株式会社久栄社 Kyueisha

株式会社久栄社 Kyueisha 水なし印刷やFSC認証紙、カーボンオフセットなどの環境負荷の低減につな? Eco-friendly printing is our strong point. Moreover we have been using Non-VOC Ink which is 100% Soy Based Ink.

私たち久栄社は、企画デザインから、製版、印刷、加工、発送までの印刷のすべてのプロセスをグループ企業での一貫した作業を実現しています。
印刷物においても「環境へのやさしさ」のニーズが高まっている時代の中、“環境対応印刷”に力を入れて取り組んでいます。

「水なし印刷」「Non-VOCインキ、植物油インキ」「FSC認証紙」、これらを組み合わせ、トータルな環境対応印刷で時代を一歩リードする環境対策アドバンテージを印刷物を通して提供しています!

We operate as an all-in-one resource to support a variety of printing. Kyueisha has been recognized us the first Waterless Printing company in Japan, and all our commercial print

ing process has been adopting waterless printing. Waterless printing does not use dampening solutions, which contain alcohol or VOC (Volatile Organic Compounds). Waterless printing eliminates the need for up to 100,000 liter of water and 10,000 liter of alcohol per year consumed by a typical mid-size printer. Using Non-VOC inks helps keep the VOC levels well below the standards of conventional Soy Based Inks. We also are an FSC Certified (Forest Stewardship Council) printer, we participate in a Chain-of-Custody system which insures paper products are manufactured in a responsible manner from responsibly managed forests.

【七十二候だより by 久栄社】 <第61候>閉塞成冬(そらさむく ふゆとなる)12月7日は、二十四節気では、雪がさほど多くなかった『小雪』の候から、『大雪』の候へと、節気が移ります。全国的に冬一色となり、本格的に雪が降り始める頃。冬型の気...
06/12/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第61候>
閉塞成冬(そらさむく ふゆとなる)

12月7日は、二十四節気では、雪がさほど多くなかった『小雪』の候から、『大雪』の候へと、節気が移ります。
全国的に冬一色となり、本格的に雪が降り始める頃。

冬型の気圧配置が強まっていく中、次第に雪が激しく降るようになり、山々は大いに雪に覆われて、平地にも降雪があります。
本格的な冬の到来を迎え、金沢の兼六園など、降雪地域の庭園では、雪の重みで庭木の枝が折れないように、順次、雪吊りが施されています。

七十二候は61候、大雪の初候、『閉塞成冬(そらさむく ふゆとなる)』の始期です。
空は厚く重く垂れこめる雲に覆われ、天地の気が塞がれて、いよいよ真冬が訪れる頃。

七十二候においては、春夏秋冬の移り変わりの中で、天空や大地の変化、天候、季節の風、変化する水の姿、虹や雷など、様々な自然現象や気象がテーマとして登場します。

この『大雪』の初候では、「空」が主題となっており、「初秋」にあたる8月下旬、『処暑』の次候、41候の『天地始粛(てんちはじめてさむし)』以来の天空の変化が表されており、「さむし」「さむく」という和の音こそ一緒ですが、天地が鎮まり収まっていく転機から3ヵ月余の時が過ぎて、冬本番の時季を迎え、天地の気の閉塞を身近に感じるに至ります。

『大雪』の節気では、続く次候・末候は、言わば動物シリーズで、次候は「熊」、末候は「鮭」が取り上げられ、自然界における冬支度や繁殖活動の情景が描かれていきます。

「閉塞(へいそく)」とは、閉じて塞ぐことですが、空は重苦しく閉ざされ、灰色の冬の雲で塞がれます。
「雪曇り」とは、真冬の時季、今にも雪が降り出しそうな重たい雲に覆われた空模様を言います。

12月上旬は、日暮れの最も早い時季でもあります。一年で最も早く夜が訪れるのは、冬至の手前、今時分です。
冬は「初冬」「仲冬」「晩冬」と「三冬」で呼ばれますが、これからは「初冬」から「仲冬」に移り変わっていきます。

凍てつくような寒さの中、生き物も活動を控え、じっと息を潜めており、辺りは深閑(しんかん)とします。
雪化粧をした山々の静謐な情景、枯木となった街路樹に寒風が吹きつける風景など、冬景色が全国に広がっていく時季です。

今回も、古典俳諧の世界から、冬の「枯野」を詠んだ俳句として、病床にて作句し芭蕉の生前最後の句となった有名な句をはじめ、江戸時代の三大俳人の句を選んでみました。

 「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」      松尾芭蕉
 「蕭条として 石に日の入る 枯野かな」     与謝蕪村
 「遠方や 枯野の小家の 灯の見ゆる」      小林一茶

雪に関しては、その状態から、淡雪や細雪、ぼたん雪やべた雪など、日常でも様々な表現や呼び方が使われますが、降雪と積雪ではまた異なる言葉があり、降雪では、乾雪(かわきゆき)として灰雪・粉雪・玉雪・綿雪の4つ、潤雪(ぬれゆき)として綿雪・濡雪・水雪の3つを挙げる分類もあるようです。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

日本画の世界では、明治画壇をリードし、日本画の近代化を牽引した第一人者とも言われる、橋本雅邦(はしもと がほう)には『雪景図』という作品があります。

橋本雅邦は、江戸末期には狩野派を学びましたが、その後、狩野派に異を唱えて、斬新な画風で自らの理想を追求しました。
一方で、諸派それぞれの長所を生かす、折衷主義を奨励しており、古典の精神にも学ぶ心持も併せ持った画家としても知られております。

『雪景図』は、日本の山中の雪景色を描いた作品であり、奥の山には雪が降り積もって真っ白であり、辺り一面が雪で覆われている中、岩崖の上の樹木のみが眼前で視界に入り、その前に霞か霧か横にたなびいている風景を表しております。

古来の水墨画のように色合いはありませんが、非常にリアルな奥行き感のある絵であり、画家の観た樹木を取り巻く世界観が表現されているように思えます。
『大雪』の候、『閉塞成冬』の時期にふさわしい構図の絵と言えるかもしれません。

これから次第に寒くなり、木枯らしも益々強まり、いよいよ冬本番を迎えます。
雪にはならないとしても、この時季に降ってくる冷たい雨は「氷雨(ひさめ)」と呼ばれ、体温を奪います。

年末に向けて、日本列島は山間部を中心に舞い降りてくる雪に次第に包まれていきます。
また、冬将軍とも呼ばれるシベリア寒気団が到来すると、日本海側を中心に大雪がもたらされることになります。

今の3ヵ月予想では、西日本や東日本は平年並みの気温が予想され、冬らしい寒さになりそうです。
大陸のシベリア高気圧が南東への張り出しを強めるため、西日本では冬型の気圧配置が強まる時期がありそうです。
西日本を中心に寒気が流れ込みやすくなり、日本海側各地の降雪量は平年並みになる予想です。

備えあれば患いなし。
突然に大雪が降ってきても対応できるように、冬の初めにあたって、衣類や備品などを確認しておきたいものです。

朝晩の冷え込み具合にも気を配りながら、体調を整えて、この時期、日が暮れるまでの大切な時間を有意義に活用しながら、年内の予定などを早めに洗い出して、段取りをしっかりとして、適宜、点検・確認を入れつつ、充実した師走の日々を送っていきましょう。

今年も、あっという間でありましたが、春夏秋冬と季節がめぐる中で、各人で思い出に残るような印象的なイベントや出来事があったのではないかと存じます。
残り一ヶ月、年頭の抱負やこれまでの経緯や進捗を振り返りながら、それぞれ良い一年へと仕上げをして、来年に繋がるように、前向きに取り組んでいきたいものです。

雪に関しては、次のような諺(ことわざ)もあります。

 「わが物と 思えば軽し 笠の雪」

笠の上に積もった雪も、自分の物だと思えば軽く感じることから、幾多の苦労も、自分のためと思えば負担に感じないということのたとえです。
実は、この諺は、松尾芭蕉の代表的な門人として知られる宝井其角の次の俳句が下地になっております。

 「我が雪と 思えば軽し 笠の上」

苦しいことや辛いことであっても、それが自分のためになることだと思えれば気になりません。
当時の江戸っ子は、其角の俳句から浮世の「人生訓」を導き出したようで、わかりやすいように少し形を変えて人口膾炙したようです。

年末にかけて歳を越すまでには、いろいろとストレスや苦労もあるかと思いますが、今年も前向きに取り組み、ポジティブシンキングで乗り切りたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第60候>橘始黄(たちばな はじめてきばむ)12月2日は、七十二候は60候、小雪の末候、『橘始黄(たちばな はじめてきばむ)』の始期です。橘の実が緑から黄色へと色づいて熟し始める頃。『小雪』の節気は、初候...
01/12/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第60候>
橘始黄(たちばな はじめてきばむ)

12月2日は、七十二候は60候、小雪の末候、『橘始黄(たちばな はじめてきばむ)』の始期です。
橘の実が緑から黄色へと色づいて熟し始める頃。

『小雪』の節気は、初候においては、冬の寒さが厳しくなっていく中、空気が乾燥し、「虹」がフェイドアウトしていく様子が取り上げられる一方、次候の主題は木枯らし、「朔風」という表現にて、冬に吹く冷たい北風が主役となり、強い風で木の葉が払われる冬景色が表現されています。

改めて、初候と次候で、静と動、衰退する事象と本流・主流となる事象のコントラストが効いているのを感じますが、この末候は、冬ながら生命力を感じさせる色鮮やかな「橘」が登場します。
七十二候で主題となる植物の実としては、6月中旬の『芒種』の末候、27候で黄色く色づいた「梅」とこの「橘」の2つだけであり、趣は異なりますが、いずれも日本人の生活や文化に根ざした存在感を発揮しています。

橘(たちばな)は、古くから日本の暖地に自生している唯一の日本固有の柑橘類であり、ヤマトタチバナ、ニホンタチバナなどの別名でも呼ばれます。
橘自体の果実は、現代のみかんよりも小ぶりで黄金に輝き、表皮はとても滑らかで香りも良いですが、酸味が強くて苦味もあるので生食には向きません。

一方、橘という言葉は、日本固有の種だけではなく、外来の食用に向いている種も含めて、柑橘類の総称としても使われております。

『古事記』『日本書記』では、垂仁天皇が田道間守(たじまもり)を常世の国に遣わして、「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」「非時香木実(時じくの香の木の実)」と呼ばれる不老不死の霊薬を持ち帰らせたとの話があります。
残念ながら、垂仁天皇は既に崩御されており、田道間守も嘆き悲しんで殉死してしまいますが、『古事記』の本文では、「非時香菓」を「是今橘也(これ今の橘なり)」という一節があります。

橘は、そうしたことから、不老長寿の象徴、永遠の繁栄をもたらすものとして珍重され、「常世物(とこよもの)」という古名や「常世草(とこよぐさ)」という異名で呼ばれるようになります。
また、一説には「田道間守花(たじまはな)」から転じて人々に「たちばな」と呼ばれるようになったといわれております。

西暦の3世紀に書かれた中国の『魏志倭人伝』の中には、倭人や倭の国々に係る記述の後、倭国大乱と女王卑弥呼に係る記述の前に、倭の風俗などを紹介する中で植物の種類に関する記述があり、日本に橘が自生していることが記されております。橘は、人の歴史のかなり早い時期から登場しており、古くから歌にも多く詠まれて親しまれてきました。

『万葉集』には、聖武天皇の詠まれた次の歌が有名です。
橘は常緑樹なので、葉は冬でも青々としていて枯れることのないことから、永遠の繁栄の象徴とされてきたことがわかります。

 「橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝(え)に霜降れど いや常葉(とこは)の樹」   聖武天皇

花は白く可憐で、初夏に爽やかな良い香りを放ちながら咲き、「花橘(はなたちばな)」として、古くから数多の歌人に愛されております。
『古今和歌集』には、詠み人知らずで、次のように詠われ、橘の香りは、昔の恋人への懐旧の心情と結びつけられています。

 「五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」   詠み人知らず

平安の世には、平安京内裏にある紫宸殿には、「左近の桜」「右近の橘」と言われるように、桜と並んで、長寿瑞祥の象徴として正面の階段から見て右(向かっては左)に橘の樹が植えられました。
私たち日本人にとって身近なのは、お雛様の雛飾りです。みかんに見えるのが橘です。「右近の橘」、是非、確認して、左右を正しく飾りたいものです。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
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古典俳諧の世界では、江戸時代の三大俳人の一人、俳聖と呼ばれた芭蕉には、次の俳句があります。

 「橘や いつの野中の 郭公(ほととぎす)」     松尾芭蕉

平安時代以降、和歌ではホトトギスに「郭公」の字が当てられてきており、芭蕉の時代の句でも「郭公」は「ほととぎす」と読み、ホトトギスを意味しています。
現代においては、動物学的には、カッコウ(郭公)とホトトギス(時鳥)は、異なる科目に属する別の鳥ではあります。

元禄三年に上方にて詠まれた句のようで、「橘の花の匂いにホトトギスの鳴声が聞こえる、いつのどこかはわからないが、このような懐かしい情景に野の中で出遭ったように思える」という感じでしょうか。
この芭蕉の句は、先に挙げた『古今和歌集』の詠み人しらずの和歌を下地として、橘が昔の記憶を想い起こさせることを取り扱い、作句の動機としているようです。

奈良県の明日香村には、史実として創建年代は不明ながら古くから、橘寺(たちばなでら)があります。

もともと欽明天皇の別宮・橘の宮があったとされ、ここで聖徳太子が誕生したといわれており、その後、推古天皇の命により、聖徳太子が寺に改めたのが橘寺の始まりとされており、太子建立の七大寺の一つとされています。

境内にある往生院は、太子の念仏信仰を偲ぶ写経道場として、平成9年(1997年)に再建されましたが、その時に奉納された天上画が見事であり、日本全国の画家が献画した作品が260点、24畳の広さの大広間の天井に飾られております。

天井画は「和をもって貴しとなす」と唱えた聖徳太子の心を想って、「華」をテーマに描かれているとのことであり、主に極楽浄土に咲く花をイメージして円形の中に描かれた和洋さまざまな花の絵が道場の格天井に彩豊かに配置されており、訪れた際にはぜひ静かに観上げたい光景です。

さて、日本古来の代表的な「姓(せい)」として「四姓」という表現があり、具体的には「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と言われます。
これは、平安時代以降に権勢を誇った氏族、すなわち、源氏・平氏・藤原氏・橘氏を総称したものです。
天皇家から臣籍降下した者に与えられた姓の主流として、天皇の子や孫に与えられることが多く、姓の中で最も格が高いものとされました。

奈良時代、元明天皇が県犬養三千代に「橘宿禰(たちばなのすくね)」の姓を賜ったことに始まり、その子・葛城王が橘諸兄へ改名した後、諸兄の子孫は橘氏を称しました。
諸兄は初め「橘宿禰」の姓を受け、その後「橘朝臣(たちばなのあそん)」の姓を賜与され、権勢を誇り、平安時代に入ると、橘氏の多くは「橘朝臣」を称し、公卿職を務めたようです。

橘の花と葉は家紋にも多く取り入れられており、江戸時代には90家余りの旗本が用いていたようで、十大家紋の一つとして挙げられますが、1937年に制定された文化勲章も橘をデザインしており、昭和天皇のご意向で意匠が橘花とされたと言われており、その悠久性や永遠性が文化の永久性に通じるとされております。

時代は令和も7年目となり、天皇家にもゆかりのある日本の橘の歴史と文化に理解を深めつつ、一年を通して艶やかな緑の葉を茂らせ、生命力に輝く黄金の実をつける、日本固有の橘の木を大切にしていきましょう。
そして、身近にはみかんの季節を迎えて、暖かい部屋で、鮮やかな色合いと味覚を楽しみながら滋養をいただいて、本格的な冬の到来に備えて体調を整えていきたいものです。

みかんには、免疫を高めて抵抗力をつける働きのある栄養素、ビタミンCが豊富に含まれており、風邪などの病気予防の効果も大いに期待できます。
β‐クリプトキサンチンなど他の栄養素も含めて、抗酸化作用、動脈硬化予防、美肌効果などもあるようで、今年もやはり、冬の体の免疫力向上と健康維持に欠かせない恵みの実かと思います。

今年もいよいよ、残り一ヶ月をきりました。次は『大雪』を迎え、日もさらに短くなり、本格的に寒い時季を迎えます。
春到来まで長い冬の季節が続きますが、先ずは冬の前半戦ともいうべき時季を、しっかりと乗り切っていきたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第59候>朔風払葉(きたかぜ このはをはらう)11月27日は、七十二候は59候、小雪の次候、『朔風払葉(きたかぜ このはをはらう)』の始期です。冷たい北風が吹いてきて、木々の葉を払い落し、また払い散らす頃...
26/11/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第59候>
朔風払葉(きたかぜ このはをはらう)

11月27日は、七十二候は59候、小雪の次候、『朔風払葉(きたかぜ このはをはらう)』の始期です。
冷たい北風が吹いてきて、木々の葉を払い落し、また払い散らす頃。

『小雪』の節気では、初候は『自然現象シリーズ』として「虹」が取り上げられ、本格的な冬の季節に「虹」が姿を消し、陽から陰へと転じていくことを表します。
末候は『植物シリーズ』として「橘(たちばな)」の実が登場し、古来から神話や伝承と結びついて不老長寿の象徴ともなった日本固有の柑橘類が、冬の風景に彩りを添えています。

今回の次候は、風がテーマとなっており、冬を象徴する「朔風」、即ち、北風や木枯らしが強く吹いて、木の葉が払われる様が表現され、小雪の時季の主題を為しているように感じます。
七十二候には、春夏秋冬で4つの季節を表す風が登場しますが、特に春と秋は、『立春』と『立秋』の冒頭、暦の上で季節が変わることを告げており、夏と冬は南風と北風で対の関係で呼応しています。

『春夏秋冬の風シリーズ』は、即ち、春は2月上旬、『立春』の初候、1項の「東風(はるかぜ)」、夏は7月上旬、『小暑』の初候、31候の「温風(あつかぜ)」、秋は8月上旬、『立秋』の初候、37候の「涼風(すずかぜ)」と続いており、そして、冬は11月下旬、この『小雪』の次候、59候の「朔風(きたかぜ)」で完結するわけです。

「朔(さく)」は、「朔日(さくじつ)」と言われるように、陰暦では月の第一日を指しますが、十二支の最初の子(ね)は北を指していることから、方角としては北を指す漢字となりまして、「朔風(さくふう)」とは北の方から吹く風、即ち北風のことになります。

「晩秋」から「初冬」、さらに「仲冬」にかけては、木枯らしの季節であり、木々の葉を吹き枯らす風が太平洋側地域を中心に吹き抜けますが、冷たい北風は、木々の葉を枯らしながら地面に落として、たくさんの落ち葉を辺り一面に散らかしていきます。

散った落ち葉は地面いっぱいに拡がって、緑に囲まれていた公園や街路樹の並ぶ道路には、木の葉の絨毯が出来上がります。
木枯らしは、更に落ち葉でできた絨毯を地上に舞わせるように吹き払って、その模様を刻々と変えていきます。

日本では、各種のモミジも含めて庭園などに美しく植えられたカエデ、街路樹の代表格のイチョウ、サクラ、ケヤキなど、周囲には数多くの落葉樹が見られ、森林としては、ブナ、ナラの樹林など多種多様な広葉樹に加えて、カラマツなどの針葉樹も含めて、実に色も形も千差万別の落葉樹が各地に分布しています。

日本の伝統色では、黄や赤に紅葉していた木の葉は、地面に落ちて枯れ葉となっても「朽葉色(くちばいろ)」という風雅な呼び名で表現されます。

秋の落ち葉の色を表す王朝風の優雅な伝統色名であり、黄染に浅い紅花染を施したような少し赤みがかった褐色が基本ですが、「黄朽葉」「赤朽葉」「青朽葉」の三系統を中心に、昔の日本人は「朽葉四十八色」といわれるほど微妙な色の違いを見分けていたようです。

ここで、日本の伝統文化の中で、落ち葉に表象される美しさに関連して、茶聖とも言われた、千利休の逸話を紹介いたします。

岡倉天心が見事な英語で綴った「茶の本」、原題は“THE BOOK OF TEA”の“THE TEA-ROOM”の一節からの引用になりますが、お話の導入の部分では、“There is a story of Rikiu, which well illustrates the ideas of cleanliness entertained by the tea-masters.”と始まります。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

岡倉天心が“What Rikiu demanded was not cleanliness alone, but the beautiful and natural also.”と解説してまとめているように、利休が求めたのは、決して自然そのままではないが、単に全てを片づけるということでもなく、落ち葉という自然を適度に取り入れて生かした秋の風景です。

そこに茶の湯の理想ともいうべき美意識を表した逸話として、「一輪の朝顔」の話と併せて、400年の時を越えて大切に語り継がれてきております。

古典俳諧の世界からは、江戸時代の三大俳人の「木枯し」「凩(こがらし)」や「木の葉」「落葉」を詠んだ俳句を幾つか紹介します。
三者三様ながら、目には見えない木枯しを眼前の風景に詠み込む感性のきらめきに超一流のものを感じます。
落葉の情景も趣きがあり、それぞれの様子を想像して楽しめるかと思います。

 「木枯に 岩吹きとがる 杉間かな」      松尾芭蕉
 「木枯しや 竹に隠れて しづまりぬ」     松尾芭蕉
 「三尺の 山も嵐の 木の葉哉」        松尾芭蕉

 「凩や 広野にどうと 吹起る」        与謝蕪村
 「こがらしや 岩に裂け行く 水の声」     与謝蕪村
 「待(ち)人の 足音遠き 落葉かな」     与謝蕪村

 「こがらしや しのぎをけずる 夜の声」    小林一茶
 「木がらしや こんにゃく桶の 星月夜」    小林一茶
 「猫の子が ちよいと押さへる 落葉かな」   小林一茶

日本画の世界では、国民的な風景画家として知られ、昭和を代表する日本画家の一人である、東山魁夷(ひがしやま かいい)には、1997年(平成9年)、魁夷85歳の時に描かれた『木枯らし舞う』という作品があります。

深い紫に染まった林の間の一本道、俄かに木枯らしが吹き抜けて、数えきれないくらいの色鮮やかな黄葉が軽やかに舞い上がる一瞬の光景を描いた絵です。
風に舞う無数の葉が織りなす一筋の黄金の流れは、季節が秋から冬へと変わり目にあることを告げるがごとく、幻想的な空間を表現しており、魁夷自身が次のように述懐しております。

「秋も終わりに近い頃、私は一人、北の果ての静かな森に入って行った。重いスケッチブックを肩に細い道を登る。すると一陣の風が、それも激しい勢いで眼前を横切った。
目をあげると周囲の林の梢から黄金色の葉が、いっせいに落ちて空中に舞い上がった。秋の終末を告げるフィナーレのように華やかで淋しい一瞬である。私は、しばらくこの落葉で身体中が包まれてゆくのを感じながら佇んでいた。」

晩年に至るまで、自然の美しさや機微を捉える魁夷の観察眼や創作意欲は衰えることなく、この作品においても誰も描いたことのないようなインパクトのある構図にて、今も観る人々の心に迫ってくるようです。

地面に落ちた葉は、微生物たちの働きによって肥料となって土を豊かにし、地上の木々はその栄養を吸い上げて春には新芽を出すという、大きな生命の循環があります。
落ち葉には、春の再生を用意して新しい春の息吹に繋がる望みの葉であるという意味で、「望み葉」という新たな希望へと繋がる素敵な表現もあります。

木枯らしのこの季節、落ち葉が散った木々では細かい枝が露わとなり、地表でカソコソと音を立てる枯れ葉と相まって、寂寥感を感じがちですが、改めて日本の伝統的な美意識や豊かな感性を大切にして、遠い春への循環の流れにも想いを致して、是非、前向きに初冬の寒さに立ち向かっていきたいと思う次第です。

そして、季節の風が変化していくように、世の中の風向きというものも、必ずどこかで変わっていくものです。
国際情勢も国内政治も、グローバル経済も日本経済も、市場やマーケットも、社会の流行やトレンドも、いずれも風向きを読むことが大切になります。

今現在に吹いている風を知って、逆らわずに対応していくことも重要ですが、どんな風でもやがては収まって、新しい風へと移り変わっていきます。
心を研ぎ澄ませて、時代の風向き、世の趨勢や成り行きを冷静に捉えて、未来に向けて、しっかりと布石を打って、プロアクティブに力強く前に進んでいきたいものです。

今年は、年初から米国の新たな大統領を震源にした、従来とは非連続な動きが世界を揺るがしており、首相交代など国内の政治情勢も変化しており、いろいろと新たな動きが起きております。
明らかに風向きが変わった部分、そうでない部分の見極めが重要ですが、経済や社会への影響などを見通して、対処していくことが大切です。

そろそろ2026年、令和8年に吹く風の方向や強さに想いを馳せて、シナリオ・プランニングなどの手法も参考にしながら、将来に向けた備えを考えて実行していきたいところです。
不確実な時代に生きる上で必要なのは、悲観論でも楽観論でもなく、客観的に考察して起こりうる可能性を想定し、その想定を踏まえて今からできる備えを検討することです。

将来における不確実な可能性を考えて終わるのではなく、それらの可能性をインプットとして、様々なことを考えていくプロセスが重要と言われております。
様々なシナリオを念頭に置いて考察し、環境変化を考える枠組みや自らの認識も見直しつつ、将来に向けた備えを具体化して実行し、状況を踏まえて果敢に対処していくことが大切と思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第58候>虹蔵不見(にじ かくれてみえず)11月22日は、二十四節気は『小雪(しょうせつ)』、『立冬』と『大雪』の間の時季にあたり、北国から雪の便りが届き始める頃。北の山々に僅かながら雪が舞う頃であり、次...
21/11/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第58候>
虹蔵不見(にじ かくれてみえず)

11月22日は、二十四節気は『小雪(しょうせつ)』、『立冬』と『大雪』の間の時季にあたり、北国から雪の便りが届き始める頃。
北の山々に僅かながら雪が舞う頃であり、次の『大雪(たいせつ)』に対して、雪がさほど多くないので、『小雪』と呼びます。

この季節に初めて降る雪は「初雪」と呼ばれ、人々に冬の本格的な訪れを告げます。
今年は、既に『立冬』の時期に、北日本を中心に各地で本格的な降雪も記録されております。

日本画の世界では、以前にも紹介した、大正から昭和前期に活躍した女性画家、上村松園が『初雪』という美人画の作品を描いております。

一人の女性が両の手を着物の袖深くまで引き込めて傘を持って、微かに振ってきた初雪を振り返って見つめる何気ないしぐさを描いており、画面の余白に拡がる、冷たい初冬の空気を巧みに表現しており、女性が肌で感じている寒さが伝わってくるようです。

女性の柔らかい表情とまなざしは、ほのかな淡い雪を楽しんでいるかのようであり、わずかに微笑んでいるように見えます。
松園ならではの女性美の表現を通して、春夏秋冬の季節の移り変わりを愛でる心情が見事に投影されているのを感じます。

七十二候では58候、小雪の初候、『虹蔵不見(にじ かくれてみえず)』の始期です。
本格的に冬を迎えて、太陽の光が弱まり、空気も乾燥してきて、虹が見えなくなってくる頃。

『小雪』の節気は、初候では、久々に自然現象として「虹」がテーマとなり、『秋分』の初候、46候『雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)』に続いて、陽から陰への転化を表す内容となっており、冬の到来の中で、「虹」の季節が終焉を迎えつつあることを告げております。

次候は『朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)』、春・夏・秋の風に続いて、冬の風、即ち北風、木枯らしがテーマとして取り上げられ、末候では『橘始黄(たちばなはじめてきばむ)』、こちらは『芒種』の末候、27候『梅子黄(うめのみきばむ)』以来、植物の実が登場します。

虹とは、太陽の光が空気中の水滴にあたって反射・屈折してできるものであり、水滴がプリズムの役割をして、波長と屈折率の異なる光が分解されます。
分解された光のスペクトルが並んだ、円弧状の光が虹であり、虹が現れる条件としては、太陽の光と湿り気を含んだ空気が必要です。

本格的な冬に入ると、陽射しは弱まり、空気も乾燥してきます。太陽の見えない、曇り空の日も多くなり、虹が見える条件が満たされなくなってきます。

4月中旬の『清明』の末候、15候『虹始見(にじはじめてあらわる)』から始まって続いていた、虹が身近に現れる7ヵ月間が過ぎて、「蔵」の字の意味するように、虹が隠れる、潜むということで、これから春までの5ヶ月間、虹とは暫くご無沙汰ということになります。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
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虹の色彩の捉え方につきましても、実は人々の主観があって初めて決まる話であり、各々の国や地域の文化を色濃く反映しています。
実は、虹の色彩に関しては、科学的には虹を構成する太陽光のスペクトルは連続しており、物理学の視点では無限の色が存在するということになります。

現代の日本では、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫(せき・とう・おう・りょく・せい・らん・し)の7色とされるのが一般的ですが、虹の色を何色として見るかは文化で異なり、東洋では五行に基づいて5色とされているのに対して、西洋では、古代ギリシア以来、5色もしくは3色と捉えられていたようです。

英国では赤黄緑青紫の5色が一般的でしたが、ニュートンは、太陽光をガラスのプリズムで分解する実験研究を重ね、連続性があることを充分に理解しつつも、神聖な数である7を強く意識し、音楽の音階が7音で成り立っているように、虹も橙と藍を加えて7色で構成されていると分析しました。
現代の日本で7色が一般的になったのは、ニュートン研究に由来する学校教育の影響と言われており、実は7色は決して世界の定説ではありません。

世界では、虹の色の捉え方は様々であり、現代の米国では赤橙黄緑青紫の6色が一般的であり、南アジアの部族や沖縄地方などでは明・暗の2色とされる一方、アフリカの部族の中には黄緑も数えて8色というところもあり、また、インドネシアのフローレンス島地方では、赤地に黄緑青の縞模様(赤黄赤緑赤青赤)に見えるようです。

冬にも虹が現れることがありますが、夏のようなくっきりとした虹ではなく、ぼんやりとした淡い虹であり、すぐに褪せて消えてしまいます。
冴え冴えとした冬の空に稀に現れる虹は、「冬の虹」として季語にも使われ、ときめく心を呼び起こす一方で、儚さを感じさせる象徴のようです。

「冬の虹」を詠んだ俳句は、古典俳諧には流石に見当たらなかったので、昭和を中心として活躍した近現代の俳人の句を幾つか紹介します。

 「冬の虹 消えぬ強さも やさしさも」     中村草田男
 「神は地上に おはし給はず 冬の虹」      飯田蛇笏
 「弾雲や はるかなりける 冬の虹」       加藤秋邨

季節が移ろう中で見えなくなってくるものがある一方で、冬の澄んだ空気の中で鮮明に見えてくるものがあります。心の持ち様は、自然現象の捉え方に反映されます。
これから本格的な冬を迎えるにあたり、遠くの山々や夜の星空、冬独特の冷気の下、透明感のある美しい風景に出会えることをプラスに捉えて楽しみたいものです。

毎年11月23日は「新嘗祭(にいなめさい)」、古来から続く重要な宮中祭事であり、神様に新穀をお供えして、神様の恵みによって秋の収穫が得られたことを感謝する儀式です。
宮中では、天皇陛下が感謝を込めて新穀を奉告されるとともに、神からの賜りものとして御自らも召し上がります。同じ日に、全国の神社においても行われます。

戦後は「勤労感謝の日」として祝日に制定されており、「国民の祝日に関する法律」では『勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう』日であると定めています。

改めて五穀豊穣の恵みに感謝しつつ、食物の生産・運送・販売などに関わるお仕事は勿論のこと、私たちの生活を支えてくれている、あらゆる職業の方々を念頭に置いて、また、企業社会においてはサプライチェーンを支えてくれる全ての協力会社も視野に入れて、お互いに感謝する気持ちを大切にして、この先の確かな安寧と発展を心静かに祈る日にしたいものです。

11月23日は、今年は日曜日ということで翌日が振替休日となりますが、一年で最後の祝日であり、年末まで一ヶ月と一週間ということで、一年の仕上げを意識すべきタイミングでもあります。
自然や人に感謝して自分自身もねぎらいつつ、年内の予定や年が明ける前に為すべきことなどを一度点検してみて、ぜひ有意義なお休みとなるように心して臨みたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第57候>金盞香(きんせんか さく)11月17日は、七十二候では57候、立冬の末候、『金盞香(きんせんか さく)』の始期です。早咲きの水仙の花が、上品な芳香を放ちながら、咲き始める頃。『立冬』の節気は、前...
16/11/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第57候>
金盞香(きんせんか さく)

11月17日は、七十二候では57候、立冬の末候、『金盞香(きんせんか さく)』の始期です。
早咲きの水仙の花が、上品な芳香を放ちながら、咲き始める頃。

『立冬』の節気は、前回の次候にて、大地が凍り始める時季であることを示しているように、木枯らしが吹き始める中、天にも地にも冬の気配が感じられ、人は冬支度に気を配るという時節に入ってまいります。

初候の「山茶花(さざんか)」に続いて、この末候では「水仙」の花がテーマとして取り上げられており、冬の入口なのに、一つの節気の中に2つの花が登場しますので、改めて七十二侯について調べてみました。

2つの植物が登場する節気は、春では『穀雨』(葭と牡丹)、夏では『小満』(紅花と麦)、『夏至』(夏枯草と菖蒲と半夏)、秋では『処暑』(綿と禾)とあり、冬でもこの後、『冬至』(夏枯草と麦)がありますが、その植物が両方とも花なのは、今回の『立冬』だけのようで、凍てつく世界が待ち構える中ながら、暫しの安らぎを感じるようです。

改めて申し上げますと、ここで、「金盞(きんせん)」もしくは「金盞香」が指している植物が何であるかについては、ヒガンバナ科の水仙、キク科の金盞花と、二つの説が挙げられておりますが、一般的には水仙の花であるとされています。

「金盞(きんせん)」とは金色の盃ですが、日本各地に自生する水仙、ニホンスイセンの別名として「金盞銀台(きんさんぎんだい)」という風雅な呼び方があり、水仙の中心にある黄色い副花冠(花冠は花弁=花びらの集合体)を杯に見立て、外側の白い花冠を白銀の盆(台)として、その上に載せた姿の表現と一致しているからです。

一方、水仙が咲き始めるのは一般的には12月に入ってからで、初冬から早春まで咲き続けて、春を告げる花の一つとされているので、この時季の七十二候に水仙が登場することに疑問を持ち、「きんせんか」なので、キク科の金盞花を指しているという意見もあります。

金盞花では、「冬しらず」と言われて、秋遅くから翌春まで咲き続ける、耐寒性の強い「寒咲き」の金盞花・ホンキンセンカ(カレンデュラ)が存在し、金盞花の鮮やかな濃いめの黄色をした花も良くみかけることから、「金盞」=金盞花という見方も充分に成り立つのかもしれません。

水仙は、平安末期に中国を経由して日本に渡来したといわれており、金盞花も、遅くとも室町時代には日本に渡来していたようですが、金盞花も基本的には春の花であり、江戸末期に渡来したものも含めて、どの種がいつ渡来したのか、経緯としてはよくわからない感じです。

ここでは、「花」ではなく「香」というところに着目して、欧州で薬用や食用のハーブとして使われる金盞花の香りではなく、日本の原風景としては、各地に自生して芳しい香りを漂わせる水仙であるという一般的な見方に沿って理解したいと思います。

「水仙」という漢名は、中国の古典にある「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という言葉に由来します。
水辺で咲く姿と芳香があたかも仙人のように感じられるところから、そのように呼ばれるようになりました。

学名は「Narcissus(ナルキッソス)」、ギリシア神話に出てくる有名な美少年の名前で、水仙が自分の姿を覗くように下を向いて咲く由来が伝えられております。
ナルキッソスは自己愛(ナルシスト)の語源であり、水仙の花言葉は「うぬぼれ」「自己愛」などです。

ナルキッソスが彼に恋する女性に高慢な態度をとって傷つけたことから、激怒した女神ネメシスの呪いによって、ナルキッソスは水面に映る自分の姿に恋をしてしまいます。
水面の像は彼の想いに応えることはなく、その恋の苦しみから痩せ細って死んでしまったナルキッソスの体は、水辺でうつむきがちに咲く水仙に変わったということです。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

水仙は、細身で可憐な姿でありながら、寒さに強い一面を持っており、冬でも枯れずに戸外で育てることができます。
水仙は、またの別名を「雪中花(せっちゅうか)」とも呼ばれ、雪の中でも寒さに負けず、すっと立ち上がって咲く姿には、気高く楚々とした美しさがあります。

『立冬』は、江戸時代に出版された暦便覧には、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」とあります。
この『立冬』の七十二候は、初候にて「山茶花」が花開いた後、次候にて大地が凍り始め、末候にて「水仙」が咲き始めるという流れは、改めて、季節的に早すぎる感じは否めないところがあります。

そこは、冬の到来に際して、これから始まる季節に氷点下という厳しい世界があることを告げつつ、一方、過酷な自然の中で負けずに花咲く水仙のような彩りもあることを対比して、私たちに予め知らせてくれており、衣食住の冬支度だけではなく、心も体も、長い冬への備えをしていく時季に差し掛かったことを伝えてくれる三候と、前向きにとらえたいと思います。

本格的な冬の訪れを迎えて、これから春に向けて、開花期の長い水仙の花咲く姿をどこかで見かける機会もあるかと存じます。
「菊」の季節と「梅」の季節の合間を埋め、冬枯れの季節に楚々と咲く「水仙」の花、その上質な芳香と端麗な容姿を静かに鑑賞して、冬の暮らしを心豊かに楽しみたいものです。

古典俳諧の世界からは、江戸時代の三大俳人、芭蕉・蕪村・一茶の「水仙」を詠んだ俳句を紹介します。
芭蕉・蕪村・一茶とも興味深い句が多く、複数を挙げさせていただきました。

 「水仙や 白き障子の とも移り」     松尾芭蕉
 「其匂ひ 桃より白し 水仙花」      松尾芭蕉
 「初雪や 水仙の葉の たわむまで」    松尾芭蕉
 「水仙や 寒き都の こゝかしこ」     与謝蕪村
 「水仙に 狐あそぶや 宵月夜」      与謝蕪村
 「家ありて そして水仙 畠かな」     小林一茶
 「網の目に 水仙の花 咲にけり」     小林一茶
 「水仙の 笠をかりてや 寝る小雀」    小林一茶

水仙の在る景色の様々な世界に想像力を働かせて、イメージを膨らませて、各句に詠み込まれた風情や情感を味わいたいものです。
人の営みと水仙の花の組合せの情景を詠んだ句が意外と多いことに気づきますが、狐や雀などの動物とのコラボの風景にも想像力を掻き立てられます。

日本画の世界では、江戸時代中期の絵師、鈴木春信(すずき はるのぶ)に『水仙花』という作品がございます。
春信は、多色摺の木版画を考案・確立して、錦絵の誕生と発展に大きく寄与し、絶大な人気を得るとともに、後世の浮世絵師たちに多大な影響を与えました。

『水仙花』の中心に描かれているのは、部屋の中で炬燵に入って暖をとっている若衆と少女、それに炬燵の上の猫です。
左側の若衆が読書に夢中になっているからか、若衆が読書に夢中になっているふりをして少女に足でちょっかいを出したからかは、わかりませんが、右側の少女はこたつから出た若衆の足の裏をくすぐっています。

笑顔で仲睦まじく見つめあう男女の光景ながら、真ん中の猫はまったく我関せずとばかりにぐっすりと眠っております。
水仙は、細い一輪挿しの花瓶に生けられて、右後方の障子戸の外、縁側に慎ましく置かれており、部屋の中の主題の光景とのコントラストが良く観察する人にはわかるようになっています。

本図は、『花づくし』と呼ばれる揃物の一図で、当時の流行りの一つとして、花を題名にして、それに因んだ和歌を賛として添えたシリーズものであり、七図あるうちの一つです。
賛として「花姿 霜にしやれたる 水仙は 葉さへひとねぢ 人をなすます」が添えられています。

意味としては、「花の姿が霜に打たれてしおれた水仙は、寒さで葉までもねじれてしまっているが、その姿がかえって人の心を慰め、しみじみとした趣を感じさせる」といったところです。
この和歌には、弱っている水仙の様子が哀れでありながら、美しさや情緒を感じさせるという、日本的な美意識が込められており、寒さに耐える水仙の姿に「もののあわれ」を見出しているようです。

二十四節気では『立冬』の次は『小雪』『大雪』と続き、北国の山の方から、だんだんと雪の便りが近づいてきます。
これからの季節を先取りして、「雪中花」と言われる水仙の時季の到来を近くに感じながら、改めて冬に向けての心づもりをしっかりとしていきましょう。

【七十二候だより by 久栄社】 <第56候>地始凍(ち はじめて こおる)11月12日は、七十二候では56候、立冬の次候、『地始凍(ち はじめて こおる)』の始期です。冬の訪れによって、夜中から朝にかけて冷え込みが厳しくなり、いよいよ大地...
11/11/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第56候>
地始凍(ち はじめて こおる)

11月12日は、七十二候では56候、立冬の次候、『地始凍(ち はじめて こおる)』の始期です。
冬の訪れによって、夜中から朝にかけて冷え込みが厳しくなり、いよいよ大地が凍り始める頃。

『立冬』の節気では、初候の『山茶始開(つばきはじめてひらく)』と末候の『金盞香(きんせんかさく)』という2つの花に挟まれる形で、この次候にて、凍てつく大地が冬の到来を象徴しており、実は「山茶花(さざんか)」も「水仙(すいせん)」も、これからの凍寒の世界と隣り合わせにして、冬枯れの景色を背景に咲く花であることに改めて気がつくことになります。

晩秋の二十四節気は、『寒露』(49~51候)から『霜降』(52~54候)へと進んで、七十二候の52候は『霜始降花(しも はじめて ふる)』でした。
初冬に入り、更に気温が下がり、地上の「露」「霜」に加えて、この時季、更に大地が初めて凍るに至り、場所によっては、夜明け前、地中の水分が凍結して「霜柱」が立ったり、水面に氷が張ったりしはじめます。

「霜」は空気中の水蒸気が昇華して氷の結晶となるのに対して、「霜柱」の凍結・発生のメカニズムは少し異なります。

先ず冷気で冷やされた地表の水分を含んだ土が凍り、次に凍っていない地中の水分が毛細管現象によって地表に吸い上げられて、徐々に冷気で凍結していき、柱状に成長します。
したがって、霜柱の発生する成長地点は、実は氷柱の上の方ではなくて、下の方から押し出されるように伸びていきます。

霜柱が発生しやすいのは、地面近くの気温が零℃以下、地中の温度が零℃以上、土壌の含水量が30%以上ある状況のようです。

湿気の多い柔らかい土壌に生じますが、雨が降った後のように地中の水分が多すぎる状況では、結氷してしまって、霜柱にはならないそうです。
また、硬い土・固まった土では土が持ち上がりにくいので霜柱は発生しにくく、耕された畑の土などでは出来やすいようです。

関東地方では、関東ロームの赤土は、土の粒子が霜柱に適しているので、霜柱の発生頻度が高いようですが、最近は、地球温暖化の影響に加えて、舗装された道路が殆どになりましたので、都会では見る機会が少なくなりました。

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古典俳諧の世界では、江戸時代の俳聖・松尾芭蕉には、大勢の人々が霜柱を踏みながら歩いていく様子を詠んだ俳句が見つかりました。

元禄六年、隅田川にて、待ちに待った新両国橋が完成した際、人々が喜びいさんで集まり、橋の上の霜柱を踏みしめながら、渡り初めを楽しんでいる風景ですが、賑やかな様子、人々の気持ちが高揚している感じが伝わってくるようです。

 「皆出でて 橋を戴く 霜路哉(しもじかな)」   松尾芭蕉
 「ありがたや いただいて踏む 橋の霜」     松尾芭蕉

他方、霜柱は、町の生活の中で冬らしい風物の光景となる一方で、農村では農作物を根ごと浮き上がらせてしまうなど「霜崩れ」と呼ばれる被害をもたらします。

また、霜柱は地上での凍結ですが、更に寒冷地では、地中が凍結して凍土になり、地中に発生した氷の層が分厚くなって土壌が隆起する現象を「凍上」といいます。
凍上による被害は「凍上害」と言われ、舗装した道路にひび割れが生じたり、線路が歪んだり、建物の基礎を破損させてしまうようなことが起きてしまいます。

朝晩の冷気を肌で感じて、冬用の布団や毛布を引っ張り出してきたり、日によってはコートを羽織ったり、私たちの生活も少しずつ冬模様が濃くなっていきます。

これからは、寒さの中で身体の活動が鈍くなりがちですが、是非、積極的に全身を動かして柔軟さを大切にして、脳や心のリフレッシュも意識して暮らしていきましょう。
特に、「初冬」の頃の暖かくて穏やかな天気のことを「小春日和」といいますが、12月にかけて良く晴れた温暖の日には、近くで散策するなどして楽しみつつ、英気を養いたいものです。

明治時代の俳人・歌人である正岡子規には、各地において「小春」の風景を詠んだ印象的な俳句が数多く残されています。
「初冬」ならではの風物を詠み、のどかな情景も眼前に広がる句など、散策のお供に幾つか紹介します。

 「櫻にも まさる紅葉の 小春かな」       正岡子規
 「野の茶屋に 蜜柑竝べし 小春哉」       正岡子規
 「枯枝に 雀むらがる 小春かな」        正岡子規

再び古典俳諧の世界から、芭蕉・蕪村・一茶の「小春」を詠んだ句も探して並べてみました。

 「月の鏡 小春に見るや 目正月」        松尾芭蕉
 「古家の ゆがみを直す 小春かな」       与謝蕪村
 「降る雨も 小春なりけり 智恩院」       小林一茶

芭蕉の句は、初冬ながら、「小春日和」の穏やかな日に、鏡のように澄んだ美しい月を見るのは目の正月というものという意味で、芭蕉の感じた喜びや楽しさが伝わってきます。
次の蕪村の句は、農村の風景でしょうか、田畑の収穫を漸く終えた農家が、この時期、「小春」の日を大切にして、古くなった家の歪みを直す普請をして、本格的な冬の到来に備え、新春を迎えるための季節の営みに着手する風景を表しています。
最後の一茶の句は、京都の東山、浄土宗総本山の寺院にあって、「小春」の日射しの中で降る雨の奇遇な情景に、法然上人やその教えの慈雨と光明を見い出していたように感じられます。

日本画の世界では、大正から昭和初期に活躍した日本画家、速水御舟(はやみ ぎょしゅう)に『小春』と命名された印象的な作品があります。
御舟が15歳の時に巽画会展に初出品して入選を果たした記念すべき作品であり、本人も「私の最初の画歴となるものである」と後に回想しております。

藤袴や刈萱などの秋草を背景にして、平安時代の公家か高級武家と思われる童子が一人、ほつれた檜扇を手にして、あまりに大きすぎる浅沓を履いて、そぞろ歩く姿を描いた絵です。
当時、歴史人物画の大家の画塾で学んだ古典模写などによる修習の跡が伺い知れると言われており、また、秋草の描き方には写生によって培われた写実的な自然描写の才能が早くも垣間見られます。

目の前には実在しないであろう、古(いにしえ)の童子の姿を、斜め後ろから装束の文様も煌びやかに装飾的に描いた表現と、自然を忠実に捉えた秋草の写実的な表現は、大きさも含めてどこかアンバランスながら美しく、『小春』と題されたこの作品の物語性に惹きこまれながら、若き画家としてスタートを切った御舟の創作を通じた当時の想いなどに心を馳せる次第です。

御舟は、その後、『京の舞妓』で徹底されたように写実的な細密描写を極めて、『炎舞(えんぶ)』に代表される幻想的な幽玄の美の表現に到達、画風を変遷させながら多くの名作を残しました。
時代に先駆けて挑戦し、新たな日本画の世界を求め続けた御舟ですが、40歳での急逝はあまりに早すぎました。

御舟の初期の傑作の多くは、誠に残念ながら、関東大震災とその後の火災で失われたといいます。
『小春』は、御舟の画家としての初々しさと共に、その後、花開いていく写実性と装飾性の渾然一体とした世界の片鱗を感じさせる貴重な作品と言えるのではないかと思います。

現代に生きる私たちではありますが、これから段々と寒くなっていく中、「小春日和」の暖かさが感じられる貴重な日には、周囲への観察に気を配り、印象深い風景に出会えることを期待しましょう。
五感を研ぎ澄ませて、季節の移ろいの大きな流れを捉えつつも、日々にして変わる寒暖の波や繊細な振幅も感じながら、自然と向き合って暮らしていける心の余裕を持ちたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第55候>山茶始開(つばき はじめてひらく)11月7日は、二十四節気では『立冬』、暦の上で冬が始まる頃。朝晩の冷え込みに注意が必要となり、木枯らしが吹きはじめ、木の葉が落ちて、そろそろ冬の気配が感じられる...
06/11/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第55候>
山茶始開(つばき はじめてひらく)

11月7日は、二十四節気では『立冬』、暦の上で冬が始まる頃。
朝晩の冷え込みに注意が必要となり、木枯らしが吹きはじめ、木の葉が落ちて、そろそろ冬の気配が感じられるようになります。
場所によっては、そろそろ初雪の便りも届く頃合いになってきます。

『立冬』については、『暦便覧』では「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」としており、
実際には秋が極まってきている中で、冬の気配が立ち始めて、気温もぐっと下がってくる時季ということになります。

七十二候では55候、立冬の初候、『山茶始開(つばき はじめてひらく)』の始期です。
冬枯れの景色の中で、山茶花(さざんか)の花が咲き始める頃。

『立冬』の節気は、暦の上で冬に入ったことを示していますが、次候は『地始凍(ちはじめてこおる)』といよいよ寒々しい感じですが、
この初候の『山茶始開(つばきはじめてひらく)』、末候の『金盞香(きんせんかさく)』と、次候を挟む2候のテーマが花シリーズとなっております。

秋の十八候の中では、「菊」が、秋に唯一登場する花であることを説明しました。隠逸の花とも言われ、四君子の一つに挙げられる「菊」は秋を象徴する花でした。
冬の十八候においては、最初の節気で早くも2つの花が登場しており、更に各々が2つの花を想起させるような内容になっております。
この後も、幾つかの植物が冬のテーマとなっており、殺伐としがちな冬の景観において、心が癒される色合いや風情を与えてくれているようです。

「山茶」は、読み方としては「つばき」となっているものの、ここでは山茶花のことを指しております。
山茶花の名称は、中国語でツバキ類の総称である「山茶(さんさ)」に由来しており、
山茶花の本来の読みである「さんさか」が転訛して「さざんか」になったものといわれております。
「山茶」と呼ばれる由来は、葉の部分をお茶のように飲んでいたことことにあり、「山に生える茶の木」という意味に基づくようです。

山茶花と椿は、同じツバキ科の常緑広葉樹の仲間ですが、まず、花の咲く時季が異なります。
山茶花は冬の季語、椿は春の季語となっており、花の季節感からして、今回の『立冬』の初候を飾る花と言えば、山茶花なのです。

山茶花は、10月から11月、まさにこの時季、「初冬」から咲き始めて、12月くらいまでをシーズンとして咲き続けます。
一方、椿の方は、12月から咲き始め、年が明けてから本格的な花の季節を迎えて、4月くらいまで咲き続けます。

山茶花と椿は、両方とも日本原産でありますが、世界への伝播としては、椿の方が圧倒的に知名度があります。
椿は、古くは7世紀には小野妹子が隋に献上したという記録があるようですが、ヨーロッパに紹介されて普及するのは17世紀以降です。

オランダ商館員のケンペルが著書で初めて紹介し、18世紀には植物学に造詣の深かったカメルというイエズス会の助修士が種を入手して紹介したことに由来して、
「分類学の父」と呼ばれるカール・フォン・リンネが学名を“Camellia Japonica”と名づけました。

19世紀には園芸品種として流行・浸透し、オペラや絵画に登場するなど、大いに注目されるようになりました。
一方、山茶花の方は、江戸時代に長崎の出島からヨーロッパに伝わったようで、和名自体が学名“Camellia sasanqua”にも採用されています。

両者には、花が咲く時季以外にも、幾つか特徴的な違いがありまして、見分ける際の参考になります。

花については、山茶花は、平らに開いて、ほのかに香りがあり、散る時は1枚ずつ花びらがはらはらと散っていきますが、
椿の方は、丸く咲いて、香りはなく、散り方としては花ごといっぺんにポトリと落ちるというところが、とても対照的です。

葉にも特徴があり、山茶花は縁の鋸歯のギザギザが深く、裏返すと葉脈に沿って毛が生えてますが、椿はギザギザがとても浅く、ほとんど毛もありません。
大きさも、山茶花の葉の長さは椿の半分程度です。葉脈の色で見分ける方法もあり、光に透かして葉脈が黒っぽいのが山茶花、白くてクリアなのが椿です。

花言葉ですが、山茶花の方は、寒さが強まる初冬に花を咲かせることから、「ひたむきさ」や「困難に打ち克つ」ことを表す一方、
椿の方は、「控えめな優しさ」「誇り」であり、西洋では更に「敬愛・感嘆」や「完全・完璧」を意味します。

この季節、ほかの花々が既に枯れてしまい、冬枯れの風景が広がる中で、山茶花が赤やピンクや白の花をきれいに開いて、ひと際人目を引いて咲きほこります。
日本では、人家の生垣や道端の垣根に利用されることが多く、寺院や茶室の庭木としても好まれており、日常的で馴染み深い花です。

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山茶花は「初冬」の季語であり、この時季、山茶花を詠んだ俳句も多いですが、中でも、明治・昭和期に活躍した高浜虚子の次の一句は、割と有名です。

 「山茶花の 花や葉の上に 散り映えり」   高浜虚子

山茶花が花びらを一枚ずつ落として散った様は、深い緑の葉の上で映えて美しく、地面では時に絨毯のようにもなって鮮やかに映えている、というようなことで、
山茶花は、静かにひたむきに咲く花の美しさだけではなく、散った後の花弁も、冬の景色に彩りと明るさをもたらして、人の心をも照らしているようです。

明治を代表する俳人・歌人・文学者の一人である正岡子規は、高浜虚子の師であり、愛媛県松山市の生まれで同郷の関係にもあり、虚子(本名「清」)の命名者でもありましたが、
山茶花については、以下の2つの有名な句を残しております。いくつかの解釈が成り立つようですが、想像力を働かせて句が詠まれた情景を味わいたいものです。

 「山茶花の こゝを書斎と 定めたり」    正岡子規
 「山茶花を 雀のこぼす 日和かな」     正岡子規

古典俳諧の世界からも、江戸時代の三大俳人について、「山茶花」を詠んだ俳句を探したところ、
芭蕉作の句は見つけられませんでしたが、蕪村と一茶には、以下のような句が残されていました。

 「山茶花の 木間見せけり 後の月」     与謝蕪村
 「山茶花の かきねにささむ 杓子哉」    小林一茶

蕪村の句では、「後(のち)の月」とは、陰暦8月15日夜を初名月と呼ぶのに対して、陰暦9月13日夜の名月を称したものですが、
豆名月、栗名月とも呼ばれる夜の月明かりに照らされて、山茶花の幹や枝葉が重なり合う中で、その隙間がくっきりと見えていて、普段と違う趣きが感じられます。

一茶の句は、山茶花の垣根が繋がっている中で、誰かが杓子(しゃくし)を垣根に差して置いてあるのを詠んだ風景でしょうか。
どのような意図で杓子を指したのか、本当のところはわかりませんが、人里での生活の断面を感じさせるような句で、情景が印象であって物語性があります。

日本画の世界では、近現代の代表的な女性画家の一人であり、文化勲章も受賞した、小倉遊亀(おぐら ゆき)には、『山茶花』という作品が幾つかあります。
小倉遊亀は、明治に生まれ、大正から昭和にかけて安田靫彦に導かれて絵の道を志し、晩年には独自の境地の表現に到達し、平成に入って(2000年に)105歳で天寿を全うしました。

昭和7年(1932年)に制作された『山茶花』は、丸みを帯びた白地の花瓶に生けられた、数本の山茶花を描いた静物画ですが、端正で細密な初期の作風が伺われます。
一枚一枚の葉が本当に丹念に描かれていて、艶のある緑色の葉を擁した複数の枝は、立体感を伴って斜め上・左方・上方・右方・前方に向けて配置されており、
山茶花の花は3つバランス良く、枝葉とは異なる勢いや向きを持って観る人に語りかけ、全体として構図の美しさと山茶花の生命力に惹きこまれる感じがします。

今年は、夏が終わって秋になっても暑い日が続き、やっと秋らしい日が訪れたかと思ったら、急に肌寒い気候となっての『立冬』という感じです。
実際のところは、秋が極まっていく過程にあり、周囲の草花や樹木の様子をじっくりと観察してみますと、季節は少しずつ着実に移ろいつつあるのを感じます。

山茶花と椿、各々の特徴や季節感を理解して、今は冬の入り口、山茶花との出会いを楽しみながら、これから始まる寒い季節の暮らしに打ち克てるように、
衣更えだけでなく暖房器具の設置や点検も怠りなく行い、しっかりと抜かりなく冬支度を進めて、冬場に向けての備えを充分に整えていきましょう。

今年の冬も油断することなく、快適で健康的な衣食住の環境整備に気を配り、適度な運動やストレッチも取り入れて、充実した冬の生活を心がけていきたいものです。

【七十二候だより by 久栄社】 <第54候>楓蔦黄(もみじつた きばむ)11月2日は、七十二候では54候、霜降の末候、『楓蔦黄(もみじつた きばむ)』の始期です。野山の楓(かえで)や蔦(つた)の葉が赤や黄に色づいてくる頃。『霜降』の節気は...
01/11/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第54候>
楓蔦黄(もみじつた きばむ)

11月2日は、七十二候では54候、霜降の末候、『楓蔦黄(もみじつた きばむ)』の始期です。
野山の楓(かえで)や蔦(つた)の葉が赤や黄に色づいてくる頃。

『霜降』の節気は、秋として最後の節気であり、初候は『霜始降花(しもはじめてふる)』、次候は『霎時施(こさめときどきふる)』、秋が一段と深まり、冷え込みが厳しくなる中、移ろい行く季節の物語は、「霜」から「霎」へと肌寒さを想わせるテーマを経て、いよいよ最終章を迎えました。

「晩秋」として佳境の時季を迎えて、赤や黄の彩りが山々の上の方から麓へと次第に降りてきます。「紅葉狩り」の季節の到来です。
秋の山が紅葉によって色づく様子は、「山粧う(やまよそおう)」とも表現され、春夏秋冬の季語として「山笑う」「山滴る」「山粧う」「山眠る」のセットで使われます。

紅葉(こうよう)は、北海道の大雪山を手始めにして、北から南へ、山から里へとゆっくりと時間をかけて、日本全体を鮮やかに染め上げていきます。
紅葉の見頃の推移は、春の桜前線と対比して「紅葉前線」と呼ばれ、「桜前線」が北上するのとは逆に、日本列島を徐々に南下していきます。

具体的な見頃は、平野部では、北海道や東北は10月、関東・東海・近畿・中国・四国・九州は11月から12月上旬にかけてであり、山間部などは少し早まります。
「紅葉前線」は、南下と同時に、標高の高い山から低い山へと、山頂から麓へと下りてきます。奈良の吉野山で言えば、奥千本・上千本・中千本・下千本と下って、やはり「桜前線」と逆の順番です。

「紅葉」は「もみじ」とも読み、草木の葉の色が揉み出されてくるという意味の動詞「揉み出(もみず)」が名詞に変化していったようで、もともと一般的に紅葉する木々や現象を指す言葉ですが、その後、イロハモミジのような特定の楓(かえで)の種類のことも指すようになったようです。

植物の分類学の上では、モミジと呼ばれる種もカエデと呼ばれる種も、同じカエデ科カエデ属の植物という意味では一緒であり、何か厳格な区別があるわけではないようです。
一方、園芸、特に盆栽の世界では、葉の切れ込みが深い種をモミジ(例:ヤマモミジ)、葉の切れ込みが浅い種をカエデ(例:トウカエデ)として、区別していたりします。
因みに「かえで」の名の由来は「かえるて」、葉の形が蛙(かえる)の手に似ていることから、名づけられたと言われています。

楓などの葉が赤色に染まるのが「紅葉」、黄色に変わるのが「黄葉」で、どちらも「こうよう」と呼びますが、さらに茶色に転じれば「褐葉(かつよう)」というように表され、楓のように一つの木でも赤・オレンジ・黄など三色のグラデーションが現れる木もあれば、銀杏のように専ら「黄葉」する木もあります。

紅葉の色のメカニズムとしては、春夏に葉が緑色をしているのは、光合成に関わるクロロフィルの緑色の色素が圧倒的に優勢だからですが、秋になり日照時間が短くなると、葉が老化してクロロフィルが分解される一方、光合成に関わるもう一つの要素、カテロイドの黄色の要素は残るため、葉は黄色に変色して見えます。

葉に蓄えらえた栄養は幹へ回収され、その後、葉柄の付け根に離層ができて枝との物質の行き来を遮断して、無駄な水分やエネルギーが冬の間に消費されるのを防ぎます。
そして、葉の中に残された細胞液中の糖とある種のタンパク質が反応して、アントシアニンという色素が生成され、それによって葉は鮮やかな赤色に見えます。

鮮やかな紅色に染まるには、晴れた日が多くて葉が充分な日光を浴びること、昼夜の寒暖の差が大きいことが大切なようです。
そういう条件の下で、アントシアニンが充分に生成された木の葉ほど深紅に染まるということで、一つの木で三色のグラデーションが出来たりするわけです。
他方、銀杏・ポプラ・プラタナス等は、アントシアニンが生成されない種類の木である為、黄色一色に染まるということです。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

紅葉は、秋の風物詩として、日本の文化と深く結びついており、絵画や工芸品のテーマとして取り上げられているほか、古来、数多くの和歌や俳句に詠み込まれています。

和歌では、古くは『万葉集』の中で、「黄葉(もみぢ)」を詠んだ歌は100首を越えているそうですが、『百人一首』では、秋を詠んだ歌が20首ほどある中、「紅葉」「もみぢ葉」や紅葉の情景を詠んだ歌としては、菅原道真や三十六歌仙の在原業平・猿丸大夫など、以下の有名な歌が取り上げられております。

 「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」               猿丸大夫  『古今和歌集』等
 「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」           在原業平  『伊勢物語』等
 「このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山(たむけやま) 紅葉の錦 神のまにまに」  菅原道真  『古今和歌集』等
 「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」            藤原忠平  『拾遺和歌集』等
 「山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり」            春道列樹  『古今和歌集』等
 「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり」               能因法師  『後拾遺和歌集』等

平安中期、『古今和歌集』の後に編纂された『後撰和歌集』には、次のような詠み人知らずの歌があります。

 「もみぢ葉を わけつつゆけば 錦きて 家に帰ると 人や見るらん」           詠み人知らず 『後撰和歌集』

意味としては、紅葉の中をかき分けながら進めば、錦の衣を装って家に帰っていくように人には見えるだろうよ、ということで、『百人一首』の格調高い歌とは少し趣きが異なり、身近に接している鮮やかな情景に気が高ぶった心象が伝わってくるようです。

俳句に関しては、古典俳諧の世界から、江戸時代の三大俳人の「紅葉」を詠んだ句を紹介します。

 「蔦の葉は 昔めきたる 紅葉かな」      松尾芭蕉
 「山暮れて 紅葉の朱を 奪いけり」      与謝蕪村
 「日の暮れの 背中淋しき 紅葉かな」     小林一茶

芭蕉の句は、蔦の葉がくすみがかった深紅に染まる様を、昔めいた色の紅葉と表現しています。
蕪村の句は、山に日が落ちて暗くなり、紅葉の色が失われていく様を、紅葉から朱を奪うと言う形で表しています。
一茶の句も、日が暮れてしまい、紅葉の色が夜の闇に消えていく様を、背中淋しきと詠んでいて、それぞれ捉え方の趣きが感じられます。

更に、色のコントラストが織り成す風情に着目して、芭蕉の句を一つ追加で紹介したいと思います。

 「色付くや 豆腐に落て 薄紅葉」       松尾芭蕉

色づいたもののまだ薄い紅葉ですが、桶の中の豆腐の上に落ちたところ、豆腐の白さによって紅葉の色が鮮やかに引き立っている一コマを詠んだ表現が印象的な俳句です。

日本画の世界では、16世紀以降、長谷川等伯の『楓図』をはじめ、現代に至るまで、様々な絵師や画家によって、紅葉を題材にした作品が描かれてきました。

明治に入って東京美術学校第一期生として岡倉天心や橋本雅邦の薫陶を受け、昭和に至るまで煌めきを放ち続けた近代日本絵画の巨星と言われる、横山大観には、1931年に描かれた、その名も『紅葉』という六曲一双の絢爛豪華な作品があります。紅葉を描いた名画の代表作の一つとされ、現在は足立美術館が所蔵しております。

左隻を中心にして真紅の紅葉が前面に見事に描かれており、背景にある群青の流水、水面に顔を出す巌、白金泥の川岸、さざなみや靄とのコントラストが鮮やかです。
宙に舞うわずか数枚の葉、鶺鴒かと思われる一羽の鳥が飛翔する姿により、深まりゆく秋の自然の清冽で儚い情景の一瞬を表現しており、観る人の心を強く惹きこむ作品です。

大観の特徴である「朦朧体」と呼ばれる独自の技法が活かされておりますが、それは線描を抑えて色面を主体にする描法であり、没線主彩とも表現されます。
輪郭をはっきりとは描かず、色彩の濃淡やぼかしによって樹木や葉の立体感を表現しており、赤・橙・黄と色とりどりの紅葉の色彩が燃えるように浮かび上がります。

さて、日本の紅葉の美しさや鮮やかさは、世界有数と言われており、寒暖の差など変化に満ちた気候風土のおかげで、その色の豊富さやグラデーションの繊細さでは群を抜いております。

実は地球上の森林の中で、落葉樹林が広く分布している地域は決して多くはなく、紅葉が見られるのは、東アジア・北米・欧州の一部の地域に限られているようです。
国土の7割を占める日本の森林は、豊富な種類の落葉樹におおわれており、特に海外では“maple”と呼ばれている、モミジやカエデの種の豊かさが特に際立っております。

11月の京都では、古刹の庭園など数えきれない程の名所で見頃の時季を迎えるのをはじめとして、全国各地には紅葉の名所が数多く存在しており、毎年多くの人が訪れて賑わいます。

今年の秋も、これからクライマックスを迎えます。
まだまだ日中は暖かい日もありますが、朝晩の冷え込みにより、着実に「紅葉前線」は日本列島を北から南へ、山から平地へと徐々に迫ってきております。

冬の到来を前にして、積極的に「錦秋」と呼ばれる各地の秋景を訪ね歩いてみたり、身近な地元の隠れた名所に立ち寄る機会などを増やしていきたいと思う次第です。

最近では、写真や動画も美しいので、日本全国の絶景や味わい深い風景をネットで探して鑑賞するのも、気分転換や目の保養にもなって良いと思いますが、自分自身の眼で静かに向き合える時間をつくり、自然と高揚する気持ちを深く大切に感じながら、錦のように色鮮やかで美しい日本の紅葉を心ゆくまでゆっくりと楽しみましょう。

【七十二候だより by 久栄社】 <第53候>霎時施(こさめ ときどきふる)10月28日は、七十二候では53候、霜降の次候、『霎時施(こさめ ときどきふる)』の始期です。時雨がぱらぱらと一時的に降ったりやんだりする頃。秋が深まり、更に気温が...
27/10/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第53候>
霎時施(こさめ ときどきふる)

10月28日は、七十二候では53候、霜降の次候、『霎時施(こさめ ときどきふる)』の始期です。
時雨がぱらぱらと一時的に降ったりやんだりする頃。秋が深まり、更に気温が下がり、落ち葉も目につくようになる時季です。

「霎」という漢字は、訓読みでは「こさめ(小雨)」「しば(し)」、音読みでは「ショウ」「ソウ」と読まれ、ここでいう「こさめ」は「時雨(しぐれ)」の意味合いです。
「時雨」は、主に「晩秋」から「初冬」にかけて降る通り雨であり、思いがけず降ってきては直ぐにやんでしまうような雨を指しています。

因みに、「霎々(しょうしょう)」とは通り雨がぱらぱらと降る音、または風が颯々(さつさつ)と吹く音を表します。
また、「しばし」という読みは、「またたく間」「ほんの少しの間」という意味であり、「霎時(しょうじ)」と言えばちょっとの間・短い時間を表します。

『霜降』の節気は、初侯は二十四節気と同じテーマを取り扱い、朝晩の冷え込みが厳しくなる中、初霜の時季が到来したことを知らせています。
この次候は、段々と肌寒さが増してくる中で、時折り降ってくる「霎(こさめ)」、即ち「時雨」を取り上げて、「晩秋」の深まりを表しているようです。

七十二候で、「雨」がテーマとなるのは、8月初旬、暦の上では夏の終わり、『大暑』の末候『大雨時行(たいうときどきふる)以来です。
秋に入って、「初秋」の「霧」、「仲秋」の「露」、「晩秋」の「霜」と、空気中の水蒸気が季節の移ろいの中で変化してきました。この「時雨」が降る中で、末候の彩りの世界を迎えていきます。

時雨は、9月から10月にかけてしとしとと降り続く、いわゆる秋の長雨とは異なり、晴れていたかと思うと、さーっと降ってきて、また間もなく上がってしまうような断続的な雨です。
「男心と秋の空」や「女心と秋の空」と象徴的に言われるように、「秋の空」は、降り始めたと思っていると、いつの間にかやんでおり、晴れ間が見えたと感じていると、また降り始めるというように、移り気で気まぐれな空模様のことを指しています。

また、時雨の降りそうな空模様のことを「時雨心地(しぐれごごち)」といい、ふいに涙の出そうになる気持ちのことを表現するのにもよく使われています。
他方、「村時雨」「叢時雨」は、いずれも「むらしぐれ」と読み、「村」「叢」には集まるという意味が含まれていることから、ひとしきり強く降る時雨のことを指します。

更に、時雨には、降る時間帯に応じて「朝時雨」や「夕時雨」「小夜時雨」という言い方もあるようです。

日本画の世界では、明治に生まれ大正・昭和と活躍し美人画家として知られた、伊東深水(いとう しんすい)に『時雨』という作品があります。

深水は、10代で働きながら絵を学び、歌川派の浮世絵の流れをくむ鏑木清方に師事し、14歳で巽画会展にて初入選、その後も16歳で院展、17歳で文展にて入選するなど、才能を開花させていった日本画家です。
挿絵や版画にも取り組みながら、官能的で甘美な美人画の作品を生み出していきました。一方で、独自の線描を活かして、群像形式の構成での描写も確立しております。

『時雨』は、得意とする美人画の一つであり、伝統的な歌川派の浮世絵の正統を継いだ日本画独特のやわらかな表現で描かれております。
時雨が降り注ぐ中、日本髪の女性が和傘を斜めにさしながら、少し右方に顔を向けて眺めやる構図の絵であり、表情は優しく慎ましく、唇はほんのりと色づいて、しとやかな微笑みを浮かべております。

女性は羽織をしっかりと身に纏い、傘を持つ手も羽織で覆っており、秋の末から冬の初めにかけて振る、時雨の冷たさが絵の中から伝わってきます。
深水作品の中でも、傘を持っている美人画は『傘美人』と称されて、人気を博していたとのことです。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

古典俳諧の世界からは、江戸時代の三大俳人の「時雨」を詠んだ俳句を幾つか選んで紹介します。
各人各様に、冒頭の句は、猿、馬、鷺と鶴など、時雨の中に佇む動物の一瞬の風景を見事に詠んでおり、各々の情景が眼前に広がってきます。

松尾芭蕉の忌日は、旧暦十月十二日であり、時雨の時節にこの世を去り、また、芭蕉が時雨を好んで様々な句を遺していることから、「時雨忌」と呼ばれています。
芭蕉の弟子たちに加えて、蕪村や一茶の句にも、「古人」や「芭蕉翁」に想いを馳せて偲んで詠んだ句を見つけることができました。

 「初時雨 猿も小蓑(こみの)を 欲しげなり」   松尾芭蕉
 「旅人と 我が名呼ばれむ 初時雨」        松尾芭蕉
 「人々を しぐれよ宿は 寒くとも」        松尾芭蕉

 「鷺ぬれて 鶴に日のさす しぐれ哉」       与謝蕪村
 「化けさうな 傘かす寺の しぐれかな」      与謝蕪村
 「しぐるるや 我も古人の 夜に似たる」      与謝蕪村

 「夕時雨 馬も古郷を 向いて嘶(な)く」     小林一茶
 「座敷から 湯に飛び入るや 初時雨」       小林一茶
 「はせを(芭蕉)翁の 像と二人や はつ時雨」   小林一茶

時雨は、実際には雨ではないものの、しきりに降ってくるもの、定めもなく不意に現れては消えるものを表す表現としても使われます。
夏の終わりに蝉が命を限りに鳴きたてる様を表した「蝉時雨」は俳句でも馴染みがあって有名ですが、秋に木の葉が盛んに舞い落ちてくる様には『木の葉時雨(このはしぐれ)』という美しい表現が似合います。

さて、「初時雨」は、先程の俳句にも子季語として登場しましたが、その年の秋に初めて降る時雨であり、人々と野山の動植物の両方に冬支度を思い起こさせる合図であると言われております。
秋も深まるこの頃は、ひと雨ごとに空気が冷えて気温が下がり、日ごとに肌寒さが増していき、だんだんと冬へと近づいてまいります。

「一雨一度(ひとあめいちど)」と言う表現が使われるように、雨が降る度ごとに気温が1度ずつ下がっていくと言われている時季でもあります。
雨が上がった後は高気圧に覆われて秋晴れとなり、大陸から冷たい空気が流れこむため、雨の後は少しずつ気温が下がりということのようです。

そして、「晩秋」のこの時季、時雨が降る度ごとに、紅葉はだんだんと色濃く染められていき、彩りが深まっていきます。
「八入(やしお)の雨」という呼び方もあり、これは、染物を染色する際、染料を一度だけ浸すことを「一入(ひとしお)」といい、何度も浸して濃く染めあげることを「八入(やしお)」というところから来ています。

古来から和歌の世界でも、「時雨」と「紅葉」の関係性を意識した歌が多く詠まれてきましたが、『万葉集』の「巻八」には、大伴池主の歌があります。

 「神無月 時雨に逢へる 黄葉(もみじば)の 吹かば散りなむ 風のまにまに」    大伴池主

意味としては、「神無月(十月)の時雨に出会って色づいたもみじの葉は、風が吹いたら吹かれるがままに、散りゆくことでしょう」という感じです。
天平十年(西暦738年)、橘奈良麻呂(左大臣諸兄の子)の邸宅にて宴が行われ、日頃から親しくしていた人々が11名集まって黄葉を詠ったものの一つです。

時雨の度に美しく色づいていく紅葉、一番鮮やかな秋の粧いのシーズンはすぐ近くまで来ていますが、季節が確実に冬へと向かって進んで行くのも静かに感じとり、備えていきたいものです。
そして11月に入って最初の七十二候、5日後の54候は、いよいよ秋の移ろいの物語を伝えてきた18の候の最後を飾って、『楓蔦黄(もみじつたきばむ)』、深まる秋の最終章が到来します。

日本列島の「紅葉前線」は、既に北は北海道から始まり、徐々に南下していくと共に、本州も高山地帯の山頂付近から始まっており、標高を段々と下げて平野部へと降りてきます。
今年も、予め計画を立てて遠出をして、紅葉の名所を巡って歴史や文化に触れるのも良し、お馴染みの近場に赴いて、自分だけのとっておきの毎年の風景を楽しむのも良しかと思います。

段々と朝晩の冷え込みが厳しくなってきて、昼夜の寒暖の差も大きいなど、紅葉が美しい色に変わる条件が整いつつあります。
体調の維持・管理には気を配りながら、是非、早めに紅葉情報をチェックしながら、今年ならではの素敵な紅葉狩りの計画を立ててみることをおすすめします。

そして、深まる秋の風情を充分に満喫しながら、そろそろ冬支度にも少しずつ気を配っていけるように、この先の予定も確認しつつ、11月・12月と今年も残り2ヶ月、公私ともに実り多い一年となるように、しっかりと心がけていきたいと思う次第です。

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