27/07/2024
2024年7月25日に矢部さんの訃報に接した。その夜はeurasian suiteの開催日。大の大人の大男が涙ながらに氏の楽曲をPlayした。大変共感したが、僕自身は未だ涙は出なかった。翌金曜日は寝込んでしまい土曜日の朝を迎えた。壮大な洒落の誤報では無いらしい。やっと涙が出た。矢部さんの影響で1990年代に宅録を始めた。2000年に欧州での楽曲リリース話が頓挫した際、矢部さんにその旨を伝えたところ「尾崎君が自分でレーベル作ってリリースすれば良いじゃん。」と言って頂いたのがeurasian suiteの始まり。いつも優しい言葉をかけて頂きながら、音楽的な成長も、商業的な成功もお見せ出来なかったのが心残り。2017年の7inchリリースに際し、表参道のBLUE以来ご一緒されている渋谷の中村君のお店「Bar Music」でDJをご一緒し、喜んで頂けたのがせめてもの恩返しか。広島のedgeに僕主催でお呼び出来なかったのは、本当に恩知らずで恥じ入るばかり。悔やんでも悔み切れない。「尾崎君は、やってることはJAZZなんだけど、見た目が○○(←秘密)だからなぁ」と微笑みながら言って頂いたことを不意に思い出します。生涯の恩人は矢部直さんです。またいつか。