女川ヒト図鑑

女川ヒト図鑑 女川の強みであるヒトを紹介するメディア。
女川での新たな繋がりを創出するメディア。

女川ヒト図鑑No.24▼プロフィール名前:髙橋倫平(たかはしりんぺい)あだ名:りんぺー出身:石巻市所属:女川向学館、日本体育大学趣味:楽しく飲むこと、美味しいものを食べること特技:利きビール座右の銘:人生タイミング出現スポット:女川向学館、...
29/10/2021

女川ヒト図鑑No.24

▼プロフィール
名前:髙橋倫平(たかはしりんぺい)
あだ名:りんぺー
出身:石巻市
所属:女川向学館、日本体育大学
趣味:楽しく飲むこと、美味しいものを食べること
特技:利きビール
座右の銘:人生タイミング
出現スポット:女川向学館、ぶんぶん、夢を語れ

▼5Questions
1 女川の好きなところ
➡美味しいご飯、町がコンパクトなところ
2 自分だけのこだわり
➡1日2Lの水を飲む
3 マイブーム
➡ダイエット
4 好きな人・尊敬する人
➡岡田斗司夫先生
5 女川での印象的なエピソード
➡教え子が海鮮物を持ってきてきてくれる

▼Deep Questions
【高校まで石巻】
両親とも教員をやっていることもあって、学校の先生になろうと小さい頃から漠然と思っていました。

中学校1年生のとき、震災を経験したんです。
自分の地域はそこまで被害が大きくなかったので、他の地域から転校生がたくさん来ました。

大切な人を無くしている周りの方もいる中で、地震について自分ごととして話してよいのかという葛藤もありましたが、自分が経験したことをありのまま伝えれば良いんだなと今では思ってます。

その後『TOMODACHIプログラム』というのに参加をして、アメリカに行きました。
プログラムでは、自分の地域のことについて考える機会が多かったです。
と同時に色々な方との出会いの中で、「このまま学校の先生になってよいのだろうか」と悩み始めます。

【集団行動に熱中した大学生活】
大学は、体育の先生の資格が取れる東京の大学に進学をしました。

ずっとバレーボールを続けていたので部活をやろうと思っていましたが、入部規制がありバレー部には入れなかったんです。
そこでたまたま見つけた集団行動の部活に入りました。

やってみると、自分がやったこと無いぐらいしんどくて。(笑)
一方で自分たちが満足行くものを追求するということに充実感を感じていました。部活のコミュニティがすごく楽しかったんです。
自分がしたことのない経験をたくさんさせてもらいました。

大学の周りの友達は4年で大学を卒業する人が多かったのですが、一方でTOMODACHIプログラムの仲間はストレートで卒業する人のほうが少なかったので、「大学=4年間」というのが普通だと思ってなかったんです。
学校の先生だけじゃない教育の形を見てみたいと思って、大学を休学をしました。

【カタリバとの出会い】
そこで『カタリバ』でのインターンをはじめました。

この女川町で子供たちの居場所作りや学習のサポートをしていました。

勉強することが苦手な子を、勉強する気にさせるのが大変でしたね。
人それぞれなので、個人に向き合うことが大切だと考え、個別のプログラムを作ったりしていました。

次の年は留学を予定していたのですが、コロナによって渡航できず。
休学を延長して、NPOカタリバのオンライン事業部の立ち上げに関わっていました。
教室での学びに変わって、全国の子どもたちへオンラインでの学びを提供できるよう活動していました。不登校支援の分野や、探究学習など自分が経験したことのない分野も学ぶことができました。
今年からはオンラインで大学の授業を受けつつ、女川向学館の職員として働いています。

【多様な教育の形】
以前までは「教育=学校の先生」だったのですが、教育とはそれだけじゃないんだと実感しています。

個人の学びをサポートするというのがカタリバの良さだと思っています。
子供たちと接するときに意識していることは、何に子供たちが引っかかっているかを特定すること、決めつけないということです。

教え子が今も向学館に顔を出してくれたり、反抗的だった子がお土産を持ってきてくれたりするときは心に響くものがありますね。
もっと多くの人が気軽に来れる、そんな居場所を作れたらと思ってます。

【地域で子供を育てる文化を女川から】
たくさんのつながりが女川にできて、女川に残り続けたいなと思っています。

学校での学びと合わせて、地域の教育をやっていきたいと思っています。
多くの方が学校の先生だけが教育をやると思っている中で、地域全体で子供を育てるという文化を女川から作っていきたいです。

これからも教育に関わり続けたいですし、いつかは地元石巻でもなにかしたい。
女川での生態系を石巻に持って帰りたいと思っています。

【最後に一言】
石巻市で『耕人塾』という中高生の学びの場にも関わっています。
もしご興味ある方いらっしゃいましたら、ぜひお声がけください。

最後に僕が関わっているプログラムのURLを載せておきますので、よろしければご覧ください。
・NPOカタリバ
https://www.katariba.or.jp/
・女川向学館
https://www.katariba.or.jp/activity/project/onagawa/
・TOMODACHIプログラム
http://usjapantomodachi.org/ja/

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女川ヒト図鑑No.23▼プロフィール名前:渡邊晴香(わたなべはるか)あだ名:晴香先生、はるちゃん出身:女川町所属:しおかぜ保育所趣味:ラーメンめぐり、野球観戦、Live特技:スノボ、ディズニー座右の銘:1日をなんとかのりきる出現スポット:三...
17/10/2021

女川ヒト図鑑No.23

▼プロフィール
名前:渡邊晴香(わたなべはるか)
あだ名:晴香先生、はるちゃん
出身:女川町
所属:しおかぜ保育所
趣味:ラーメンめぐり、野球観戦、Live
特技:スノボ、ディズニー
座右の銘:1日をなんとかのりきる
出現スポット:三秀(ラーメン、五目焼きそばがオススメ!)

▼5Questions
1 女川の好きなところ
➡知らない人とも挨拶をすること、アットホーム感
2 自分だけのこだわり
➡ちゃんと3食を食べる
3 マイブーム
➡漫画、スノボ
4 好きな人・尊敬する人
➡保育所の先生、向学館の先生
5 女川での印象的なエピソード
➡震災後の中学校での生活、向学館に通ったこと

▼Deep Questions
【中学1年で被災】
当時は中学1年生で、3年生の卒業式を翌日に控え、教室で装飾の準備をしていました。

そんなときに東日本大震災が起きました。
「1階に降りろ」という先生の指示の下、噴水の周りにみんな集まりました。

そしてガッガッガッという音がしたのを覚えています。
その時は、ヘリコプターでも飛んでいるのかなと思ってました。
今考えるとそれが津波だったんだなと。

雪が降ってきたので、ブルーシートを被って体育館に移動しました。
大人からは「町の方を見るな」と言われましたが、町に津波が押し寄せているのが目に入りました。

その日は体育館で夜を過ごし、次の日からは中学校で過ごしました。
柔道場の畳を敷布団に、教室のカーテンを毛布にして寝ていましたね。
最初の2日間は何も食べれませんでしたが、学校の先生が家庭科室を使ってご飯を作ってくれました。

それでも電気と水道はずっと止まったまま。
一週間ぶりぐらいに入った自衛隊のお風呂がとても気持ちよかったです。

当時唯一の情報源だったラジオから、女川と壊滅というような言葉が並んで聞こえてきましたが、受け入れられませんでした。

【学校再開と向学館との出会い】
地震から1,2ヶ月で学校が再開しました。
ユニセフから寄付してもらったかばんをみんな背負っていました。
俳句作りをしたり、グラウンドにコートを書いてバレーボールをやったりしていましたね。

中学2年生のときに友達に誘われて、向学館にはじめて行ったんです。
それから先生がみんな素晴らしい方たちだったので、向学館に通うようになりました。

勉強ももちろんですが、それ以上に人生にとって大切なことを教えてもらいました。
今でも向学館の先生たちを尊敬しています。

【一度女川を離れた】
石巻の高校入学をきっかけに石巻に引っ越しました。
高校では中学から続けていた吹奏楽に熱中していましたね。

入ってそうそうに進路を聞かれ、その時は無難に大学に行こうと考えていました。
一時期はウェディングプランナーにも憧れていました。

そろそろ進路を決めなきゃいけないとき、女川の先生や周りの人から「教えるとか、子供とかかわることが晴香に合ってるよ」と言われたことを思い出しました。

でも泳げないし、マット運動もできないから小学校の先生は無理だし。。。笑
そして幼稚園か保育園の先生になろうと決めました。

保育士の資格が取れる仙台の大学に石巻から通うことにしました。

【保育士として女川に】
そして卒業後保育士として女川に帰ってきました。

女川が好きなので、いつか帰ってきたいとずっと思ってたんです。
女川で何かしたい、まちづくりをお手伝いしたいと漠然と。

一度女川を離れたことでより女川の魅力に気づいたんです。
やっぱり女川の人は温かいですよね。

【保育士1年生】
1年目は毎日が必死でした。
知らないことだらけで、時には仕事に行きたくないなと思うこともありました。

それでも子供たちと接することがすごく楽しいから続けることができました。
一生懸命頑張ってる姿とかできなかったことができるようになるとか、そのようなシーンに立ち会えることにやりがいを感じています。

修了式のときに担当していた3才の子から花束をもらったときは感動しました。
「来年も晴香先生がいいな~」と子供や保護者の方に言ってもらえたり。

今年からは1才児のクラスを担当させてもらっています。

【子供の笑顔が溢れる町に】
もっと子どもたちや子育て世代が暮らしやすい町にしていきたいです。

自分もそうしてもらったように、まち全体で子どもたちを育てられるように、子供と町をつなぐような存在になれたらと思っています。

子供たちを連れて町を散歩することもあるので、見かけたら手を振ったり声をかけてくださると嬉しいです!
そして女川での子育ても悪くないですよ!

女川から離れている人もいるので、いつか女川で同級生と集まれたらいいな。

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女川ヒト図鑑No.22▼プロフィール名前:木村太悦(きむらたいえつ)あだ名:たいえつさん出身:宮城県県女川町所属:女川みらい創造株式会社趣味:旅行特技:学生に歴史を教えること座右の銘:面白き こともなき世を 面白く出現スポット:コバルトーレ...
25/09/2021

女川ヒト図鑑No.22

▼プロフィール
名前:木村太悦(きむらたいえつ)
あだ名:たいえつさん
出身:宮城県県女川町
所属:女川みらい創造株式会社
趣味:旅行
特技:学生に歴史を教えること
座右の銘:面白き こともなき世を 面白く
出現スポット:コバルトーレ・サポーターズパーク

▼5Questions
1 女川の好きなところ
➡町民全体の無私の心で町を盛り上げるという気概
2 自分だけのこだわり
➡学習塾において生徒と1対1で向き合うこと
3 マイブーム
➡WACK
4 好きな人・尊敬する人
➡漫画家のゆでたまご先生
5 女川での印象的なエピソード
➡2011年8月の野外イベントの総合司会を務めた際に、イベント終了後に達成感で泣き崩れたこと

▼Deep Questions
【なんとなく取得した教員免許】
2010年に女川に戻ってくるまでは仙台にいました。当時は仙台で予備校での指導教員や教材販売などをやっていました。大学時代に教員免許を取得していたので、教育関連の仕事に適性を感じていました。

免許取得のきっかけは、大学入学時に新入生での2泊3日のオリエンテーションという名目の旅行です。そこで仲良くなった友達が口を揃えて教員免許を取ると言っていたことが始まりでした。そこで自分も何となく勉強してみようかなと思いました。最初は本当にこれくらいの軽い気持ちでした。
ただこのことが後々、向学館の立ち上げや今の学習塾での活動で活かされることになりました。

【女川さいがいFMでの活動】
震災後の2011年の3月末から女川さいがいFMでの活動を始めました。当時避難所生活で悶々としている日が続いていたので、何かやりたいという想いが強くありました。そんな時にラジオ局立ち上げという案件を持ちかけて頂き、元々仙台では趣味の延長でラジオサークルに所属していたこともあって、多少は役に立てると思って始めました。

開局当初は右も左もわからず、戸惑いしかなかったですが、番組作りをやっていくなかで自分本位のトークではなく、「リスナーが何を知りたいのか」「どんな人の話を聞きたいのか」ということを物凄く考えるようになりました。具体的には、避難所生活の方々に、物資の配布場所や時間などをいかにわかりやすく伝え、なおかつ明るい話題をどれだけ提供できるかということを念頭に置いていました。

ラジオでは、2013年に当時90歳のおじいちゃんへのインタビューが印象的です。この方は、福祉センターに入所されていた方なのですが、震災前の女川について話を伺いました。その際に、「津波で壊滅的になった女川をどう思うのか」と質問したところ、「戦争と比べたら大したことない」と仰られたことが忘れられません。焼け野原だった戦争をご経験されているからこその言葉だったので、言葉の重みを強く感じました。それから町の復興に対して、より一層希望を持つようになりました。

【女川向学館の立ち上げ】
ラジオ活動と並行して2011年の7月から向学館の立ち上げに尽力していました。今思い出しても特に初年度は本当にやりがいがありました。時には夜中の3時まで同僚の先生方と一緒に夢中になって、授業の準備や生徒一人ひとりに対して、どのような指導をすれば良いか議論を重ねたりしました。この経験がなかったら、今、自分で学習塾を経営するという道はなかったと思います。それくらい当時は本気で生徒に向き合うことで、刺激的な毎日を送っていました。

特に、2011年当時中学3年生だった男の子が印象的です。彼は受験生にも係わらず全く勉強しない生徒で、ある日悪ノリで私に絡んできたのです。その際、自分も当時は血気盛んだったがゆえに思わず手を出してしまいました。その後、どんな経緯があったにせよ、手を出してしまったことは良くなかったと思って、和解するために謝罪に行きました。そして「手を出した以上、受験が終わるまで私が最後まで責任を持つから明日も来い」そう伝えた翌日から、彼の態度が180度変わったのです。勉強に対して本当に熱心に取り組むようになりました。繰り返しますが、生徒に手を出すことは絶対に良くないことです。しかし、彼の場合はそれが功を奏して、受験勉強のモチベーションとなったことが、私にとっても救いとなりました。彼が高校に合格し、向学館を卒業してからも良好な関係は続いていて、女川さいがいFMにも高校生パーソナリティーとして参加し、私の仕事を手伝ってくれました。今思い出しても本当に懐かしいです。

【コバルトーレ女川のスタジアムDJ】
また2012年の4月からはコバルトーレ女川の試合のスタジアムDJもやらせていただいております。実はそれまでサッカーの試合をフルで見たことすらなかったので、最初は失敗と挫折の繰り返しでした。

特に苦労したのは、コバルトーレ女川の選手がゴールをした際の実況です。ゴールする瞬間は両チームの選手がゴール周辺に入り乱れるため、いざ得点が入ったとしても、誰が得点を決めたのかが分かりにくく、試合を盛り上げるためのゴールコールができないという、なんとも情けない状態に陥ってしまいました。当時選手の顔と名前も覚えきれていなかった自分にとっては、本来チームにとって喜ばしい「得点が入る瞬間」が本当に苦痛でした。でも、そんな私をコバルトーレ側は見放さず、スタジアムDJとしての経験を積ませて下さいました。そうしていくなか、徐々にコバルトーレの監督や選手との交流を通じて、信頼関係を構築することができ、自分の実況の型が見えてきました。

また、試合の90分に加えて、試合前後のアナウンスも含む計2時半以上にも及ぶ試合全体のデザインにも苦戦しました。試合がどのような流れになるのか事前に予測することはできないので、いかに進行の流れを大枠として台本に落とし込むかに頭を悩ませましたね。

でも、2014年ごろからようやく自分なりに全体像をつかんできて、気付いたらコバルトーレ選手のゴールを心から祝福で きるような余裕を持てるようになっていました。

【今後挑戦したいこと】
今は町内に再建した自宅にて小・中・高校生相手に1対1の個別指導をやっています。今後は個人事業主としてやっている学習塾の規模を拡大し、より多くの生徒に学びの機会を提供したいです。

個別指導においては、生徒と本気で向き合って、伴走することを大切にしています。生徒がこれまで理解できなかったことが、私の学習塾に来てくれたことで理解できるようになって帰ってくれることが本当に嬉しいです。だからこそ、この活動をどんどん広げていきたいと考えています。

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吉田圭(よしだけい)- 女川ヒト図鑑No.21▼プロフィール名前:吉田圭(よしだけい)あだ名:けい出身:神奈川県鎌倉市所属:コバルトーレ女川、株式会社佐藤水産趣味:体を動かすこと特技:球技全般座右の銘:人とのつながりを大切に出現スポット:マ...
26/08/2021

吉田圭(よしだけい)- 女川ヒト図鑑No.21

▼プロフィール
名前:吉田圭(よしだけい)
あだ名:けい
出身:神奈川県鎌倉市
所属:コバルトーレ女川、株式会社佐藤水産
趣味:体を動かすこと
特技:球技全般
座右の銘:人とのつながりを大切に
出現スポット:マザーポート・コーヒー、コバルトーレ・サポーターズパーク、おじか

▼5Questions
1 女川の好きなところ
➡町民全体の温かさ
2 自分だけのこだわり
➡みそ汁は必ず最後に食べる
3 マイブーム
➡バイク
4 好きな人・尊敬する人
➡三浦知良さん
5 女川での印象的なエピソード
➡東北リーグに上がった際にスタンドが埋まるほど人が集まったこと

▼Deep Questions
【サッカー漬けの毎日】
物心ついたころからサッカーをしていて、小さい頃は毎日公園で壁当てをしていました。高校は神奈川県の三浦学苑にてプレーしていました。当時は足が棒になるくらい毎日走っていました。今振り返ってもきつかったですね。(笑)

高校時代、練習試合はめっぽう強かったのですが、公式戦では全く勝てなかったのが悔やしかったです。最後の選手権大会もすぐに負けてしまって。そんな時に、当時の米山稔監督(現総監督)のつてでコバルトーレ女川を紹介していただいたんです。それがきっかけで、高校卒業後、女川に来ました。

【18歳で女川へ】
2006年のコバルトーレ女川の立ち上げに参画しました。実は1年目、仕事とサッカーの両立が大変だったので辞めようと思っていたんです。そして会社(株式会社佐藤水産)の社長に辞める旨を直談判したんです。するとその日、社長にお食事に連れて行っていただき、「いま辞めたらもったいない」という言葉を掛けていただいたんです。そんな言葉を掛けていただけるとは全く想像していなかったので、本当に驚きました。

でもこれがきっかけでサッカーを辞めずに続けられました。気付けば今年で16年目です。本当に社長には感謝しかないです。

【コバルトーレ女川の強み】
コバルトーレ女川は他のチーム以上にサポータの皆様との距離が近いと思います。「応援に来たよ」っておにぎりを持ってきていただいたこともあります(笑)
震災前は秋刀魚祭りに一緒に参加させて頂いたこともありました。本気で応援してもらっているからこそ、何かしらの形で町に恩返ししたいという想いが強いです。

ポジションは攻めることが多いです。選手としては常に、「チームが勝つこと」を念頭に置いています。自分が点を取ってやろうという想いよりは、チームが勝てば自分が犠牲になってもいいという感じです。色々な繋がりがあってのゴールだからこそ、自分はチームの為の役に立てれば何でもいいんです。

社会人になってから、学生の頃と比較して圧倒的にサッカーに対する意識が変わりました。学生時代は、特に考えずやっていたのですが、今は深く考えるようになりました。具体的には守備の切り替えや動き出しなど一つ一つの細かな動作を考えるようになりました。

【苦い思い出のJFL】
JFLに昇格したにもかかわらず、1年で降格してしまったことは本当に悔しかったです。実はJFLに昇格するためにはかなり大変で、まずは東北リーグで優勝。そのあとに全国で勝ち上がった12チームでリーグ戦を行い、その中の1位と2位が昇格できるんです。当時JFLに昇格したころは、予選と決勝リーグは1日おきの試合だったので、過酷すぎて体力的に本当にきつかったです(笑)

ただ、せっかく女川でプレーさせていただいているからには、サッカーで恩返ししたいと思っています。サッカーを通して女川の関係人口を少しでも増やすことが出来たらいいなと思っています。

【最後に一言】
僕らが勝つことでJFLに行けば、他の地域のチームが女川に来ることで、町の活性化につながると考えています。だからこそ僕たちはJFLに昇格することを目標としています。何とか町に貢献できるように日々精進します!

あと個人的にはスキューバダイビングに挑戦したいです。せっかく海が近くにあるのにやったことがないので!(笑)

(写真提供:コバルトーレ)
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女川ヒト図鑑No.20▼プロフィール名前:佐藤敏郎(さとうとしろう)あだ名:としろう先生、としさん出身:石巻市所属:向学館アドバイザー、オナガワエフエムパーソナリティ趣味:ギター、4コマ漫画特技:漫画を書くこと座右の銘:おもしろきこともなき...
14/08/2021

女川ヒト図鑑No.20

▼プロフィール
名前:佐藤敏郎(さとうとしろう)
あだ名:としろう先生、としさん
出身:石巻市
所属:向学館アドバイザー、オナガワエフエムパーソナリティ
趣味:ギター、4コマ漫画
特技:漫画を書くこと
座右の銘:おもしろきこともなき世をおもしろく、すみなすものは心なりけり
(高杉晋作の辞世の句より)
出現スポット:向学館、カフェ・ごはん・セボラ、オナガワエフエムスタジオ

▼5Questions
1 女川の好きなところ
➡心意気
2 自分だけのこだわり
➡分かれ道の時は後悔しない選択をすること
3 マイブーム
➡昭和の名曲やドラマを見ること
4 好きな人・尊敬する人
➡吉田拓郎、ビートルズ、キャンディーズ、ウルトラセブン
5 女川での印象的なエピソード
➡震災が起きた年の10月に開催された秋刀魚収穫祭

▼Deep Questions
【歌って踊れる教員時代】
大学卒業後、国語科教諭として宮城県内の中学校に勤務しました。子どもの頃『われら⻘ 春』という⻘春ドラマがありまして、中学の担任がドラマと同じような熱血先生だったんで す。もろに影響を受けました。ちなみにわれら⻘春の先生役は女川出身の中村雅俊さん でした。

生徒指導だよりや学級だよりに4コマ漫画を連載していました。「眉毛をいたずらしない ように」とか漫画で指導していました(笑)女川では子供向けに『まなぶくん』、中高年向け に『昨日のジョー』、お⺟さん学級向けに『ホヤ子さん』を連載していました。
新任の先生の研修会で「学級作り」についての講義も担当しました。研修といってもレク リエーション大会ですけどね。卒業生にもよく会うんですが、授業中の雑談だけ覚えている と言われます。教員時代は楽しい思い出ばかりです。

【女川での思い出】
平成14年4月から学校を離れ、県からの派遣という形で3年間女川町生涯学習課に勤務しました。子どもからお年寄りまで多くの町⺠とふれあい、泣き笑いした3年間でした。その時始めた中高年のつどい『大人のたまり場』は現在も続いています。
その後学校に戻り、9年間女川第一中学校(女川中学校)で国語教師として勤めました。 石巻ではずっとバレー部の顧問をしていたのですが、女川では野球部の担当に。大沢の阿部コーチの熱血指導でメキメキと力をつけました。

平成19年の県大会は石巻地区での開催で、我々の1回戦の会場は女川球場でした。そこで優勝候補を撃破。その勢いでどんどん勝ち上がって3位になりました。町の皆さんの盛り上がりは、今も思い出します。平成21年には石巻かほく杯で優勝もしました。元々女川は野球が盛んな町で、甲子園球児、プロ野球選手を輩出しています。女子のソフトボールチームも強く、PTAの球技大会はレベルが高くて大変でした(笑)
震災の時はバレー部の顧問。体育館が使えず、校庭に手作りコートを作って練習しました。 なつかしいなぁ。

【垣根を越えてつながる】
その後、平成26年に東松島の矢本第二中に転勤、1年後の27年3月に教員を退職しました。震災前から「学校は外と繋がったほうがより豊かな学びになる」だから、学校と学校外を繋ぐ役割を担いたいと考えていました。やはり女川の生涯学習課での経験が大きかったと思います。
震災を機に官・⺠や学校というような垣根を越えて協働する意義がより一層高まったと思っています。

女川の中学校では震災の年の5月、全校で俳句作りをしました。あの情景、心情を言葉に させていいものか迷いましたが、生徒たちはしっかり向き合い「みあげれば がれきの上に こいのぼり」などの句が生まれました。この取組みは本になり、教科書にも載っています。 平成28年には東松島で出会った生徒たちと一緒に『16歳の語り部』という本を出版しました。震災当時、宮城県東松島市の小学5年生だった彼らの等身大の「語り」をまとめた一冊の本で、厚労省から表彰されました。女川でも売っています。買ってみてください(笑)

平成26年4月からは女川さいがいFM(現オナガワエフエム)のパーソナリティも務めています。最初に担当したのは昭和フォーク、歌謡曲を紹介する『牡鹿半島フォークジャン ボリー』という番組で、よく町⺠が⾶び⼊り参加して盛り上げてくださいました。

【いつか女川に恩返しを】
平成14年から今に至るまで、語りだすときりがないほど色々な面で女川の方々にはお世話になりました。震災後も学校、そして私個人を本当に支えていただきました。生徒にもす ごく感謝しています。どんな形でもいいから女川に恩返しをしたいです。
女川の震災からの復興の過程を、子供たちの学びに生かせたらいいなぁと思っています。 苦労話を聞かせるわけではないのですが、あの日から立ち上がり、みんなで力を合わせてき た町の歩みを学びにしない手はありません。どんな状況でも希望は消えないことを教えて くれる最高の教材です。
震災後に生まれた子供も増えています。あの日のことはもちろん、あの日までの町の様子 も知ってほしいと思っています。

【最後に一言】
『大人のたまり場』というつどいを、毎月続けています。昭和ソングを歌いながら、おしゃべりをするざっくばらんな会です。誰でも気軽に参加できます。興味のある方は、『カフェ・ごはん・セボラ』さんまでお問い合わせください!

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女川ヒト図鑑No.19▼プロフィール名前:齋藤武(さいとうたけし)あだ名:齋藤さん出身:東京所属:歌声喫茶趣味:マンガ鑑賞座右の銘:勝たなくてもいい、負けるな(漫画『リアル』より)出現スポット:カフェ・ごはん・セボラ、絆フレンズ、岡清▼5Q...
17/07/2021

女川ヒト図鑑No.19

▼プロフィール
名前:齋藤武(さいとうたけし)
あだ名:齋藤さん
出身:東京
所属:歌声喫茶
趣味:マンガ鑑賞
座右の銘:勝たなくてもいい、負けるな(漫画『リアル』より)
出現スポット:カフェ・ごはん・セボラ、絆フレンズ、岡清

▼5Questions
1 女川の好きなところ
海が見える綺麗な街並み
2 自分だけのこだわり
居心地のよい場所を作ること
3 マイブーム
ほやを食べること
4 好きな人・尊敬する人
野村克也さん、明石家さんまさん
5 女川での印象的なエピソード
今年の3月に女川に訪れた際、色々な方を繋げて頂いたこと

▼Deep Questions
【これまでのご経験】
25歳のときに介護福祉士の資格を取得しました。当時、ちょうど介護保険制度が始まった頃だったため、ホームヘルパーという職業が流行っていたんです。だからなんとなく資格を取ったのが介護業界に入ったきっかけです。

それから20年ほど、高齢者介護の仕事をしていました。始めは特別養護老人ホームで、つぎに全国展開する営利法人の認知症対応型共同生活介護(以後、グループホーム)で勤めました。グループホームでは、認知症の高齢者の方々が住む施設で介護もしながら、施設の管理業務を24時間対応でやっていました。今振り返ってみても本当に大変だったなと思います。

【介護現場で働く中での気付き】
「世の中の介護に対する考え方が、20年前に戻っている」

これは20年間働いて気付いた、1番の介護業界の課題だと思っています。一時は介護保険制度が導入されたことによって、「お年寄りを一個人として尊重しよう」という潮流になりました。しかし、高齢者の人口増加と介護士の人手不足により、

介護する側は「高齢者をいかに効率よく管理するか」という、自分勝手な姿勢
介護をお願いする側は「申し訳ありませんが宜しくお願いします」という、介護する側にお任せする姿勢

というように、介護を「する人・される人」という歪んだ関係性が出来ていると思います。そして「当事者不在」となり、要望を聞いてくれない介護事業所、勝手なことばかり要求する家族という扱いになります。そこで、私はこの社会の構造を変える必要があると思いました。

【女川との出会いきっかけ】
石巻の事業所で働いていた時に、開設をしないかと話を持ち掛けられたことがあったんです。そして、実際に女川に訪れてみると、女川には介護の事業所が少ないことに課題を感じました。年を取ってからコミュニティを形成する際に、介護施設に行くことしかできないということは、高齢者にとっての選択肢が少なすぎると思ったんです。

加えて、認知症だということを発信できるような環境を整備することも大事だと思っています。発信することで、少なからず周囲はその人を気に掛けるようになるため、色々なリスクを防げると思います。

そこで、高齢者や地域の方々が気軽に立ち寄って、歌ったり、話したり、考えたり、学んだりできる場所を女川に作ることに決めました。そういう環境がないと、年を取ることに希望を感じることが出来ないと思うんです。

【女川での活動】
歌声喫茶とは、お客さん全員が歌うことを想定した喫茶店のことで、昭和30年代に流行ったんです。子供から高齢者まで気軽に立ち寄って、歌を歌って楽しみながら新たな関係性が生まれる。そんな繋がりを作れる「場」になってほしいという想いを込めて、『うたごえ喫茶』という名前にしました。

定期的にゲストの方をお招きして、気軽に演奏・伴奏を楽しむ会を開催しています。歌をきっかけとして、みんなが自然に繋がり、心地がいいと思える場所になったらいいなと思っています!

加えて、心と一緒にお腹も満たしてもらうために、スイーツやランチをご提供しています。また、子供たちでも楽しめるように駄菓子スペースも設置しています。

【今後やっていきたいこと】
個人ヘルパーのような、介護保険を使わない通院支援の事業をやっていこうと思っています。介護事業所のような所で、高齢者の方々を集団で介護するのではなく、一人ひとりの高齢者の方々のお家に行って、その人の生活に関わりながら介護をすることで、より個々のニーズに合った介護ができると考えています。

加えて、介護をする側の人達に、介護事業所で働くだけではなく、フリーランスで個々に寄り添った介護をすることができるという選択肢を増やすことが出来たらいいなと思っています。

【最後に一言】
7月23日に『シニアカフェ』を開催します!
23日はオリンピックの開会式ですが、スタートは20時頃の予定ですので、みんなで歌ってお弁当を食べてからでも十分間に合います。

ご興味のある方は是非、うたごえ喫茶までお越しください!

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女川ヒト図鑑No.18▼プロフィール名前:高橋正祥(たかはしまさよし)あだ名:まささん出身:宮城県仙台市所属:ハイブリッジ趣味:ダイビング特技:マリンスポーツ座右の銘:とりあえずやってみる!出現スポット:月曜日の幸楽ランチ、シーパルピア近辺...
12/07/2021

女川ヒト図鑑No.18

▼プロフィール
名前:高橋正祥(たかはしまさよし)
あだ名:まささん
出身:宮城県仙台市
所属:ハイブリッジ
趣味:ダイビング
特技:マリンスポーツ
座右の銘:とりあえずやってみる!
出現スポット:月曜日の幸楽ランチ、シーパルピア近辺、竹浦漁港

▼5Questions
1 女川の好きなところ
➡みんな知り合いでほとんどの方々が顔見知りになるところ
2 自分だけのこだわり
➡「有言実行!」と言って自分にプレッシャーをかけること
3 マイブーム
➡水中での動画撮影
4 好きな人・尊敬する人
➡木村文乃さん
5 女川での印象的なエピソード
➡ハイブリッジのオープン前日まで内装作業をしていたこと

▼Deep Questions
【東日本大震災ボランティアで女川町へ】
震災後に石巻市の渡波で自宅兼お店としてダイビングショップをはじめました!2011年に発生した東日本大震災のボランティアで各地の浜に潜ったりしていたんですが、その中で女川町の竹浦(たけのうら)に潜る機会が多かったです。

ボランティアでやったことは細かく挙げると切りがありませんが
水中での瓦礫等の捜索、撤去、そして漁師さんの手伝いなどをすることが多かったです。
漁師の方々とも仲良くなることができました。

【縁が重なり女川でハイブリッジがオープンへ】
女川に店をオープンするきっかけになったのは、シーパルピアができるタイミングで「テナントに入らないか」と声をかけていただいたことです。                       

タイミングがとても良くて、その時には竹浦が自分のメインスポットになっていたこと、自分にも子供が生まれた時期でもあり、自宅と店を分離しようと考えていました。
竹浦の漁師さんたちにも「協力するよ!」という声をいただき、竹浦の海をホームグラウンドとして店をオープンしました。

「運命」を感じましたね。

【慌ただしかったオープン前日】
実はオープン前日まで開店準備が終わっていませんでした(笑)
通常の仕事と並行して開店準備を行っていたので、中々進まなかったですね。

周りからも「間に合うのかな?」なんて声も聞こえて(笑)
直前に車が壊れたりして、すごく大変でした。
友達、家族、そして仲間に手伝ってもらって夜遅くまで頑張りました。

かなりバタバタしていましたがみんなの協力でオープンすることができました!

【仕事と海に対する思い】
ダイビングでは主に女川の海の水中ガイドを行っています。
全国から人が集まり、女川の海に潜っています!コロナ前は海外からも人が来ていました。
女優の木村文乃さんにも来ていただきました!

ダイビング雑誌にも掲載され、「宮城県の海を知るなら三陸女川でダイビング!」というイメージが定着してきたと感じています。いつもありがとうございます!!

女川の海中はカラフルで暖流と寒流がぶつかるところなので宮城の海でしか見られない魚もいます!

また、竹浦には東北で唯一のシャワー、トイレを完備したダイビング施設を作っています!

【今後に向けて挑戦していること】
今年の4月にハイブリッジで制作した『三陸海の生きもの図鑑』を石巻市の小学校と女川小中学校に7千部寄付しました。

石巻市渡波小学校では授業も行いました。
地元の海はすごい!!!と多くの人たちに知ってもらいたいです。

そのために、今後は『三陸海の生きもの図鑑』のページを追加して、中身をより濃いものにしたいです!

そして、子供たちに海に対して興味を持ってもららうと同時に、地元のダイバーを増やしたいとも思っています!

【最後に一言】
価値観が変わる三陸海へ潜ってみませんか?是非ハイブリッジへいらしてください!

10歳から潜れます!
↓ 宮城ダイビングサービスハイブリッジ公式ページ ↓
https://high-bridge1.com

女川町商工会青年部部長もやっていますので、青年部へ参加して女川を盛り上げて行きましょう!

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女川ヒト図鑑No.17▼プロフィール名前:原田直之(はらだなおとし)あだ名:ジャガ出身:大阪府所属:株式会社つなぐ趣味:人間観察、子供と遊ぶこと特技:カウンセリング座右の銘:なんとかなる!出現スポット:役場、Camass▼5Question...
08/07/2021

女川ヒト図鑑No.17

▼プロフィール
名前:原田直之(はらだなおとし)
あだ名:ジャガ
出身:大阪府
所属:株式会社つなぐ
趣味:人間観察、子供と遊ぶこと
特技:カウンセリング
座右の銘:なんとかなる!
出現スポット:役場、Camass

▼5Questions
1 女川の好きなところ
➡町の人達の心が温かいところ
2 自分だけのこだわり
➡感情的にならないこと
3 マイブーム
➡女川町の子供たちと遊ぶこと
4 好きな人・尊敬する人
➡小嶺忠敏総監督(元国見高校総監督)
5 女川での印象的なエピソード
➡自分が実現したいことに対して町の方々が真剣に向き合ってくれたこと

▼Deep Questions
【サッカー漬けの学生時代】
兄の影響で小4からサッカーを始めました。大学卒業までサッカー漬けの生活でしたね。ポジションはサイドバックで、長友佑都選手と同じポジションです。高校は長崎の国見高校で、人生で最も濃厚かつ大変な日々を送りました。毎朝6時から朝練があったのですが、それでは物足りないため、毎朝5時に起きて5時5分からグラウンドで練習するという「朝練の朝練」を3年間継続しました。国見高校の中でもこんなアホなことをしていたのは唯一僕だけだったと思います(笑)

そんなサッカー漬けの生活でも、絶対に授業中は寝なかったです。仮に寝てしまった場合はレギュラーから外されてしまうので。3年間、どんなに眠くても耐え続けました。

【ずっと好きになれなかったサッカー】
実は小学生の時からプロは目指していなかったんです。日本代表の山口蛍選手など大阪府内にはすごい選手がごろごろいたので、自分なんかは通用しないなと。加えて、社会人になるまでサッカーは好きじゃなかったです(笑)

理由は、「両親が見に来てくれるから試合に出ないといけない」、「キャプテンとしてチームを引っ張らないといけない」というように、プレッシャーがずっとかかっていたからだと思っています。元々競争は嫌いなので、争いごとは避けたい身なんです。それでも大学まで継続することが出来たのは、親の影響が大きかったです。

でも、当時の経験があったからこそ今の自分がいると常日頃から感じています。あの経験がなかったら、ロート製薬には入っていなかったし、女川にもご縁がなかったかもしれません。サッカーを通して、色々な挫折を経験できたことは自分にとって一生の財産です!

【女川に来たきっかけ】
8年間ロート製薬に勤めて、今年の6月末に退社しました。女川町に来たきっかけは、ロート製薬で勤めていた頃の、『女川町健康プロジェクト』や『みちのく未来基金』での活動です。加えて、自分が持っている資格を活かしたメンタルヘルスケアなども行っていました。

そんな中で、キャリア教育をやりたい!という気持ちが高まったんです。元々子供が大好きだったので、地域と子供たちの距離が近い女川だからこそ、子供たちの未来の為に何かできることはないかと考えていました。

ただ、「キャリア教育は本当に自分にしかできないことか?」という問いに対して自問自答した結果、最終的には自分がずっとやってきたスポーツを通して、子供たちに何かを提供したいという想いになりました。

【心温かい人が多い女川町】
女川の凄いところは、何かやりたいことを発信したときに、周りの人たちが全力で自分を応援してくれるところだと思っています。自分のやりたいことに対して、町民の方々が色々な知恵を出して、力を貸してくださる。本当に心温かい方が多いなと思っています。こんなよそ者に対して、真剣に向き合ってくれる町は他にはないと思います。

【スポーツ✖非認知教育】
これから女川では、スポーツを通して子供たちの非認知能力(協調性、忍耐力、コミュニケーション能力など点数や指標で明確に出来ない能力)を高める活動を行っていきます。実はこの非認知能力、幼少期の3歳から10歳の経験が大きな影響を及ぼしているということが判明しています。なので幼少期の教育は本当に大切なんです。

個人的には、子供たちに「自分らしく」生きてほしいと思っています。そのための手段として、僕が展開しようとしているスポーツプログラムを子供たちに提供したいと思っています。そして、自分が本当にやりたいこと、ありたい姿を見つけることで、今後の可能性を大きく広げてほしいです。

自分自身、今に至るまで大学も就職先もなんとなく進んできました。でも今は自分の中のありたい姿が明確になりました。だからこそ今、とてもわくわくしています。なので、子供たちにも「自分のありたい姿」を見つけてほしいと切に願っています。

【今後の挑戦】
女川の子供たちがスポーツを通して、「自分らしさ」を見つけることが出来る環境を作りたいです。そして、女川の子供たち全員が、自分のプログラムを通して自己肯定感を高めることで、何事においても積極的にチャレンジできる、そんな人になってほしいです。そして、最終的には女川町だけではなく、他の地域の子供たちにもこの活動を広めることが出来たらいいなと思っています。

【最後に一言】
石巻市と女川町で総合スポーツスクールを開講するので、ご興味ある方はぜひご参加ください。7月中旬から体験会を実施する予定です!
https://biima.co.jp/sports/

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女川ヒト図鑑No.16▼プロフィール名前:持田耕明(もちだこうめい)あだ名:持田さん出身:東京都豊島区所属:観光協会、潮プランニング趣味:キャンプ、無線特技:器用、彫金細工座右の銘:生涯現役出現スポット:潮プランニング、観光桟橋▼5Ques...
04/07/2021

女川ヒト図鑑No.16

▼プロフィール
名前:持田耕明(もちだこうめい)
あだ名:持田さん
出身:東京都豊島区
所属:観光協会、潮プランニング
趣味:キャンプ、無線
特技:器用、彫金細工
座右の銘:生涯現役
出現スポット:潮プランニング、観光桟橋

▼5Questions
1 女川の好きなところ
➡応援してくれる人が多い
2 自分だけのこだわり
➡巻煙草、昔ながらのもの
3 マイブーム
➡アマチュア無線
4 好きな人・尊敬する人
➡アーネスト・シャクルトン(探検家)
5 女川での印象的なエピソード
➡鈴木敬幸さんとの出会い

▼Deep Questions

【ヨットとの出会い】

もともとは高校を出た後、大学に行こうと思っていました。
ただあんまり成績が良くなくて(笑)

そんな時、スイス人のおじさんから「一緒にヨットに乗らないか?」と誘われたんです。

ニュージーランドからシンガポールまで半年ぐらい船に乗って、戻って受験勉強をしようと考えていました。とりあえずヨットのこともよくわからないまま、片道切符でニュージーランドへ向かいました。

ただ英語もあまり喋れず、現地ではうまく馴染めませんでした。
なので生活の拠点を40m級のオランダのヨットに変えて、観光客をヨットで案内する仕事をすることにしました。

他にも自転車でニュージーランドを縦断したり、目の前で友達の家が火事になったり、色々な経験をしました。

そしたら自分のヨットが欲しくなってしまい、レストランで働き始めました。
皿洗いから始めて、ナイトシェフを任せてもらえるまでになりましたね。

念願のヨットを手に入れ、そこから5年ぐらいはヨットを拠点にしていました。

【資金を集めに一時帰国】

30代過ぎたら日本に帰ると決めていたので、そのための別のヨットを手に入れる必要がありました。

その資金を貯めるには日本に帰って働くのが早いと考え、一旦日本に帰ってきて、色々なところで働きました。
例えばオートバイひとつで札幌へ行き割烹で働いたり、旅行会社で添乗業務をやったり。

そして貯めたお金を持って、またニュージーランドへ戻りました。

築50年の木造ヨットを見つけ、周りからは反対されましたが、「直せばいい船に間違いない!」と確信していたので、購入を決断しました。
結局それから修理やらで1年ぐらいかかってしまいましたが、ついに日本へ向けて出航することができました。

【自分の力を試した船旅】

「昔の人の知恵を大切したい、自分の力を試したい」そういう思いがあり、最新の道具は使いませんでした。大変なことだらけでしたが、自信がつきましたね。

海の真ん中で動けなくなり、たまたま通りかかったモーターボートに島まで引っ張ってもらったこともありました。

それでもずっとワクワクが止まらなかったです、太陽を見て進むべき道を探っていました。

太平洋の島々に寄りながら1年半をかけて、やっと日本に帰ってきました。

【鈴木敬幸さんからの誘い】

帰ってきて一年間は東京にいました。

調理と英語と旅行のアテンドができたのもあり、オリンピックの時に長嶋ジャパンをサポートするという仕事をもらったこともありました。

今度はヨットで太平洋を北に向かうことにしました。その時にはじめて女川に寄ったんです。

(故)鈴木敬幸さんとの偶然の出会いをきっかけに、徐々に女川で過ごす時間が多くなっていきまいた。

そして鈴木敬幸さんが潮プランニングを立ち上げたタイミングで「全部面倒見てやるから」と声をかけてもらい、今の仕事を始めました。

何年間か一生懸命働いて、事業も風にのってきたところでした。

【海の上で被災】

2011年あの地震が起きました。
地震が起きた時はたまたま海に出ていたんです。

地震で大切にしていたヨットも流されてしまいましたが、生き残れたことだけでも奇跡でした。

観光便の方は一旦ストップして、最優先で生活便の復旧に取りかかりました。

【女川を楽しんでもらいたい】

近年になってようやく観光船にも力を注げるようになってきました。

金華山を訪れるために全国から来ているんです。だから一人でも乗ってくれる人がいれば、その気持ちに応えたい。

お客様とのコミュニケーションやつながりがなによりのやりがいなんです。

女川に来てくれたすべての人に楽しい時間を過ごしてほしい、そのサポートをできたらと思って仕事をしています。
今は女川観光協会の会長も務めさせてもらっています。

【ヨットで南極大陸一周】

将来的にはまたヨットで海に出たいですね。
4年ぐらいかけて南極大陸をヨットで一周とか。

ニュージーランドから始まった旅。最後はニュージーランドに帰って私の旅は終わると思っています。

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女川ヒト図鑑No.15▼プロフィール名前:高橋海斗(たかはしかいと)あだ名:かいと出身:宮城県気仙沼市 所属:(株)コバルトーレ趣味:旅行特技:サッカー、世界の国の首都と場所を当てること座右の銘:中庸出現スポット:コバルトーレ女川サポーター...
29/06/2021

女川ヒト図鑑No.15

▼プロフィール
名前:高橋海斗(たかはしかいと)
あだ名:かいと
出身:宮城県気仙沼市 
所属:(株)コバルトーレ
趣味:旅行
特技:サッカー、世界の国の首都と場所を当てること
座右の銘:中庸
出現スポット:コバルトーレ女川サポーターズパーク、第二多目的練習場、マザーポートコーヒー

▼5Questions
1 女川の好きなところ
➡自然や景観が綺麗なこと、人が魅力的なこと
2 自分だけのこだわり
➡特にないです!
3 マイブーム
➡強炭酸のレモン水を飲むこと
4 好きな人・尊敬する人
➡山口で教師だった頃にお世話になった先生
5 女川での印象的なエピソード
➡町内でのポスター配布時に温かいお声掛けを頂いたこと

▼Deep Questions
【サッカー漬けの学生時代】
幼少期からサッカーを始めました。中学までは気仙沼、高校は仙台、大学は東京にてサッカー漬けの毎日を送っていましたね。特に印象に残っている練習は、高校時代に冬の追い込み期間の3か月間で1000キロ以上走ったことです。練習中だけでなく、練習前後も走り込むことで、徹底的に自分の体を追い込みました。

改めて振り返ってみて、高2の頃、チームの前評判が悪い中で、宮城県の選手権大会で優勝したときは本当に嬉しかったです。本当に思い出すときりがないほど、サッカーを通して沢山のことを学ばせて頂きました。

【教員への道の決断】
大学でもサッカーを続けていたのですが、1年次から体を壊してしまって、1年半ほどサッカーが出来なくなったんです。当時は今改めて振り返っても本当につらかったです。

でもそこで下を向かず、「サッカーが出来ないなりに自分に出来ることはないか」ということを考えました。そして、元々子供と関わることが好きだったので、サッカーから離れて教員になる道を決断しました。

【諦めきれなかった選手としての道】
大学卒業後は1年間、山口県の中学校で社会科の教師をしてました。本当に周囲の先生、生徒に恵まれていたので大変有意義で充実した時間でした。

ただその頃、教師として働きながら地元のサッカーチームに所属している先輩から、サッカーをやらないかというお誘いを受けたんです。そして、1年越しにサッカーをやってみると、本当に楽しくて、またサッカーをしたい気持ちが強くなりました。

加えて、当時は陸上部の副顧問をしていたのですが、そこで志の高い生徒と関わったこともその思いを強くしましたね。「サッカーは今しかできない」と思いました。

その後、コバルトーレ女川に学生時代の先輩が2名所属していたので連絡を取ったんです。それから阿部裕二監督と連絡をとりました。中学時代の地域の練習会で阿部裕二監督に指導していただき、そのときのプレーなどを覚えていただいていた繋がりもあり、コバルトーレ女川に入団させて頂くことになりました。

【スタッフ兼選手として】
現在はコバルトーレ女川サポーターズパークのスタッフ兼選手として活動しています。

スタッフとしては、サッカースクールや幼稚園に訪問して、子供たちにサッカーを教えています。そこでは、「サッカーは楽しい」と心の底から思ってもらうことを意識しています。まずはこれが一番大切です。そして、サッカーを通じて協調性、思いやり、礼儀など色々なことを学んでほしいと思っています。

選手としては、平日の月曜日以外は夜に練習、土曜は午前中に練習をしています。日曜日は練習試合か公式戦が入ります。私のポジションはディフェンス(守備)なので、プレーにおいて「一対一では絶対に負けない」ということを念頭に置いています。

【今後の挑戦】
リーグ優勝とJFLという1つ上のリーグに行くことを目標としています。

町内の方々から本当に温かい声援を頂いているので、なんとしても結果で恩返しをしたいです。そして、結果を出すことで町全体を少しでも盛り上げることに貢献したいです。

コバルトーレ女川が町にとって元気の源のような存在になれるよう、日々精進しています。

【最後に一言】
今はコロナの影響により無観客の試合が続いていますが、YouTubeにて試合中継を配信しています!もしお時間ある方は、是非画面越しで応援をよろしくお願い致します!
https://www.youtube.com/channel/UCZUgC95ceTwZSfC5A--w0uQ

そして有観客になった際は、是非お越しください!

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女川ヒト図鑑No.14▼プロフィール名前:武田侑也(たけだゆうや)あだ名:武ちゃん出身:千葉県印西市所属:株式会社鮮冷趣味:読書、カフェ、サウナ特技:料理座右の銘:「死と対面する以外の生はないのだ」出現スポット:Bar Sugar Shac...
25/06/2021

女川ヒト図鑑No.14

▼プロフィール
名前:武田侑也(たけだゆうや)
あだ名:武ちゃん
出身:千葉県印西市
所属:株式会社鮮冷
趣味:読書、カフェ、サウナ
特技:料理
座右の銘:「死と対面する以外の生はないのだ」
出現スポット:Bar Sugar Shack

▼5Questions
1 女川の好きなところ
➡人とつながりやすいこと、綺麗な町並み
2 自分だけのこだわり
➡ちゃんと寝る
3 マイブーム
➡ビジネス書
4 好きな人・尊敬する人
➡スティーブ・ジョブズ、孫正義、ジャック・マー、岡本太郎
5 女川での印象的なエピソード
➡女川に来たばかりの頃に、山に泥酔して登ったこと

▼Deep Questions

【宇宙に憧れた幼少期】

「宇宙飛行士になりたかったんです。」

小さい頃から宇宙が好きで、小さい頃は宇宙飛行士に憧れていました。
望遠鏡を自分で組み立てて、火星を見たりしていましたね。

しかし高校の文理選択の時に、理系科目が苦手で。結局文系に進みました。
今思えばもったいなかったなと(笑)

【”大学生”をしていた大学時代】

大学時代はずっと遊んでいましたね。
授業は「単位さえ取れれば良い」ぐらいに思っていました。

ただそんな中でも、自分の視野を広げたいという気持ちはあって。
色々なところに行ったり、いろんな人に話を聞いたりしていました。

また長期休みは海外によく行っていましたね。

3年生の夏休みにイギリスで同年代の日本人と話す機会があって、視座の高さというか視野の広さというか、に衝撃を受けました。
同時に焦燥感みたいなものを感じて、自分は狭い視野のまま社会に出ていいのかと思うようになりました。

そしてもともと経営者や起業家になりたいと漠然と思っていたことも重なり、アメリカへの留学を決めました。

【自分の未熟さを痛感した交換留学】

アメリカはウィスコンシン州というところに行きました。

向こうの大学では、経済の授業や起業のゼミに参加していましたね。
それ以外にも、起業家のコミュニティにいたので、現地で出会った仲間とフードトラック(キッチンカー)の事業をやろうと動いていました。

学期が終わったも、すぐに日本に帰らずに現地に残り、フードトラックの計画を進めました。
経営者のツテや自分たちで直接プレゼンをしに行って、資金集めもしたりしていましたね。

いい経験をたくさんしましたが、挫折のほうが多かったです。
授業で教わったこととビジネスの実践は全く別物であると痛感させられました。

ビザや就活の関係もあって、ある程度のところで計画を仲間に託し、日本に帰ることにしました。

【大手企業から女川の中小企業へ】

帰国後就活をして、一度は大手人材会社で働く予定でした。内定者研修まで受けていたので、ほんとに直前までは。
しかし、あのときアメリカで感じた、自分に足りない何かは、心のなかにモヤモヤとしてずっと残っていました。

そんな時、たまたま『VENTURE FOR JAPAN』というプログラムを見つけたんです。
VENTURE FOR JAPANとは、NPO法人アスヘノキボウが実施している「2年間の期限付きで経営者の右腕として働きながら“起業家精神”を身につけることを目指す」という就職プログラムです。

FB広告でこれを見つけた時は、「これだ!」と思いました。
そして迷うことなく直感で、今の勤務先である『株式会社鮮冷』に決めました。

それがはじめて女川に来ることになった理由です。

【奮闘した2年間】

それ以前は女川という場所自体知らなかったんです。
「お酒好きだけど、飲むとこあるんかな?」ぐらいに思ってました。

実際に来てみたら、飲み屋はあるし、みんな受け入れてくれるし(笑)

女川での仕事というと、ずっと新規事業の立ち上げに関わってきました。
ECサイトを立ち上げたり、新規事業のためのクラウドファウンディングを実施したり。

ホントに2年間は色々な経験をさせてもらったと思います。
事業構想の段階からサービスを外に出すまで。

今振り返ると、反省点だらけですが。。

【将来について】

将来は、誰かに気づきを与えることだったり、誰かの人生を変えることに携わりたいなと思っています。

そのためには、やっぱりもっと広い視野を身につけたいと思っています。

でも今は2年間で失敗したことを、今度はうまく成功させて、自分に自信をつけたいです。
2年間で一番学んだことは、「失敗をしても必ず学びがある」ということだと思います。

水産業を通して、女川を盛り上げていきたいですね。

【最後に一言】

コロナが落ち着いたら、町の人と飲みながらもっと交流したいですね。

鮮冷のアヒージョをおつまみに。最後に宣伝失礼しました(笑)

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女川ヒト図鑑No.13▼プロフィール名前:山崎達哉(やまざきたつや)出身:京都市上京区所属:Yume Wo Katare Onagawa趣味:ギターの演奏特技:ラーメンを作ること座右の銘:鶏口牛後出現スポット:明神丸、マザーポートコーヒー、...
22/06/2021

女川ヒト図鑑No.13

▼プロフィール
名前:山崎達哉(やまざきたつや)
出身:京都市上京区
所属:Yume Wo Katare Onagawa
趣味:ギターの演奏
特技:ラーメンを作ること
座右の銘:鶏口牛後
出現スポット:明神丸、マザーポートコーヒー、相喜フルーツ、イル・ガッビアーノ

▼5Questions
1 女川の好きなところ
➡透き通った青空、綺麗な街並み
2 自分だけのこだわり
➡一緒にいたいと思える人との時間を大切にすること
3 マイブーム
➡子育て
4 好きな人・尊敬する人
➡内村光良さん
5 女川での印象的なエピソード
➡Yume Wo Katare Onagawaの開店初日に行列ができたこと

▼Deep Questions
【半年で幕を閉じた電通時代】
新卒では、若者に最も影響力のある会社はどこかと考え、電通という会社に入社しました。でも、10年以上の上の先輩を見た時「こうなりたい!」とは思えませんでした。

会社が大きすぎるがゆえに、裁量権を持つのに10年以上かかるし、10年後に持てているかもわからない。自分で決断できる環境に身を置きたかったんです。

当時はキリンビールの15秒CMに加えて、その全体の視聴率を測定することを担っていました。結局働いたのは半年間。それでも、座学だけでは学べない、社会人としてのあらゆる勉強をさせて頂きました。

そして退職後に京都に帰ると、奇跡的な巡り合わせがあったんです。ある飲食店のオーナーがテナントを無料で貸してくださるとのこと。今振り返ってみてもドラマチックだったなぁ。そこでは、『魔法にかかったロバ』という日替わり店長の店を、「若者と社会をつなげる」という想いで立ち上げました!

【女川に来たきっかけ】
最初のきっかけは『三陸石鹸工房』の厨(くりや)さんとの出会いです。当時仕事の関係で南三陸に行った際、偶然厨さんとお会いしたんです。それから女川に足を運ぶようになりました。

この頃は人生で最も色々な仕事をしていた時期でした。京都市長の選挙におけるSNS運用、学習塾の立ち上げ、オーダーメイドスーツの専門店、菓子製造の工房リース、そして日替わり店長の飲食店など。ただ、「何かしっくりこない」という感情が自分の中にありました。

そんな時に厨さんに電話で相談した際、「じゃあ女川に来てみないか」ということを言われたんです。加えて『お試し移住プログラム』の存在も後押しとなり、女川で1カ月間過ごすことを決意しました!

【定住の決め手】
やはり直感で女川で出会った方々と気が合うこと、前向きな方が多いことが移住の決め手でした。経営者の人が多いため、勉強熱心で常に試行錯誤しながら考えている方と気が合うなと。

加えて、「あたらしいスタートが世界一生まれる町へ。」という女川町のコンセプトが、自分の理念に合っているということも大きな1つの決め手でした。

【自分の理念とその原動力】
「若者と社会をつなげる」
これが自分の中の理念です。若者から見えている社会と実際の社会の間には、大きな乖離が存在していると思っています。だからこそ、その乖離を埋めることを人生のゴールとしています。

この想いは学生時代から抱いていたのですが、社会人になってからより一層強くなりました。社会に出て自分は世の中のことを全く知らなかった、こんなはずじゃなかったと。だからこそ、このような乖離を埋める必要があると考えています。

その1つとして、僕は今のお店を使って、起業という選択肢を若い人たちに伝え続けたいです。自分自身が本当に起業して良かったと思う人間なんです。だからこそ、今の若い人たちに起業の面白さを伝えたいです!

【仕事の価値観】
会社の社是でもある、「自由と責任」という言葉を大切にしています。これは押し付けではなく、「自由に何でもできる権利」を持つと同時に、「責任を負う義務」を担うということ。つまり、自由と責任は表裏一体なんです。

仕事において自由でありながら、責任を持つこと。これこそが仕事の楽しみであり、成長の原動力になると考えてます!

今やっている会社では、経営者を育てたいという想いを強く抱いています。だからこそ、1年で会社を出ないといけないという制約を設けています。この理由は、何より経営者の僕だけではなくて、働いている人みんなに「自由と責任」を感じてほしいからなんです。

【今後挑戦したいこと】
今僕自身は、沢山あるやりたいことを具体化する段階にいます。なので確固たるやりたい事業は定まっていません。ただ、今は目の前の仕事に全力投球し続けること、少しでもお客様に喜んでもらえることを考え抜くことを念頭に置いています。

ただ、女川ではラーメン以外のこともやりたいなという想いが強くあります。
だからこそ、1つだけ決まったことがあります。それは、女川にいることです。

9月から愛媛県松山市の「Yume Wo Katare Matsuyama」に移動する予定です。そこで培ったスキルやノウハウを女川に持って帰って、また新たな事業を立ち上げたいと考えています!

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女川ヒト図鑑No.12▼プロフィール名前:本多由羽(ほんだゆう)出身:秋田県八峰町所属:しおかぜ保育所趣味:韓国料理を作ること(特にチャプチェ)特技:ラケット競技座右の銘:常に笑顔出現スポット:酒飯処かぐら▼5Questions1 女川の好...
19/06/2021

女川ヒト図鑑No.12

▼プロフィール
名前:本多由羽(ほんだゆう)
出身:秋田県八峰町
所属:しおかぜ保育所
趣味:韓国料理を作ること(特にチャプチェ)
特技:ラケット競技
座右の銘:常に笑顔
出現スポット:酒飯処かぐら

▼5Questions
1 女川の好きなところ
➡いい意味でお節介なヒトの温かさ、星が綺麗なところ
2 自分だけのこだわり
➡健康グッツに凝ってます!
3 マイブーム
➡韓国ドラマ
4 好きな人・尊敬する人
➡EXILEのTAKAHIRO
5 女川での印象的なエピソード
➡真夏に初めて女川に来た時、キャリーケースを引いて駅から浦宿まで歩いたこと(笑)

▼Deep Questions
【詰め込み授業の学生時代】
大学時代は東京の短大で幼児教育を勉強していました。短大なので毎日実習や講義でスケジュールが埋まっていました。大学生のいわゆる「空きコマ」とかはなかったです。(笑)
9時から18時まで箱詰め生活でしたね。なので、ごくまれにある空き時間は「ディズニー行くぞ!」って大盛り上がりでした!

印象的なのは0からミュージカルを作った経験です。保育所で演劇を作るためのスキルを身に付けるための一環でした。舞台俳優を指導されるような鬼のスパルタ先生のもとで、ストーリー、衣装、歌など全て自分たちで考えました。大変でしたが、振り返ると良い思い出です!

【女川に来たきっかけ】
大学を出た後は2年間、東京で保育士として働いていました。その頃、当時東京で音楽活動をしていた友人に勧められたことをきっかけに、初めて女川のことを知りました。それからお試し移住プログラムを使って女川に行ってみたんです。当時お試し移住で女川に来られていた方に町案内をしてもらい、女川の色々な方と繋がることが出来ました。そこで女川のヒトの温かさを実感しました!

今振り返ってみると、この人達に出会わなかったら、女川という町にもそれに関わる沢山の人にも出会えてなかったと。本当に奇跡だなと。

【女川のヒトに支えてもらった】
お試し移住で女川を満喫した後、女川に移住したい気持ちはあった一方で、急に女川に移住することは少し怖かったので、地元が東北ということもあり、一度仙台の新しくオープンする新規園で働くことにしました。でもその保育所が本当にブラックで。

その時、女川に行って町の人に相談したんです。本当に色々な方に支えてもらいました。特にべりーなの存在は大きくて、彼女がいなかったら女川への移住を決断出来ていなかったかもしれないです。

【仕事の価値観】
今はしおかぜ保育所で働いているのですが、常に笑顔で全力で子供たちに向き合っています!
特に子供たちを「ひとりの人間」として見ることを意識しています。子供だから何をやっても許されるというわけではないです。だからこそ、子供たちなりに考えている背景や意図を読み解き、気持ちに寄り添うことを徹底しています。

また子供たちの家庭環境などのバックグラウンドも様々なので、一人ひとりに応じたケアも大切にしています。

【今後について】
今は働くことで精一杯なのですが、将来的には「女川のために何か出来ることはないか」ということを考えています。そこで、保育の分野において女川のお母さま方のコミュニティが広がるようなイベントを企画したいなと思っています。

働いていても毎日痛感しているのですが、お母さんって本当に大変なんだろうなって。だからこそ、お母さんをサポート出来るようなことを何かやりたいです!

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【『女川ヒト図鑑』10掲載到達しました】5月からこれまで10の女川人を紹介させていただくことができましたー!!(この投稿が遅くなってしまい、正確には11人になってしまいましたが笑)女川ヒト図鑑は、インタビューにご協力いただける方、見ていただ...
18/06/2021

【『女川ヒト図鑑』10掲載到達しました】

5月からこれまで10の女川人を紹介させていただくことができましたー!!
(この投稿が遅くなってしまい、正確には11人になってしまいましたが笑)

女川ヒト図鑑は、インタビューにご協力いただける方、見ていただける方、温かいお言葉をいただける方、運営にご協力いただける方すべての方に支えられてます。
本当にありがとうございます!そしてこれからもよろしくお願いします!

20人,30人,,,100人とみなさんにご紹介できるように、引き続き活動していきます。
インタビューにご協力いただける方、運営にご協力いただける方も募集しておりますので、ご興味ある方ご連絡ください。

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