01/11/2024
【七十二候だより by 久栄社】 <第54候>
楓蔦黄(もみじつた きばむ)
11月2日は、七十二候では54候、霜降の末候、『楓蔦黄(もみじつた きばむ)』の始期です。
野山の楓(かえで)や蔦(つた)の葉が赤や黄に色づいてくる頃。
『霜降』の節気は、秋として最後の節気であり、初候は『霜始降花(しもはじめてふる)』、次候は『霎時施(こさめときどきふる)』秋が一段と深まり、冷え込みが厳しくなる中、移ろい行く季節の物語は、「霜」から「霎」へと肌寒さを想わせるテーマを経て、いよいよ最終章を迎えました。
「晩秋」として佳境の時季を迎えて、赤や黄の彩りが山々の上の方から麓へと次第に降りてきます。「紅葉狩り」の季節の到来です。
秋の山が紅葉によって色づく様子は、「山粧う(やまよそおう)」とも表現され、春夏秋冬の季語として「山笑う」「山滴る」「山粧う」「山眠る」のセットで使われます。
紅葉(こうよう)は、北海道の大雪山を手始めにして、北から南へ、山から里へとゆっくりと時間をかけて、日本全体を鮮やかに染め上げていきます。
紅葉の見頃の推移は、春の桜前線と対比して「紅葉前線」と呼ばれ、「桜前線」が北上するのとは逆に、日本列島を徐々に南下していきます。
具体的な見頃は、平野部では、北海道や東北は10月、関東・東海・近畿・中国・四国・九州は11月から12月上旬にかけてであり、山間部などは少し早まります。
「紅葉前線」は、南下と同時に、標高の高い山から低い山へと、山頂から麓へと下りてきます。奈良の吉野山で言えば、奥千本・上千本・中千本・下千本と下って、やはり「桜前線」と逆の順番です。
「紅葉」は「もみじ」とも読み、草木の葉の色が揉み出されてくるという意味の動詞「揉み出(もみず)」が名詞に変化していったようでもともと一般的に紅葉する木々や現象を指す言葉ですが、その後、イロハモミジのような特定の楓(かえで)の種類のことも指すようになったようです。
植物の分類学の上では、モミジと呼ばれる種もカエデと呼ばれる種も、同じカエデ科カエデ属の植物という意味では一緒であり、何か厳格な区別があるわけではないようです。
一方、園芸、特に盆栽の世界では、葉の切れ込みが深い種をモミジ(例:ヤマモミジ)、葉の切れ込みが浅い種をカエデ(例:トウカエデ)として、区別していたりします。
因みに「かえで」の名の由来は「かえるて」、葉の形が蛙(かえる)の手に似ていることから、名づけられたと言われています。
楓などの葉が赤色に染まるのが「紅葉」、黄色に変わるのが「黄葉」で、どちらも「こうよう」と呼びますが、さらに茶色に転じれば「褐葉(かつよう)」というように表され楓のように一つの木でも赤・オレンジ・黄など三色のグラデーションが現れる木もあれば、銀杏のように専ら「黄葉」する木もあります。
<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/
鮮やかな紅色に染まるには、晴れた日が多くて葉が充分な日光を浴びること、昼夜の寒暖の差が大きいことが大切なようです。
そういう条件の下で、アントシアニンが充分に生成された木の葉ほど深紅に染まるということで、一つの木で三色のグラデーションが出来たりするわけです。
他方、銀杏・ポプラ・プラタナス等は、アントシアニンが生成されない種類の木である為、黄色一色に染まるということです。
古来、紅葉の美しく鮮やかな情景は、「錦繍(きんしゅう)」の彩とか表現されるように、絢爛豪華な錦の織物柄に例えられます。
錦を彩る絹糸の色合いとしては、茜(あかね)、紅(べに)、朱、曙、橙、黄蘗(きはだ)、刈安(かりやす)、鬱金(うこん)、朽葉(くちば)など微妙な風合いを表した日本の伝統色の繊細さや豊かさの象徴でもあり、光(ひかり)綾なす紅葉の風景を表現するに相応しい華麗さを持っております。
紅葉は、秋の風物詩として、日本の文化と深く結びついており、絵画や工芸品のテーマとして取り上げられているほか、古来、数多くの和歌や俳句に詠み込まれています。
和歌では、古くは『万葉集』の中で、「黄葉(もみぢ)」を詠んだ歌は100首を越えているそうですが『百人一首』では、秋を詠んだ歌が20首ほどある中、「紅葉」「もみぢ葉」や紅葉の情景を詠んだ歌としては菅原道真や三十六歌仙の在原業平・猿丸大夫など、以下の有名な歌が取り上げられております。
「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」 猿丸大夫 『古今和歌集』等
「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」 在原業平 『伊勢物語』等
「このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山(たむけやま) 紅葉の錦 神のまにまに」 菅原道真 『古今和歌集』等
「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」 藤原忠平 『拾遺和歌集』等
「山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり」 春道列樹 『古今和歌集』等
「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり」 能因法師 『後拾遺和歌集』等
平安中期、『古今和歌集』の後に編纂された『後撰和歌集』には、次のような詠み人知らずの歌があります。
「もみぢ葉を わけつつゆけば 錦きて 家に帰ると 人や見るらん」 詠み人知らず 『後撰和歌集』
意味としては、紅葉の中をかき分けながら進めば、錦の衣を装って家に帰っていくように人には見えるだろうよ、ということで『百人一首』の格調高い歌とは少し趣きが異なり、身近に接している鮮やかな情景に気が高ぶった心象が伝わってくるようです。
俳句に関しては、古典俳諧の世界から、江戸時代の三大俳人の「紅葉」を詠んだ句を紹介します。
「蔦の葉は 昔めきたる 紅葉かな」 松尾芭蕉
「山暮れて 紅葉の朱を 奪いけり」 与謝蕪村
「日の暮れの 背中淋しき 紅葉かな」 小林一茶
芭蕉の句は、蔦の葉がくすみがかった深紅に染まる様を、昔めいた色の紅葉と表現しています。
蕪村の句は、山に日が落ちて暗くなり、紅葉の色が失われていく様を、紅葉から朱を奪うと言う形で表しています。
一茶の句も、日が暮れてしまい、紅葉の色が夜の闇に消えていく様を、背中淋しきと詠んでいて、それぞれ捉え方の趣きが感じられます。
更に、色のコントラストが織り成す風情に着目して、芭蕉の句を一つ追加で紹介したいと思います。
「色付くや 豆腐に落て 薄紅葉」 松尾芭蕉
色づいたもののまだ薄い紅葉ですが、桶の中の豆腐の上に落ちたところ、豆腐の白さによって紅葉の色が鮮やかに引き立っている一コマを詠んだ表現が印象的な俳句です。
さて、日本の紅葉の美しさや鮮やかさは、世界有数と言われており、寒暖の差など変化に満ちた気候風土のおかげで、その色の豊富さやグラデーションの繊細さでは群を抜いております。
実は地球上の森林の中で、落葉樹林が広く分布している地域は決して多くはなく、紅葉が見られるのは、東アジア・北米・欧州の一部の地域に限られているようです。
国土の7割を占める日本の森林は、豊富な種類の落葉樹におおわれており、特に海外では“maple”と呼ばれている、モミジやカエデの種の豊かさが特に際立っております。
11月の京都では、古刹の庭園など数えきれない程の名所で見頃の時季を迎えるのをはじめとして、全国各地には紅葉の名所が数多く存在しており、毎年多くの人が訪れて賑わいます。
今年の秋もクライマックスを迎えました。
まだまだ日中は暖かい日もありますが、朝晩の冷え込みにより、着実に「紅葉前線」は日本列島を北から南へ、山から平地へと徐々に迫ってきております。
冬の到来を前にして、積極的に「錦秋」と呼ばれる各地の秋景を訪ね歩いてみたり、身近な地元の隠れた名所に立ち寄る機会などを増やしていきたいところです。
最近では、写真や動画も美しいので、日本全国の絶景や味わい深い風景をネットで探して鑑賞するのも、気分転換や目の保養にもなって良いと思いますが自分自身の眼で静かに向き合える時間をつくり、自然と高揚する気持ちを深く大切に感じながら、錦のように色鮮やかで美しい日本の紅葉を心ゆくまでゆっくりと楽しみたいものです。