23/12/2024
【新刊のご案内】
『ブルガリア・日本交流史――バルカンのバラとサクラの巡り会い』
(ヴェラ・ヴトヴァーステファノヴァ、エフゲニー・カンディラロフ著、菅原淳子訳、A5判並製、本体5400円+税)(https://www.sairyusha.co.jp/book/b10105594.html)
ブルガリアといえばヨーグルトを思い浮かべる人が多いが、かつてブルガリア人は「バルカンの日本人」と言われたほど日本人と気質が似ているという。今年は、ブルガリアと公式関係開始(1909年)から115年、外交関係樹立(1939年)からも85年、第二次世界大戦末期に中断された外交関係の回復(1959年)からは 65年に当たる三つの節目の周年に当たる。本書は、知られざる遠く離れたバルカン半島の錯綜する地域の国との深い繋がりの交流史を描いた初めての書。
[目次]
第1章 交流開始前史から── 19世紀後半~20世紀初頭
日本のブルガリア認識、ブルガリアの日本認識
日露戦争とブルガリア
大日本帝国、ブルガリア王国の独立承認──両国の公式関係の始まり
ブルガリア、バルカン戦争と日本
軍人同士の学び合い──日露戦争とブルガリア軍
第一次世界大戦
──運命を変えた選択のブルガリアと強国となった日本
ヌイイ条約と日本 ほか。
第2章 外交関係樹立に向けて── 1920年代と30年代
両国の置かれた国際関係
ブルガリアと日本の外交関係の樹立は、
10年近くにわたる両国間の外交交渉の成果
ブルガリア王室と日本の皇室との公式交流
ブルガリアと日本の関係発展に向けた経済界
両国間の外交関係の始まり
──ブルガリアにおける日本の最初の外交代表の任命
第3章 第二次世界大戦中の外交と人びとの運命──1939年〜1944年
ドイツのポーランド侵攻と日本の対中戦争の開始──〝新秩序〟を求めて
ブルガリア、中立政策から三国同盟への加入
二代目の全権公使・山路章──太平洋での日本軍の進撃とブルガリア日本友好協会の設立
ソ連の侵攻とドイツとの断交、祖国戦線のクーデタ
初の駐日外交官──ヤンコ・ペエフ全権公使
ベテラン外交官ストヤン・ペトロフ・チョマコフの来日と国交断絶
同盟関係から断交へ ほか
第4章 「鉄のカーテン」による分断から新たな始まりへ──1945年~59年
日本と社会主義陣営のソ連・東欧諸国との関係正常化
ブルガリアと日本の国交回復
親善大使──前田義徳・アナスタシア(シイカ)夫妻
第5章 冷戦時における政治的プラグマティズムと
互恵協力と文化交流──1959年〜1989年
冷戰期の政治、経済関係
1964年、外交使節の格上げ──公使館から大使館へ
重要な二つのイベント──東京オリンピックと大阪万国博覧会
経済協力のキーパーソンたち
貿易協定に始まる各種二国間協定の締結
両国関係をさらに進化させたトドル・ジフコフ首相の訪日
両国を結んだ象徴ヨーグルトを巡る人間模様──(株)明治と園田
[著者・訳者紹介]
ヴェラ・ヴトヴァーステファノヴァ
1973年生まれ。キャリア外交官。駐日ブルガリア大使館で、通訳から全権公使までさまざまな役職を歴任。退職後、ブルガリア・日本関係史の研究に従事。日本文学の翻訳も手掛ける。2020年には、日本政府から旭日中綬章を授与された。
エフゲニー・カンディラロフ
ブルガリア科学アカデミー付属歴史研究所の准教授。専門はブルガリアと日本の近現代史。著書に『ブルガリアと日本―冷戦から21世紀へ』(2009年)、『東アジアとブルガリア』(2016年)。共著に『日本―経済、テクノロジー、イノベーションとマネジメント』(2012年)。2024年秋、上智大学客員教授として「ヨーロッパ史」担当。
菅原淳子(すがわら・じゅんこ)
1980年ブルガリア科学アカデミーの招待により現地研究。1984年津田塾大学大学院国際関係学研究科博士課程単位取得満期退学。津田塾大学助手を経て1992年二松学舎大学国際政治経済学部助教授就任。2019年二松学舎大学名誉教授。専門はブルガリア近現代史、バルカン地域研究。主要論文・著書「バルカンの危機 (1875-1877)と列強」『国際政経論集』二松学舎大学 18号、2012年3月。「東方問題の進展とバルカン諸民族」『国際政経論集』二松学舎大学 17号、2011年3月。「バルカンにおける地域協力の可能性」『民族紛争の背景に関する地政学的研究』vol.8, 大阪大学世界言語研究センター、2009年9月。「地域の内外ネットワーク――19世紀バルカンにおける民族運動の展開」『地域の世界史1 地域史とは何か』、山川出版社、1997年。『国際情勢ベーシックシリーズ・東欧』(共著)自由国民社、1995年ほか。