21/09/2023
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。 横澤一彦・藤崎和香・金谷翔子 著 『感覚融合認知 多感覚統合による理解』 →〈「はじめに」「おわりに」(pdfファイルへのリンク)〉 →〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉 》横澤一彦監修『シリーズ統合的認知』全巻刊行記念 監修者によるシリーズブックガイドは【こちら】 *サンプル画像はクリックで拡大します。「はじめに」本文はサンプル画像の下に続いています。 はじめに 人間に限らず,生物が複数の感覚系を持つことは,生存において,多くの潜在的な利益をもたらすことは容易に推定できる。たとえば,各感覚モダリティ(様相)が外的環境の異なる側面を感知できるため,経験できる範囲や種類が広がるだけでなく,異なる感覚モダリティが同じオブジェクトや事象に共に対応できることになる(Spence & Driver, 2004)。すなわち,異なる感覚器官は異なる物理的刺激に反応するため,複数の種類の感覚器官をもつことは,多様な情報を外界から得ることにつながり,生存に有利なのである。ここでは,ある事象(イベント)から得られた複数の感覚情報が脳内で融合して,再構成され,理解に至るまでの過程を,感覚融合認知と呼ぶ。感覚融合認知は造語であるが,文字通り,複数の感覚情報が融合した事象認知を指す。 ただ,感覚融合認知は特別な事象の認知ではなく,日常的でありふれた一瞬のうちに生じる事象の認知に過ぎない。我々は,日常的な事象の多くが,そもそも複数の感覚が融合した結果であることに気を留めることはほとんどない。ところが,1 つの事象は複数の感覚に分かれて感覚器官に取り込まれ,それらの単純な加算として処理されるのではなく,感覚間の相互作用により新たな解釈を生み出すことで,1 つの融合した認知に至っているのである。 具体的な事例で説明してみたい。ある1 つの事象を経験して,「犬が吠えた」という認知に至ったとしよう。この事象は,聴覚認知という単一の感覚モダリティで認知されたように思われるかもしれないが,日常的な状況では,犬という存在が視覚的に確認された上で,その口元から鳴き声が聴覚的に聞こえたという状況である可能性が高い。そうだとすれば,感覚融合認知に基づいて「犬が吠えた」という認知に至ったことになる。すなわち,「犬の声が聞こえた」だけならば聴覚認知,「犬の顔が見えた」だけならば視覚認知かもしれないが,「犬が吠えた」は視覚情報と聴覚情報が融合した感覚融合認知の結果を表現していると考えることができる。さらに言えば,「犬が吠えた」とは,「たった今,目の前で犬が吠えた」という状況が正確な事象説明だとすれば,特定の事象を認知するためには,時空間情報も含めた理解が多くの場合必要となる。 感覚融合認知では,日常的でありふれた一瞬の事象の認知を扱うことになるが,認知心理学とか知覚心理学で扱ってきた認知は,歴史的には個別の感覚モダリティを取り出して,それぞれの処理過程を解明する試みであった。典型的な視覚研究では,実験環境を統制するために,実験参加者を暗室に閉じ込め,聴覚モダリティなど他の感覚情報が変動しないように注意しながら,実験参加者に与えたい視覚刺激だけを呈示し,実験参加者の反応を分析してきた。視覚研究に限らず,聴覚研究であっても同様である。他の感覚の手がかりが交絡するのをできるだけ避けるために,他の感覚の手がかりを最小限に抑えながら,研究対象とする感覚モダリティの手がかりだけを操作する実験に取り組むことで,それぞれの感覚モダリティの処理過程を明らかにすることができた。このような研究の積み重ねによって,個々の感覚情報処理の過程についての理解が着実に進んだので,このような研究アプローチは大きな成功を収めたと言えるだろう。ところが,どの感覚モダリティも,他の感覚から完全に分離して理解することはできないということが徐々に明らかになってきた。そもそも,すべての体験は多感覚的であるという主張もある(Velasco & Obrist, 2020)。このことは,従来の研究アプローチの妥当性を覆すものであり,知覚の多感覚的な側面を理解することなしに,知覚意識などの説明が十分にはできないことがわかってきた(O’Callaghan, 2019)。その結果,個別の感覚モダリティを取り扱うのではなく,感覚モダリティ間の相互作用,すなわち積極的に感覚情報を交絡させる現象に関心が高まったわけだが,それは比較的最近,1980 年代になってからなのである(Stein, 2012)。 ここまで,「感覚融合認知」が,複数の「感覚」情報が「融合」した「事象」認知であると説明してきたが,「感覚」,「融合」,「事象」というそれぞれに対して,その定義を以下で説明する。 感覚とは あらかじめ断っておくと,深淵な問題を含むので,「感覚」とは何かについてここで厳密に定義するつもりはない。あくまで,「感覚融合認知」における「感覚」について取り上げるのは,融合認知とは何かを明確にする前段階での必要性に迫られているためである。すなわち,複数の感覚情報が融合した事象認知である感覚融合認知において,感覚情報が単一か複数であるかは,そもそも「感覚」を定義しない限り,決めることができないからである。ここでは,独立した感覚器官で得られた感覚情報を「感覚」と定義し,それらが複数存在する処理過程を「感覚融合認知」として取り扱うことにしたい。 「五感」という区分は日常的によく使われ,視覚,聴覚,触覚,嗅覚,味覚という5 つの独立した感覚モダリティに分けられることは,多くの方が受け入れている。なぜならば,目から入った情報は「見える」という感覚を生み出し,耳から入った情報は「聞こえる」という感覚を生み出すからかもしれない。しかしながら,実は感覚モダリティがこれらの5 つであることは研究者によって意見が分かれるところである(Sathian & Ramachandran, 2020)。特に触覚は,単に触れられている感覚である触覚に加え,温覚,冷覚,痛覚などに分けることも可能である。さらに,運動感覚や位置感覚を含む自己受容感覚,平衡感覚,内臓感覚も感覚モダリティに含めることも一般的になっている。 さて,分かりやすく言えば,いわゆる五感は,視覚は目,聴覚は耳,触覚は皮膚,嗅覚は鼻,味覚は舌という独立した感覚器官が存在し,それらで得られる感覚情報は独立した感覚情報として扱うことで,感覚情報が複数存在する状況を定義することができる。 すなわち,五感は5 という数量に拘った区別ではなく,それぞれを独立した感覚器官に基づく感覚と捉えるとすると,それを構成する感覚モダリティ間の相互作用に関する研究は,「マルチモーダル認知」とか,「クロスモーダル認知」と呼ばれる研究分野として見なされている。このような感覚モダリティ間の相互作用に関する研究においては,研究分野によって「多感覚」,「マルチモーダル(multimodal)」,「クロスモーダル(crossmodal)」,「ヘテロモーダル(heteromodal)」,「ポリモーダル(polymodal)」,「スーパーモーダル(supermodal)」など,いくつもの用語が使われており,混乱し,問題をわかりにくくしてしまう可能性も生じている(Stein, 2012; 田中, 2022)。そもそも厳密に定義し分けることは難しく,モダリティに制限されない「多感覚」は少し広い概念を表すが,それ以外はいずれもほぼ同義で用いられることもあるので,ここでは区別せず,「マルチモーダル認知」とか,「クロスモーダル認知」などと呼ばれる研究分野をすべて包含する概念として「感覚融合認知」という造語を提案していることになる。 改めて,「感覚融合認知」は,「マルチモーダル認知」とか,「クロスモーダル認知」と呼ばれるモダリティ間の融合認知を包含するとともに,五感という別々のモダリティ間の融合認知だけではなく,モダリティ内の融合認知研究を取り上げる点に特徴がある。たとえば,両眼は別々の感覚器官であり,両耳も別々の感覚器官であるので,同一モダリティであっても,両眼間,両耳間の融合認知も感覚融合認知として取り扱うことになる。両眼視や両耳聴による事象認知や空間認知は,視覚や聴覚という単一モダリティ内の感覚情報の相互作用であっても,感覚融合認知として扱う必要がある。モダリティ間とモダリティ内の相互作用において,本質的に違いがあるのかどうかは感覚融合認知の研究テーマの1 つであろう。 一方,「感覚融合認知」と見なさない処理もある。視覚情報処理において,網膜に射影された外界情報は,特化された機能を持つ視神経細胞によって,色,明るさ,動きなどに分類されて処理されている。たとえば,色情報は,視覚系において特定の処理経路を経て,V4 など大脳腹側視覚経路の高次領野に伝えられることにより,色覚が成立すると考えられるので,脳情報処理において特定の処理経路を経るものの,明るさや動きなどの視覚情報が色とは別の感覚器官で得られている感覚情報とは見なさない。もちろん,感覚融合認知を広く定義すれば,色,明るさ,動きなどの視覚情報を統合する特徴統合理論を代表とする注意過程(注意巻参照)や,ジオン理論を代表とする図形要素の統合によるオブジェクト認知過程(オブジェクト認知巻参照)などの脳内のほとんどの処理過程も,感覚融合認知に含めることは可能だろうが,本書で取り上げる感覚融合認知は,別々の感覚器官から得られた情報の融合過程を取り上げることにするので,色,明るさ,動きなどの視覚情報の統合過程を感覚融合認知に含めないことにした。 融合とは 感覚融合とは,感覚間相互作用により,複数の感覚情報が統合され,1 つの事象としてまとまって理解される過程である。多くの場合,複数の感覚情報が融合された結果,そもそも複数の感覚情報に基づいたかどうかは顧みられないことになる。前述したように,「犬が吠えた」という認知は,多くの場合感覚融合認知であるが,視覚情報との感覚間相互作用により,複数の感覚情報が統合された結果であることを気づく必要もなく,犬の声に対する聴覚という単一の感覚モダリティでの認知だと解釈しても何も矛盾はない。別の例でも説明してみたい。我々はジュースの味の違いを味覚で味わっているように感じているが,目をつぶり,鼻をつまんで飲んでみると,どのような果物のジュースかを言い当てることさえとても難しいことに驚く。これは,ジュースを飲むという日常的にありふれた事象認知ではあるが,味覚,嗅覚,視覚の感覚融合認知の結果であることに気づくことはめったになく,味覚という単一の感覚モダリティでの認知だと解釈しても何も矛盾はない。したがって,改めて「感覚融合認知」とは日常的なありふれた一瞬のうちに生じる事象認知であり,「感覚間相互作用」,「多感覚統合」などと呼ばれる研究分野をすべて包含する概念として「感覚融合認知」という造語を提案していることになる。 融合するための重要な要因は,1 つの事象ならば,複数の感覚を生起させている情報源の空間の一致と,時間の同期が伴うことは明らかである。ただし,1 つの事象に基づく複数の感覚情報が,完全に空間的に一致しているわけでもなく,完全に時間的な同期が取れているわけでもない。空間的に完全に一致していなくても,時間的に完全な同期が取れなくても,それぞれ融合できる許容範囲に収まっていれば,感覚融合認知に至ることになる。具体的な例で許容範囲について考えてみたい。たとえば,雷という事象は稲光と雷鳴が構成されていて,稲光は主に視覚認知に基づき,雷鳴は主に聴覚認知に基づいている。稲光と雷鳴の情報源は空間的に一致しているが,光の進む速度と音の進む速度の違いにより,感覚入力の段階で時間的な同期が取れているわけではない。視覚的に確認できる雷の発生源くらいまでの距離ならば,稲光が視覚情報として到達するまでの時間はほぼゼロとみなすことができるが,聴覚的に確認できる雷の発生源からの距離は,1 秒の時間遅れごとに約340 m となるので,稲光のあと10 秒後にゴロゴロと雷鳴が聞こえたとすると,距離にして3400 m 離れていることになる。また,稲光の後3 秒と経たないうちに雷鳴が聞こえると,約1 km 以内のところに雷の発生源があると算出できる。3 秒の時間差があれば,約1 キロ離れていると推定した上で,稲光と雷鳴を融合して解釈し,1 つの事象としてまとまって理解されているが,これは光の進む速度と音の進む速度の違いに関する知識に基づいて解釈しているのであって,稲光と雷鳴が切り離されて知覚されるならば,雷に対する認知が一瞬のうちに生じた事象とはいえないので,基本的に感覚融合認知に含めない。すなわち,感覚融合認知とは,一瞬のうちに生じる事象の認知であると説明したが,それは複数の感覚情報が,少なくとも主観的には時間的に同期していることが前提である。...
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