明感も払拭できないところですが、世の中の動向は常に変化することを前提にしつつ、個々の課題に地道に取り組んでいくことで、着実な進展を感じられるようにしたいものです。

仲秋を五感で感じ、本来の季節感を大切にして楽しみつつ、この候をきっかけに、今年も、冬ごもりを進める生き物たちの気配を感じながら、人としての冬支度も少しずつ進めていきたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第46候>雷乃収声(かみなり すなわち こえをおさむ)9月22日は、二十四節気では『秋分』です。『立秋』と『立冬』の真ん中にあり、太陽が真東から昇り真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになります。秋のお彼岸...
21/09/2024

【七十二候だより by 久栄社】 <第46候>
雷乃収声(かみなり すなわち こえをおさむ)

9月22日は、二十四節気では『秋分』です。『立秋』と『立冬』の真ん中にあり、太陽が真東から昇り真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになります。
秋のお彼岸は、秋分の日を中日とする前後7日間、日本の仏事では大切な時期であり、この頃から秋はだんだんと深まっていきます。

七十二候では46候、秋分の初候、『雷乃収声(かみなり すなわち こえをおさむ)』の始期です。
夏の間、発達した積乱雲と一緒に鳴り響いていた雷が、しだいに鳴りをひそめる頃。

『秋分』の節気は、この初候では、自然現象である「雷」の季節の終焉が、テーマとして取り上げられています。
『秋分』と対極にある『春分』の節気において、3月終盤の12候、春分の末候が『雷乃発声(かみなり すなわち こえをはっす)』であり、46候と対の関係にある中、雷の季節はその二つの候の間となり、12候は雷の幕開け、この46候は雷の幕切れということになります。

『秋分』の節気の次候は、『蟄虫坏戸(むしかくれて とをふさぐ)』であり、小動物(生き物)がテーマですが、こちらは『春分』の一つ前の節気である『啓蟄』の初候、7候の『蟄虫啓戸(すごもりのむし とをひらく)』と対を為しており、春から活発な活動をしていた小動物が冬ごもりの支度をする時期ということで、初候に続いて、一気に秋の深まりを実感します。

そして末候は『水始涸(みずはじめてかるる)』、人々の暮らしを支える農事がテーマとなり、田んぼの水を抜き、稲刈りの準備をする頃合いということで、実りの秋を象徴するような形で、秋分はクライマックスを迎えます。

雷は、大和言葉では「神鳴り」で、雷は神が鳴らすもの、神々が為せるわざと信じられておりました。
また、雷は方言で「かんだち」と言うこともありますが、これは「神立ち」、神が示現するものという意味合いのようです。

先程の説明の通り、雷は『春分』に鳴り始め、夏には夕立と共に頻繁に発生して活発になった後、『秋分』には収まりますが、実は、日本においては、古来、雷の季節はちょうど稲が生育して実るまでの時期と重なっております。

雷は、稲作に従事する農耕の民にとっては、「稲妻」という言葉に象徴されるように、とても生活と結びついた身近な自然現象でした。
「稲妻」は雷の光のことであり、稲光(いなびかり)とも呼ばれ、「雷」が夏の季語であるのに対して、「稲妻」は秋の季語になっております。
昔の人は稲穂は雷に感光して実ると信じていたようで、雷の稲との関係を夫婦に擬して「稲のつま(=夫・妻=配偶者)」、即ち「いなづま」と呼ぶようになったそうです。

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さて、秋のお彼岸と言えば、「彼岸花(ヒガンバナ)」を想い起こす時季です。
別名を「曼珠沙華」とも呼ばれますが、名前の由来通り、この秋のお彼岸の頃から開花して、赤や白の繊細な花が秋を彩ります。

彼岸花は、枝や葉や節のない花茎が地面から真っすぐに伸びて、その先端に華やかな花が咲きます。
花の形は散形花序と言われ、6枚の花弁が放射状に外に向かって並んで開き、先の部分は大きく反り返ります。
そして、花が咲いている間には葉はありませんが、晩秋となり、花が咲き終わった後、地面から直接に線形の細い葉がロゼット状に生えてきます。

彼岸花には、花・茎・葉・根と全ての部位に毒性があり、有毒植物の一つとして知られています。彼岸花には、いろいろな別名や伝承があるようです。
花の色と形が燃える炎の如くであることから、家に持って帰ると火事になるという言い伝えがありますが、子どもを毒性の強い彼岸花に近づけない為の昔の人の知恵とも言われています。

日本では、毒性を利用し、モグラやネズミなど土に穴を掘る小動物の害から、農産物やお墓を守るため、水田の畦道、堤防や土手、墓地の周辺などに人為的に植えられたようです。
畔や土手に沿って列をなして、また、墓地の縁どりのように並んで、彼岸花の花が一斉に咲く光景は見事であり、彼岸のイメージとも重なり、人々にを強い印象を与えます。

彼岸花(曼珠沙華)は、元々は中国原産であり、かなり古い時代に日本に入って来ているようなのですが、日本文学では敬遠される題材であったようであり、和歌では歌題とされず、奈良・平安時代を通して取り扱った例を見つけることは難しく、古典俳諧の世界でも、芭蕉の句はなく、蕪村・一茶の次の句など僅かなものに限られます。

 「曼珠沙華 蘭に類(たぐ)ひて 狐啼く」    与謝蕪村
 「なむだ仏 なむあみだ仏 まんじゅさ花」    小林一茶
 「秋風や むしりたがりし 赤い花」       小林一茶

各々の俳句の内容から伺えるように、江戸時代までは、彼岸花の妖艶な美しさにフォーカスして詠まれた句はあまり見当たりません。

漸く近現代に入ってから、次の山口誓子の句のように、天上の花、極楽に咲く荘厳な花になぞらえる彼岸花自体の美しさを詠んだ俳句が盛んになっていきます。
突き抜けるように高く、深い紺色をした秋の空と、真紅の花を火花が散るがごとくに咲かせる凄艶な曼珠沙華、そのコントラストが見事で印象的な句です。

 「つきぬけて 天上の紺 曼珠沙華」       山口誓子

この時期は、彼岸花のある情景を心に思い浮かべながら、祖先を敬い、亡くなった方々を偲ぶ気持ちを大切にしたいと思う次第です。
先ずは、毎日を無事に生きていられること自体が有り難いこととして、感謝の気持ちを持って、且つ将来への展望も見据えて、一歩一歩、前へと進んで行きたいものです。

秋は、大気が安定して青空が広がり、空気が澄み渡る中で、急に空が高くなったように感じられます。
「秋高し」「天高し」「空高し」は、いずれも秋を表す季語です。また、「清秋」は旧暦8月の異名であり、空が清らかで澄みわたった秋を表しています。

秋の空には、鰯雲(いわしぐも)・鯖雲(さばぐも)が泳ぎ、鱗雲(うろこぐも)が広がる姿も見かけるようになります。
日中は残暑も落ち着いて、秋らしい爽やかな陽射しに恵まれ、風も肌に優しく、とても心地よい時季です。

日暮れが早まって、秋の夜長の季節、澄みきった空気の中、虫の声は遠い空へと吸い込まれ、高い空に月も冴えて輝きます。
大地の恵みに感謝しながら、時には高い空を見上げて、すがすがしいこの季節を全身で感じて、心も澄まして充実した暮らしを心掛けていきたいものです。

暦の上では、ちょうど仲秋の真ん中に達しており、秋も後半の一ヶ月半に入ってきております。

今年も、夏から秋にかけて記録的な猛暑日や真夏日が続いて、暑さがなかなか収まりませんでしたが、漸く秋らしい日々が訪れてきます。
快適なこの季節を大切にして、心身を整えつつ、秋ならではの活動やイベントを企画して、意欲的に取り組んでいきましょう。

【七十二候だより by 久栄社】 <第45候>玄鳥去(つばめ さる)9月17日は、七十二候では45候、白露の末候、『玄鳥去(つばめ さる)』の始期です。春先に日本にやってきた燕が夏までに子育てを終えて、秋が深まる中、越冬のために南へと旅立つ...
16/09/2024

【七十二候だより by 久栄社】 <第45候>
玄鳥去(つばめ さる)
9月17日は、七十二候では45候、白露の末候、『玄鳥去(つばめ さる)』の始期です。
春先に日本にやってきた燕が夏までに子育てを終えて、秋が深まる中、越冬のために南へと旅立つ頃。

『白露』の節気では、初候は、「初秋」の「霧」から「仲秋」の「露」へと移り、本格的な秋の到来を辺りの風景から感じ、次候は「鶺鴒(せきれい)」、秋の空に爽やかな鳴き声が心地よく響く世界に暫し耳を傾けたところでした。

そして、この末候は、「玄鳥(つばめ)」=「燕」がいよいよ渡りの時季を迎えていることを告げており、秋の深まりを改めて知ることになります。
「仲秋」の季節も、早くも半分に達しようとしており、次は『秋分』の節気に至る直前まで来ているということで、暑さも遠のきつつあり、季節の移ろいを肌で感じます。

燕は、田畑の農作物は食べずに害虫だけを食べてくれるため、昔から益鳥として親しまれて大切にされてきました。
燕が軒下に巣を作った家は繁栄すると言われており、商家では商売繁盛の印として巣立った後の巣も残しておくことが多いそうです。

また、古来から燕は季節の移ろいを知らせる鳥の象徴の一つであり、旧暦8月は「燕去月(つばめさりづき)」とも呼ばれておりました。
七十二候では、4月初め、『清明』の初候=13候、春の到来を告げる『玄鳥至(つばめきたる)』と対を為しており、秋の深まりを象徴する時候です。

秋の彼岸の日程は、秋分の日を中心とした前後3日間(計7日間)であり、今年の彼岸入りは9月19日です。
「暑さ寒さも彼岸まで」といわれる通り、本格的な秋の訪れが感じられる頃、燕たちは、旅立ちの時季が到来したことを自然と察知して、次々と暖かい南の地へと飛び立っていきます。

春に到来して子育てを始める燕ですが、やがて来る過酷な「渡り」の旅に備えて、巣立ちは早く、幼鳥の時から集団生活で鍛えられます。
燕は、実は日本にいる間に子育てを2回するようでして、特に最初のヒナたちは生後わずか20日程度で巣立つ宿命にあります。

巣立ったヒナたちは、身を隠すことのできる芦原や樹木などで集団生活を始め、旅立ちの日に向けて生きるための鍛錬を積み重ねて、少しづつ成長していきます。
夏になると、2番目の子育てを終えた親鳥たちも、順次、集団に加わり、夕方には多くの燕が集結するようになり、夜には一斉に其々のねぐらに帰っていく風景が見られます。
そして秋に向けて、集団はだんだんと大きくなり、数千羽から数万羽になることもあるようで、その中で子どもたちも仲間とともに逞しく育っていきます。

南の地への旅立ちは、小グループ単位で少しずつ進んでいきます。まずは親鳥たちが、厳しい試練を予感しながら、子どもたちを置いて先に旅立ちます。
子どもたちは、自らの成長を見極め、力の備わった者から順番に旅立っていきます。子どもたちは、子どもたちだけで後から集団をつくり、先陣を追いかけて懸命に飛んでいきます。

集団生活で成長した若い燕も含めて、燕たちは、他の渡り鳥以上に、飛翔力に優れており、飛行速度もかなり速く、また、長い尾や翼を巧みに操って、急旋回・急降下なども意のままに、飛び続けます。
そして、2~3千キロメートルの旅の後、台湾・フィリピン・マレー半島・ボルネオ島北部・ジャワ島など主に東南アジアの島や国に到着して越冬しますが、そこではエサとなる豊富な昆虫が待っています。

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俳句では、「燕」は基本的には「仲春」の季語ですが、「夏燕」といえば「三夏」の子季語となり、「帰る燕」「去ぬ燕」「秋燕」「帰燕」「巣を去る燕」「残る燕」は「仲秋」を表す子季語です。
古典俳諧の世界からは、春の13候にて芭蕉の句を紹介しましたが、秋については蕪村と一茶の次の句を紹介したいと思います。それぞれの情景が視覚的に広がる感じがします。

 「落日の なかを燕の 帰るかな」       与謝蕪村
 「乙鳥は 妻子揃うて 帰るなり」       小林一茶

また、近現代になってからも、多くの俳人が秋の燕を詠んでおりますが、加藤楸邨の次の俳句の情景を深く鑑賞したいと思います。

 「燕はや かへりて山河 音もなし」      加藤楸邨

とてもシンプルな形で、視覚だけでなく聴覚の世界も合わせて表現しており、燕がいなくなってしまった後の静けさに人が感じている心寂しさを詠んでいます。
『秋が深まる中で、身近にいた燕はとっくに南の方へ帰っていってしまった。山も川も今は音もなくひっそりとしている。』ということで、寂寥感が伝わってきます。

渡り鳥の世界では、燕に代表される夏鳥が日本を去っていく一方で、やがて、雁や鴨、白鳥や鶴などの冬鳥が日本へと次々と飛来してきます。冬鳥には凛とした躍動感を感じます。
季節の移り変わりの中で、様々な渡り鳥が行き交う日本列島。その環境を守りながら、渡り鳥に纏わる日本人の文化や情感も大切にしていきたいものです。

一方、東アジアと東南アジア以外の世界へと目を転じると、春の13候でも触れましたが、燕は世界中の殆どの国で見ることのできる野鳥として棲息しており、毎年、秋には、ユーラシア大陸や北米大陸などの北方に位置する温帯域の繁殖地から、はるか南方の熱帯・亜熱帯域の越冬地に向けて、地球規模における渡りの旅が展開されていきます。

具体的には、ヨーロッパから西アフリカ・中央アフリカへと、中国・ロシアから東南アジア・南アジアへと、北アメリカから中央アメリカ・南アメリカへと、世界中、多くの種類の燕たちが、人間社会が築いた数々の国境を越えて、越冬地を目指して力強く果敢に飛び続けていきます。

人間社会においては、この数年、世界各地で、気候変動など環境問題に対する危機意識が高まってきており、脱炭素社会・カーボンニュートラル・グリーンリカバリーの潮流が拡がっております。
また、2030年を意識して、環境以外の地球上の問題も視野に入れ、SDGs(持続可能な開発目標)の達成を目指して、段階的な取組みを具体化していく動きも引き続き進行しております。

しかしながら、一昨年以来、地政学リスクが顕現化・常態化して、国際情勢は危うさを増しており、特に今年は世界各国で大きな選挙も多く、争点化する傾向もある中、事の本質を見極め、実効性のある対策を実現していけるのか、人間社会の平和とサステナビリティへの取組みが改めて問われているような状況かと感じます。

「人新世(Anthropocene)」という言葉が使われるように、現代は、人類が地球の地質や生態系に重大な影響を与えるようになった地質時代において、究極の状況にあると認識されております。
私たち人間は、地球の生態系全体に甚大なる影響を及ぼし続けており、今や燕も含む全ての生き物の将来に対しても責任を負っていることを忘れてはいけません。

果敢に渡りの旅に挑んでサステナブルな暮らしを追求する燕にも負けないように、是非、基本的な安全保障を確保しつつ、世界の人々との連帯や協働にも気を配りながら、企業としても、個人としても、平和を希求し、地球と子どもたちの未来を守り、全ての生き物を保護していくために、自分たちの為すべきことを粘り強く探求して取り組んでいきたいと思う次第です。

住所

東京都中央区新川1-28/44
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